61.第五章 第九話




 一方こちらはクロード達と別れた後、ひたすら街道を北上しているディアス、セリーヌ、チサトの三人組である。こちらはディアスがエクスペルから持参した携帯食をつまみながら進んでいたため、レストランで昼食を取ったクロード一行に比べるとハイペースで足を運んでいた。

 林の中を街道がひたすら突き抜けている。しっとり湿った地面に連なる木々が影を落とす、そんな涼しい道を進んでいくと、三人の視界が次第に開けてきた。

 柔らかい芽吹きが脇に生う道をさらに進んでいくと、やがて水が注ぎ落ちる音が聞こえ始め、それはだんだんと大きくなっていく。そして坂を一段落登り終えると、目の前には遠い水平線を覆いつくすほどの巨大な滝が姿を現した。

「……どう見てもあれっぽいですわね?」
「だな。クロードの言っていたとおりだ」

 ノースフォールの門。そこは門と呼ぶのに相応しいほど圧巻させられる場所だった。滝は崖全体を覆いつくすように流れているのではなく、一箇所だけ水流を割くよう岩肌が露出している。その真下に国境である砦と洞窟があり、それはまるで門の淵に取り付けられた鍵穴を象徴しているかのようだった。

 崖の上にはこれまた針葉樹林がひろがっており、いくつもの虹が滝の表面同士を繋ぐよう彩っている。観光名所にすれば間違いなく流行りそうなこの場所も、今回に限ってはディアスたち3人にとっての「鬼門」として立ち阻んでいるのだった。

 実物を目にすると、改めてここを通り抜けることは非常に困難だとディアスら三人は実感する。砦内部へ侵入することはセリーヌのテレポートを使えば楽勝だろうが、その後に待ち受ける洞窟の入り口では間違いなく見張りの兵士の傍を横切ることになるからだ。

「さて、とりあえずはここまで来れたわけだが……」
「ここからどうするか、ですわね……」

 セリーヌたちは歩く足をいったん止めた。もう少し先には滝の真下にある湖を越えるための長い吊り橋が見えるが、こんな“私たちを見つけてください”と言わんばかりの場所をのこのこ歩いていくわけにもいかない。

「まぁ、ここからならあの橋の向こうにある茂みにテレポートできますけれども……」
「ほう、それならば早速その茂みに移動してくれないか?」

 指で作った輪に片目を通して砦の様子や距離感を伺うセリーヌに、ディアスは突拍子もなくそう言った。

「な、ちょ、ちょっと? いきなりあそこまで行くと申してますの?」

 驚くセリーヌ。だがディアスと同様にチサトも、「そうね……」と手を口に当てながら冷静に呟く。

「ここから見る限り、見張り以外はあんまり兵士も居ないみたいだし、今は気づかれにくいタイミングかもしれないわ。このチャンスのうちに向こうに渡っておいたほうがよさそうってのも一理あるわね。なにせ私達は急いでいるわけだし……」

 たしかに彼女の言うとおり、砦の入り口を除けば外部にほとんど兵士の姿はない。傍にある茂みに隠れておけば、そうそうすぐに見つかることもないだろう。

「チ、チサトもそうおっしゃるなら仕方ないですわね。でも、渡った後はどうすればいいんですの……?」
「……それは向こうで考える」
「む、向こうでって、行き当たりばったりすぎませんこと!?」
「別に問題はないと思うが?」

 セリーヌは先程から淡々と判断を下すディアスに戸惑うものの、彼はそんなことなどおかまいなしに喋り続ける。

「今はできるだけ早く向こうに近づくべきだ。砦内部の様子もよく伺えるだろうし、そこでどう動くかを考えたほうが良い判断ができる」
「そ、それはそうですけれど……」
「どうした? お前はさっきから否定してばかりだが、何かまずいことでもあるのか?」
「べっ、別に……」

 セリーヌはそう言って少し間を置いた。

「……それならば、せめてもう少し近づかせていただけると助かりますわ。テレポートに使う魔力は距離に比例いたしますので……」
「なんだ、そういうことか」

 ディアスは納得したようにそう返事をする。

「それならそうと早く言え。さぁ行くぞ」
「え、ええ……そうですわね………」

 セリーヌは苦笑いを浮かべながらこくこくと頷いた。ディアスは既に歩き始めており、チサトも「おっけー」と相槌ちをうった後すぐに彼の後を追いかけている。

 少しくらい自分に同情してくれてもいいんじゃないか。セリーヌはそんなことを思いながらも、今は歩きゆく二人の後をただ追いかけることしかできなかった。





 ディアス達はおおざっぱに「このあたりだろう」と思われる場所を湖の向こう側に決めつけると、セリーヌのテレポートにより無事その場所への移動を終えたのだった。

 ここで言う「このあたりだろう」とは、砦の内部からは気付かれず、かつ砦内部の様子を探ることのできる位置のことである。

 いま3人が居る場所は、砦の入り口から30メートルくらい離れた場所にある藪の内側だった。

 入り口と言っても肝心な門は建物の角が邪魔で死角になっており、そこがどうなっているのかはよく見えない。しかしこの死角から自分達が乗り出してしまうと、見張りの兵士に見つかる可能性が高くなってしまう。そのため今は我慢してこの場所から観察をするほかなかった。

 ディアスとセリーヌは衣服などが藪影からはみ出さないよう姿勢を低く保ったまま、じっと息を潜めていた。そしてチサトだけが藪から少し出る程度に頭を出し、片手で持った双眼鏡を目に砦をじっと睨む。

「どうだチサト? ここからだとちょっと厳しいか?」

 ディアスがそう尋ねると、地面から膝を伸ばしているチサトは少しだけ首を傾げながら、


「うーん………。まぁ、見えなくもないんだけど、ばっちり見えるってわけでもないかも。微妙なところかしらねー……」

 と返事をした。先ほどから彼女は何度となく藪の中を移動してポジションを変えているが、砦内部の様子を詳しく探れそうなポイントはなかなか見つからないようだ。

「ふぅ。いい調子で来ていたかと思えばこれですのね……」

 ただただ二人の後をついてくる形になったセリーヌは、そう呟いてぺたりと岩壁にもたれこんだ。日影の岩はひんやりと冷たく、セリーヌはそれがどこか不快そうだった。

「確かに俺たちはここでかなり時間を取られてしまっているが、ここは慎重に行くべきだ。もし見つかってしまうと、この国に混乱を招いてしまうからな」
「ディアスったら何度も何度もそう言いますけど、実際ここを敵に見つからずに突破なんて、ほとんど不可能に近いですわ……」

 セリーヌが発した言葉は、ここに居る三人とも薄々感じていたことであった。中の兵士がどのように配置されているのかは外からでは全く分からなかったが、それなりの数が居るだろうということは容易に想像できる。

 仮にこの砦を突破できたとしても、中の洞窟にはさらにたくさんの兵士が居るだろう。キーサイド王国側にも同じように砦がある可能性も十分考えられ、その場合はそこを乗り越えるための策も必要となってくる。

「ずっとこのままここに居るくらいなら、いっそのことこの崖をテレポートで登ってしまうほうが早い気もしますわ」

 セリーヌはそう言うと、遥か上方まで広がる崖壁を苛立たしそうに眺めるのだった。

「馬鹿か。こっちにはキーサイド王国の地図は無いんだぞ?」
「……それでも、ずっとここに居るよりはずっとマシだと思いますわ」

 セリーヌは手で口を覆いながら少し考え込む。

「……もちろん一度では無理かもしれませんけれど、崖の途中あたりに中間地点を見つけてそこを経由すれば……」
「それじゃあ敵に見つけてくださいと言っているようなものだぞ?」
「けれども……」
「ごちゃごちゃ言うな。少し黙っていろ」
「な、何ですの!? その口の聞き方は? そもそもディアスの作戦だって……」
「うるさい。お前は見た目に似合わず猪突猛進すぎる。だいたい………」

 声を殺しながら繰り広げられたこの口論は、それからしばらくディアスとセリーヌの間で続いた。そしてそんな啀み合う二人を止めたのは、ぽつりと放たれたチサトの一言だった。

「んー……でも………」

 じっと砦の監視を続けていたチサトは、ふと二人のほうを振り向いた。

「私もセリーヌと同意見かな……って思っちゃうかも」

 パタンと折りたたみ式の双眼鏡を閉じると、チサトは口を尖らせながら細く息を吹く。その顔を見るに、どうやら彼女も突破は諦めるべきだという考えなのだろう。

「こんなに見張りがいると、気づかれずに進むのはさすがに難しそうだわ」

 チサトはそう言うと、自分達から見て砦とは反対側に聳える崖を指差した。

「あそこなんかいいんじゃない?」

 その場所には小さな天然の窪みが2〜3箇所、ひっそりと口を開いていた。高さも頂上に至るちょうど間くらいに位置しており、まさしく先ほどセリーヌが言っていた“テレポートの中間地点”にはうってつけの場所だと言わんばかりだった。

「……あそこを中継して頂上まで移動すればいい。そう言いたいのか、チサト?」

 ディアスがチサトに聞いた。

「……まぁ、そういうことになるかしらね?」
「チサト。私も賛成ですわ」

 チサトに続いてセリーヌもそう声を上げた。

「ずっとこんなところでコソコソコソコソ動くのも、さすがに疲れてしまいましたわ。見つかったなら見つかったで、そのときは潔く開き直ればいい話じゃなくて?」
「これで2対1よ。さぁディアス、あなたはどうするのかしら?」

 頬をわざと寄せるようにして、チサトはにやりと笑った。こうなればディアスもお手上げである。

 二人の仲間を前にしてディアスはしばらくの間、片手で頭を抱え込む。しかしやがて諦めたかのように渋々顔を上げると、さきほどチサトが差した洞窟を仰いだ。

「あそこを登ったとして、100%見つからないかと言われればそうでもない。砦から見た場合だと、恐らく完全な死角にはなっていないだろう。危険と隣り合わせなことは確かだ」
「ちょっとあんた? この期に及んでまだ反対しようっていうワケ!?」
「……仮に俺がここでダメだと言っても、お前達は行ってしまうんだろ?」

 仕方がないなと言わんばかりに、ディアスは含み笑いでそう答えた。仲間を危険に晒すことは彼の最も嫌うことだが、その危機に陥ったときのためにディアスがいるということも事実なのである。今の彼はそんな自分の役目を思い出したかのようだった。

「あ、ディアスもその気になった?」
「ふん、仕方が無く加担してやるだけだ。後でクロードに叱られるときには、お前達二人で行くんだぞ」
「もう。体に似合わず器のちっちゃい男ね、あんたは……」

 無愛想なディアスに、チサトはそう言って頬を膨らますのだった。

「そういうことならはやく行きませんこと?」
「そうね。ディアス、行くわよ!」
「ああ。できるだけ急ぐぞ」

 セリーヌ達はもう一度だけ砦のほうをチラリと確認する。兵士たちがこちらに気づいた様子はない。無論、崖の中腹へ行けば状況は一変するかもしれないが、その場合は完全に出たとこ勝負だと腹をくくる。

 セリーヌは声を潜めながら呪紋を唱えはじめた。光り輝く紋章が敵の目に入らないようチサトとディアスが体を張って彼女を隠すなか、次第に詠唱は完成に近づいていく。

 思えば自分達は確率の低い道を行く別働隊なわけで、実際そこまで焦って動く必要は無いのだとディアスはこのとき気付いた。しかしセリーヌのテレポートは既に発動寸前、もはや手遅れであったため、ディアスは何も言わずにただ移動の時を待った。

「いきますわよ! テレポート!」

 セリーヌが小声でそう言うと3人を光の粒が覆いこみ、次の瞬間フッとその全てを茂みから消し去ったのだった。





「そうか、クロードたちはさらに二手に分かれたんだ……」

 一方その頃、クロード隊とディアス隊にパーティが分かれたことを通信機から知らされたアシュトンは宿屋“Moonlight Blues”の自室にて、窓際の椅子に力なく腰掛けたのだった。

 ジルハルトに残った三人のうち、プリシスとノエルはそれぞれ街で情報収集を続けていた。しかし、ただでさえ長身なうえに背中にギョロとウルルンを抱えるアシュトンは目立ちすぎてしまうため、彼は人前には出ずにここで待機して通信機を見張る役を担っていた。

「なかなか時間がかかりそうだなぁ……」

 アシュトンは机についた腕で頬を支えながら、一体これからどう事が進むのか、少し考えていた。

 ミント姫はどこに連れ去られたのだろうか。アシュトンは披露宴のときに見た、彼女の寂しそうな瞳がどこか頭に引っかかっていた。

 気のせいかもしれないが、ミント姫はあの時点で何か知っていたのではないか? もしそうならば、事態はより複雑だ。単なる誘拐事件ではなくなり、それ以外の何かがこの星に起こっていることも考えられる。

 アシュトンはもう一度机の上の通信機に目をやった。プリシスやノエルが何か情報を掴んだ際には、直ちにここへ連絡がくることになっている。しかし今日の朝に別れてからというもの、両者とも音沙汰一つさえ無かった。時刻は午後3時前。そろそろ夕方を迎えようとしている。

 こんなことをしている間にも、クロード達はそろそろ南のザックル神国に向かうためにサウスカーペット砂丘へと差し掛かっているであろうし、ディアス達はノースフォールの門に到達して、ここをどう突破すべきか頭を悩ませている頃合であろう。アシュトンも犯人はザックル神国に犯人が逃げただろうと考えていたために、ディアス達がクロード達と別行動してしまったことは少々心もとないとは思っていた。

 ただ犯人がどこに逃げたとしても、自分たちのすることは変わらずジルハルトでお留守番のままであろう。やはりここはゆっくり吉報を待つべきだ。そう思い直してはまた事件について考えを巡らすという無限ループを、彼は今朝からずっと繰り返していたのだった。

 アシュトンは疲れを感じ、同時に少し喉が渇いたのでフロントまで水を貰いに行こうと、空の水差しの取っ手に手をかける。

「……アシュトン! アシュトン! ……ねぇ、聞こえてる? 聞こえてたら返事して! あ、できるだけ静かにねっ」

 通信機が鳴り出したのはその時だった。プリシスの声である。

「プリシス!」
「しっ! 静かにって言ったでしょ!」
「あっ、ご、ごめん……」

 待ち望んだ仲間からの報告に慌てて返事をしたため、ついつい大声で返事をしてしまったアシュトンは咄嗟に口を押さえた。

「どうしたの?」
「それが大変なんだって!」

 ただでさえ滑舌の悪いプリシスの口調はいつも以上に早く、落ち着きが無かった。

「いま無人くんがね、フーラル軍本部に潜入して声とかを拾ってきてくれてるの。あたしも結構その本部の近くに居てさ。あんまり目立った音とか立てられないから、要点だけ伝えるね」
「う、うん……」
「なんと今朝、キーサイド王国との国境が見知らぬ男に破られたんだって。たまたま無事だった兵士さんが2時間ほど前に駆け込んできて、軍の人にそう報告していたらしいよ。お偉いさんにも話していたみたいだから、まず間違いないと思う」
「お、男? それってもしかして……?」
「そう。その怪しい男だけれどね、もう一人女の人を連れていたらしいの。その兵士は言ってた。あれは間違いなくミント姫だって」
「な、なんだって!?」

 アシュトンはうっかりまた大声を上げてしまった。そんな彼にプリシスの乾いた怒声が再び飛んでくる。

「ちょ……だから静かにって言ってるでしょ! あたしの状況も考えてよね?」
「うぅ……ごめん。それより、もしそれが本当なら犯人はキーサイド王国に逃げたってこと?」
「うん、そういうこと。それで、クロードたちは今どこに向かっているの?」
「えっと、それが……」

 そう尋ねられたアシュトンは、クロード達が二手に分かれたことをプリシスに伝えた。

「……なるほどね。ってことは、ディアスたち三人が今のところ一番近いってことか………」
「そうだね……」

 二手に別れていたことは幸いだった。ここから先の捜索は主にディアス達に託すこととなるだろう。

「とりあえず、アシュトンは今すぐにクロードとディアスにこのことを伝えて。そしてノエルにも宿屋に戻るよう連絡をお願い。あたしも無人君が戻り次第、そっちに帰るからさ」
「うん、分かった!」

 これだけのことが判明した以上、自分たちジルハルト待機組も一旦集まったほうがいいとプリシスは考えたのであろう。アシュトンはそんな彼女の真意を理解した上で了解したのだった。

 彼はプリシスとの通信を切ると、すぐさまクロードとディアスの通信機を呼び出した。そして同時に、プリシスが何事も無く戻ってこれることを心の底からそっと願うのであった。