60.第五章 第八話




 海道の分岐でさらに二手に分かれ、仮面の男とミント姫を追い続けるクロード達。南のザックル神国へ進路をとったクロード、レナ、レオン、そしてボーマンの4人は、道の途中にある小さな村に辿り着いていた。

 ここでは海に面した崖に沿うように建物が建てられており、村と言うよりは宿場町と呼ぶべき光景が広がっていた。主街道に沿った建物は宿屋であったり食料店であったりと、ここを通る旅人を対象にしたものばかりである。

 本来ならこんな所で胡麻をすっているヒマなど無いのだが、さすがに朝から動き続けている身としてはそろそろ足もこたえてくる頃合であるし、なにせ簡素な朝食をジルハルトで摂って以来何も口にしていなかったため、4人ともお腹がペコペコだった。

 そういう訳もあって20分だけと制限時間を決め、どこかのレストランにでも入って空腹を満たしつつ休憩を取ろうという話になった。

 これから先は砂丘地帯へと突入するため、さらに心身に対する疲労が積み重なると予想される。腹が減っては戦ができぬということもよく聞く話ではあるし、この時間のロスも効率を考えれば仕方がないとクロード達は妥協することにしたのだった。

「お、見ろよクロード。この店は今朝海岸で釣れたばかりの、新鮮な魚料理が売りみたいだぜ!」

 どこの店に入ろうか迷っているとき、ボーマンは道沿いにある小さな食堂のメニューに目を止める。

「ほら、このカレイのサンドイッチなんて、すぐに食えそうな割には結構ボリュームありそうだしよ。今の俺達にはぴったりなんじゃないか?」
「え……魚はちょっと……」

 料理の模擬展示品の前でテンションの上がるボーマンの傍ら、レオンはあからさまに嫌そうな顔を見せた。魚が苦手な彼からすれば、それらをパンに挟んで食べるという発想が理解し難かったのだろう。

「ははっ、そんなレオンのためにもほら、ここにちゃんとお子様ランチが用意されてるぜ? こっちには旨そうなハンバーグが付いてるぞ?」

 ボーマンの指さす先には、動物の絵柄が入ったトレイ皿の上でカラフルに盛り付けられたお子様ランチがあった。チキンライスの頂上には、フーラル王国の国旗らしき旗がちょこんと立ててある。

「あら、ホントね!」
「これならレオンでも食べられるだろ。よかったな!」

 ポンポンと背中を叩くボーマン。レオンはそんな彼を鋭い目でギロリと睨み返した。

「誰がお子様だよ? 冗談もいい加減にしてよね……」

 そうきっぱり言い放つと、彼はそのまま先陣を切るかのようにつかつかと店内へ入っていく。

「すみませーん。4人で……はい………はい………あ、全員カレイのサンドイッチで………」
「おいおい、俺ちょっと言い過ぎたか?」
「いいんじゃないですか? 面白かったですし」

 ボーマン、クロード、レナは苦笑いを浮かべながら、そんなレオンに続いて店の中へ足を踏み入れるのであった。





「あー、おいしかったわね。ちょっと食べるつもりがお腹いっぱいだわ」
「そ…そうだね………ウェッ」
「本当に大丈夫か、レオン?」

 店を後にした4人だったが、満足そうなクロード、レナ、ボーマンとは対象的に、レオンは顔つきからしてもう色々とやばそうだった。

「なにも無理してサンドイッチを食わなくても、あのお子様ランチで……」
「あのね………僕が何歳だと思ってるんだよ? さすがにプライドってもんが……」

 レオンはそう呟くとまた「オエッ」とゲップをし、何か中身まで出てしまいそうな音を漏らしながら自分のお腹をさするのだった。

「でもさっきのお店で言ってたみたいに、この辺りはまだ警備がそこまで厳重じゃないみたいね?」

 さきほどの店には自分達以外にもぽつぽつと旅人らしき客は居た。移動を厳しく制約されるこの状況下にしては不自然なことだ。

 そう思ったレナが店のウェイトレスに訊ねたところ、ここから近い場所には集落が点在しており、そこを行き来する分に関しては今のところ許可されているという話だった。

 だが自由に動けるとはいえ、さらに南にあるサウスカーペット砂丘は国境ということもあり、やはり厳しく封鎖されているらしい。後々は正攻法で突破できない状況が訪れるということだ。

「サウスカーペット砂丘。ザックル神国に入るにはここを越えなければいけないのか……」

 ここを仮面の男が通ったとはまだ断定できないが、仮にザックル神国に逃げたとすればここで時間を食うわけにはいかないだろう。

 できればすんなりと国境を通り抜けたいものであるが、村で話を聞くに砂丘の防衛システムはなかなか強固なものらしい。砂がよく盛られて小高い丘のようになっている場所には、複数人の兵士が点々と見張っているとのことだ。

 通り抜けるのは容易だと二手に分かれる際にクロードは口にしたが、あれはあくまでも北にあるノースフォールの門に比べればの話である。国境というだけあってそれなりの警護兵は居るし、万が一捕まろうものならただでは済まないだろう。

「どうするの? 変に騒ぎ立てても面倒なことになるしさ……」

 レオンは相変わらず酔ったような瞳でクロードにそう訊いた。

 ここで強行突破を試みてそれが成功したとしても、今度は自分たちがミント姫の誘拐犯だという勘違いを受けてしまい、この国にさらなる混乱を招いてしまうだろう。今の四人の実力ならば突破は十分に可能だが、それができない故にクロードたちは困っていた。

「このサウスカーペット砂丘ってのは、砂漠じゃないってのがポイントでね。乾燥地帯は海沿いのごく一部なんだ。ほら、海から砂丘を挟んだ反対側には密林がずっと広がってるだろ?」
「ほんとだな。でも……まさか、ここを迂回して侵入するってんじゃないだろうな?」
「うん、そのまさかだよ」

 ボーマンら4人が覗き込んでいる地図にはクロードの言うとおり、大陸の内側へ樹海地帯が続いていた。これら危険な場所を避けるため、この地域には海沿いに道が敷かれたのであろう。

 ここを突破するとクロードはボーマンに言ったが、すぐさま彼の反論にあう。

「おいおい。こんな遠回りしたんじゃ時間がかかるだけだろ。それに密林っつっても、やっぱり国境警備の兵とかは居ると思うぜ。なにせ俺が誘拐犯なら絶対ここを通って逃げるからな」
「うん、それは僕もそう思う。でもさっきの町でたまたま見つけた張り紙にこう書いてあったのさ。“魔獣多発中! 密林地帯には近づかないように!”ってね」

 クロードは集落で出回っていた情報を見落としはしなかった。

「僕達四人の敵ではないだろうし、レナにディープミストを散開してもらいながら行動すれば、見つかるリスクも低くなる。それに魔獣が居るってことは、僕達にとってはむしろメリットになるんだ。もし衛兵に物音を聞かれたとしても、この樹海の中なら魔獣が通り過ぎただけだろうと勘違いしてくれるかもしれないからね」
「ふーむ……」

 ボーマンは顎先を指でいじりながらクロードの話に耳を傾けていた。

「要は多少迂回して魔物と戦ってでも、リスクの少ない方法をとるってことか」
「そうだね。とりあえずは気づかれずにザックル神国に入るのが今一番の目的だし」

 説得力のあるクロードの言葉に、ここはあまり乗り気ではなかったボーマンも首を縦に振るしかなかった。

「なら、ディープミストの他にヘイストもかけるわ。ここは魔力を抑えるような場所じゃないみたいだし」

 レナも魔法を惜しみなく使う意思を示した。7人行動していた時は特に補助が必要というわけでもなく、彼女は出来る限り魔力を節約していた。だがここは難しい場面でもあるために、使えるものはどんどん使うべきだと考えたのだろう。

 レオンからも「別にいいんじゃない?」と、適当ではあるが返事が返ってきたため、とりあえず一行はこの案で進むことが決まった。

 クロードは戦闘になればすぐに剣が抜けるよう、何度か腰の鞘に手を当ててその場所を確認する。ボーマンも荷物入れの中にしまっていた愛用ナックル「ムーンフィスト」を右手に嵌め、レオンは魔道書を取り出しいつでも呪文が唱えられるように準備した。

 密林のある場所まではもう少し距離がある。だが時間を取られると分かっている以上、今は少しでも急いで時間を短縮しておきたい。

 そのため、ヘイストは現時点でかけておくことにした。レナが術を唱えると4人の足元に光の魔方陣が現れ、途端に足元がすごく軽くなるのを全員が感じる。

「よっしゃ行くぜ! おいレオン! 吐くなら今のうちに吐いとけよ!」
「もう大丈夫だよ。多分ね……」

 武器を装備して気が高まっているのか、ボーマンは高々と笑い声を上げながらレオンにそう言った。それを聞いたレオンは余計なお世話だよと言わんばかりに返事をしたが、それでもまだ少し気分が優れない部分があるようだった。

「ところで、どの辺りから密林に入るの?」
「ううん……それは………」

 レナの質問にクロードは目をつむって少し考えたが、すぐに考えるのをやめる。

「……まあ、適当でいいんじゃないか?」

 ここまで方針が決まれば後は勢いに任せるつもりなのだろう。そんなあっさりとしたクロードの返事を受け、レナは

「そういう所は適当なのね……」

と、呆れながらもニコリと返事をするのだった。

「うっひょー、体がすげぇ軽いぜ! おいクロード! いつまでモタモタしてんだよ? 早く行こーぜ!」
「ちょっとボーマンさん。あんまり調子にのってると気づかれてしまいますよ!」

 クロードは進みたがりなボーマンをそう呼び止めようとしたが、もはやテンションの上がった彼を制止することは不可能だった。怯えられるよりはマシだと言い聞かせ、クロードら3人は仕方なく彼の後に続いて密林へと先を急ぐのだった。





「おらっ! 旋風掌!」
「ていやっ!」

 ボーマンの腕から発せられたカマイタチを受けてふわっと浮きあがった小型の竜に、クロードが空中で止めを刺す。命を絶たれたその竜は、魔獣の骨が積み重なった地面にガラガラと音をたてて倒れ落ちていく。

 サウスカーペット砂丘のすぐ横に広がる密林は、まさしく弱肉強食の世界。この地面に転がるたくさんの骨も、かつてこの竜が縄張りに踏み込んだ魔物たちを食べた残骸なのだろう。

 そしてそんな死肉を養分にしたのか、見たことも無いキノコが気持ち悪いくらいに連なっており、竜が落ちた場所からは多量の胞子が宙を舞った。

 日の光がほとんど入らず、ただひたすらジメジメしたこの場所は密林というよりジャングルに近かった。食人植物やマンドレイクもどきに襲われたりと決して楽な道のりではなかったが、それでもかつて厳しい戦いを乗り越えてきたクロード一行にとってはまだ少し余裕もあった。

 今もボーマンからクロードへと攻撃が繋がったが、これは連携の練習を兼ねている。このような行為により実戦の勘が戻っていくのを、一同は少しづつ実感していくのであった。

「今のヤツはまぁまぁ強かったな。どうだ、クロード?」
「うーん……」
「おいおい。ここは「全然余裕さ!」って即答するとこだろ!」
「どうかな、余裕だったかと言われれば微妙なところかも……?」

 調子づくボーマンに対し、一方のクロードは慎重だ。やはりロザリスで何度かピンチに陥った経験が、相変わらず彼の心に根付いているのであろう。

「……っていうか、この程度に手こずられちゃ逆にこっちが困るんだけどね?」

 そんな二人に対し、レオンは死骸化した竜をまじまじと眺めながらそう言った。もう動かなくなったものの、残酷なまでに負傷しているかといえばそうではなく、むしろほとんど無傷に近い状態でその竜は白目を剥いていた。クロードが必要最小限の動きだけで的確に急所を突いた証である。

「それよりもみんな、この胞子をあんまり吸いすぎないように気をつけてね。もしかしたら毒があるかもしれないし」
「そうだな。ここじゃむしろこの気味の悪ぃキノコ共が一番怖かったりしてな……」

 ボーマンは自分の足元に群生する、黄土色の傘をもったキノコたちに目を向けた。一見普通のキノコに見えるものの、よく見ると表面には無数の赤い斑点がポツポツとついている。それを見ているだけでボーマンは全身に痒みが走ったのか、彼は先ほどから肌を頻繁に擦っていた。

「ひゃー、おっかねぇ色してやがるぜ、こいつぁ……」
「ほんとだよ。あーやだやだ、ほんっとキモいよ……」

 レオンとボーマンはキノコが生えてない場所を探し、そこに足の置き場を移した。このキノコたちにとって密林の湿度は適しているのか、その表皮には無駄にツヤがある。レオンたちはそれがさらに気持ち悪さを引き立てているように見えた。

「でもボーマンさんなら、むしろこれが薬に使えそうだとか、そういう風には見えないのですか?」

 エクスペルには薬として用いられるキノコもたくさんある。もしかしたらここにある幾つかにも同じことが言えるのではと、レナはそうボーマンに尋ねたのだった。

「ま、99%それはねぇな」

 ボーマンは苦笑いをしながら髪を毟った。

「普通こんな場所に生えてりゃ、幾らかは動物とかに食われてもおかしくはないだろ? でもここにあるキノコたちには手をつけられた形跡すらない。動物や魔獣たちも分かってんだよ。こいつらは食えねぇ、毒があるってな」

 そうつらつらと説明され、クロードも感心したように足元のキノコを見つめる。

「なるほど。言われてみれば……」
「ふっ、これは薬草学のき、ほ、ん、だぜ!」

 ボーマンはそう言うと、得意気に人差し指で自分の眉間をつんつんとつつくのだった。

「でも、こんなヤバいキノコが生えているような、人が入った形跡もないような森がこれからもずっと続くんだよね? いったいいつになったら目的地につくことやら……」
「なんだレオン? こんどはキノコでまいっちまったのか?」
「普通こんな場所に居れば、誰でも気分くらい悪くなるわよ……」

 レオンと同じくレナもあまり居心地がよくないようであり、ときどきポンポンと髪についた胞子を払い落としたりしていた。そもそも一般人からすると常識を覆すほど歪んだこの環境で元気でいられるのは、クロードとボーマンくらいなものだろう。

「ったく、強いんだか弱いんだか分かんねぇ奴らだな。ちっとは俺を見習え、俺をな!」

 ボーマンは偉そうにそう言うものの、これは単に彼が未踏の地であるリンガの聖域などへ薬草を取りに行くことを仕事としているため、密林に入る場数がそれなりに多いというだけである。

「ボーマンもめちゃくちゃキノコ嫌がってたじゃん。さっきまで」
「んだとレオン!? ……っとと、そうこうしている間にまたお客さんだぜ……」

 ボーマンがそう言って振り返ると、そこには牙をむく大きなトラのような魔物が、全身を覆っている夜の湖水のような漆黒の毛を奮い立てていた。どう見ても敵意むきだしの魔獣に見つかってしまったクロード達は、再び各々武器を構える。

「いくぞ、お前ら!」

 その掛け声と同時に、ボーマンは堰を切ったかのよう地面を蹴るのであった。