30.第二章 第十話




 とりあえず一通りアシュトンから話を聞き終えた仲間達は、しばらくのあいだ他愛の無い話を続けていた。

 あれからの地球の暮らしはどうだとか、セリーヌのトレジャーハントの近況だとか。そしてボーマンがここぞとばかり娘のエリスの話を始めた時には、いよいよこの時が来てしまったかと全員が顔を歪めるのだった。

「でだな、エリスは一歳になるとき既にトリカブトとマンドレイクを覚えてたんだ。話によるとこの時期で単語を覚える赤ちゃんはめちゃくちゃ成長が早いらしく…………」
「……なんでわざわざ、そんな危ない薬草を子どもに渡したんだ?」
「ん? 別にいいだろノエル? エリスが手に取りたそうだったから渡しただけだぜ。それでだな……」

 子供の自慢というのは言っても言っても尽きないものなのだろうか。何かを話せばそれに呼応するかのように関連する別の話が芋づる式にどんどんどんどん溢れてくる。

 ノエルだけは相槌を打って聞いているものの、他の人間はいい加減彼の長話にうんざりしていた。しかしボーマンは終始満足気な顔で話し続けており、それを止めるのもなんとなく気がひけるわけであって……

「アシュトン。あんた、しょっちゅうこんな話に付き合わされてたわけ?」

 プリシスがこそっとアシュトンの耳元に口をよせ、その部分を手のひらで覆い隠しながらひそひそと話す。頻繁にこのような話をされようものなら、間違いなく彼女は耐えることなどできないだろう。

「ま、まぁね。エリスちゃんが言葉をこんなに早く覚えるのは天才の俺様似だからだっていうこの話、既に10回くらいは聞いたさ。おかげでもう慣れちゃったよ」

 久しぶりに間近で見たプリシスの顔に少しドキッとしたアシュトンだったが、できるだけ動揺がバレないように平静を装う。「ほんとに同情するよ!」と小声でぷんすか怒る彼女も、それはそれでまた可愛いなぁと思うのであった。

「そ、それはそうとアシュトン………?」

 ボーマンのマシンガントークの合間を縫うよう、セリーヌが無理矢理アシュトンに話を持ちかけた。恐らくこうでもしなければ、既に額から湯気がもうもうとたち昇っていたレオンは数秒後に発狂するところだろう。

「ラクール武具大会では、確か後日に団体戦が催される予定だったのではなくて?」
「あ………うん、そうだよ………」

 突如切り出された話題に対し、そういえばと思い出したように人差し指を立て、アシュトンはそう返事をした。

「来週くらいに、5人1チームでトーナメント戦が行われるんだよ。今年から新しく開催されるんだって」

 従来のラクール武具大会は、一日で決勝まで全てのトーナメントが終わるものだった。だが今年からは、“個人の強さだけではなく、チームプレイの良さも競い合わせてはどうだろうか?”というコンセプトのもと、新しく“団体戦”たるものが発足していたのだ。

「さっきの紋章剣士の人が参加するかもしれないから、セリーヌさんと事前分析を済ませた後で観戦しに行こうと思っていたんだ。来年の武具大会に備えてね」
「えっ。また戦う機会があるの!?」

 こんなことはプリシス達にとって初耳である。

「え? そ、そりゃ、そういうことになるけど………でも団体戦だよ? 人数が……」

 おずおずとアシュトンはそう答える。それを聞いたプリシスは「もう……」と口を尖らせて溜息をつくと、がばっと両腕を広げたのだった。

「鈍くさいわね。周りを見てみなさいよ!!」
「へっ!?」

 つられて声を漏らしたアシュトンの目には頼もしそうに笑う4人の仲間、そして隣で頬を膨らませるプリシスの姿が映った。

「ここにみんながいるじゃん!! 忘れたの?」

 プリシスは手を仲間に向けて広げた。

「そうだぜアシュトン! 今は俺も含めて6人だ!」

 椅子に思いきりもたれ掛かりながら自身を親指でさすボーマン。その隣ではノエルもうんうんと頷いている。

「だ、だけどさ。プリシスやレオンは地球での仕事が忙しいんじゃないの? ほら、プリシスだってよくメールで「しんどいしんどい」って送ってくるし………」

 プリシスが毎日多忙であることは、頻繁にやり取りをしていたメールの文章から十分に読み取れる内容だった。実はそれを心配し、アシュトンはあえて団体戦への協力要請を皆に言わなかったのだ。

 当然レオンやノエルも同じような状況だと考えられるわけであり、自分の我儘に付き合ってもらうことは彼女たちに相当な無理を強いてしまうことになる。

「そんなのさ。有給休暇とればなんとかなるよ」

 肘をテーブルにつけた状態のレオンは、そう言って顎を手のひらに載せた。

「有給……休暇?」
「地球では、労働者は任意で指定日数分の休暇をとれるんだよ」

 地球を知らないアシュトンにレオンが説明を加える。

「そうですよ。私も生徒達に適当に単位を与えれば済む話ですし」

 平然とそう言ってのけるノエル。一人の先生としては問題発言かもしれないが、生徒は大喜びだろう。お互いwin-winとはこのことである。

「そうだよ。アシュトンが困ってるんだったら、あたしだって全力で協力するし、みんなだってそう。それが仲間ってもんでしょ?」

 本心なのか、それとも照れ隠しなのか、強い口調でプリシスはそう言った。

 レオンも少しそっぽを向いている。“友情”や“仲間”だのといった少しクサい言葉に、レオンもまた胸がくすぐられるような照れ臭さを感じているようだった

「みんな……本当にいいの? こんな僕のために……」

 それを聞いたアシュトンは、じーんと目頭が熱くなるのを感じながらも、がばっと席を立ち上がり口を開く。その言葉に一同は、

「あったり前じゃないですの!!」
「おうよ!! ついでにエリスにいいとこ見せてやるぜ!!」
「任せてください!!」
「ったく。世話が焼けるなぁ……」
「もっちろん!」

 と声を重ねて返事をするのだった。

「ギャフ、フギャ(おい。良かったな!!)」
「フギャギャフギャ、フギャフギャ(我々も奴を倒すために協力しよう。やられっぱなしでは気が済まんのでな……)」

 背中の双頭竜も、ガラガラの声でアシュトンに話しかける。

「うん、そうだね……」

 アシュトンは片方の手で二頭を撫でながら、もう片方の手で折れた双剣を握りなおす。

(僕一人の力だと、こんなものかもしれない。けれど……)

 アシュトンは、早くも戦いの抱負を口にしだす仲間たちに目をやった。

(もっと……みんなを頼ってもいいよね……?)

 次は、美しい剣のまま。絶対に折れない“友情”という名のもとに戦い抜く。そんな思いで、まばゆく輝く右手剣と仲間達を照らし合わしたのだった。





 その日の夕方、ボーマンだけがいったん山を下り、リンガ自宅へと帰宅することになった。彼に娘が産まれてからというもの、ニーネに決められていた門限はさらに厳しくなったようである。

 残りのメンバーであるセリーヌ、プリシス、レオン、ノエルはアシュトン宅に一泊することになり、明日の昼ボーマンの薬局前に再度集合、そこからラクールに入るという予定を決めた。

 大会登録は3日前まで大丈夫ということで、まだ一週間の猶予があった一行はもう少しリンガに滞在し続けても良かった。だが謎の紋章剣士の情報収集をラクールでしたいということ、および参加者にはタダで宿屋に泊まれるという特権にプリシスが食いついたため、結局ラクールでさっさと団体戦登録を済まし、現地で長期滞在しようということになったのだった。

「じゃあな」と手を振りながら小さくなっていくボーマンを軒先で見送り、一同は再び小屋の中に入っていった。






――――その日の夜――――


 飲み込まれてしまいそうな闇の中に、野生の梟が餌食を求めて鮮明な眼孔を散らす。バサバサとその羽音が一面に広がり、決して人間が表に出るようなことは許さない、そんなリンガの山中の夜世界。

 そんな中アシュトンは一人、小屋を出て剣を振り続けていた。仲間達はもう既に眠っているであろう時刻。だが彼は胸に強い決意を抱きながら、びゅっ、びゅっと鋭い剣音を鳴らしていた。

 ラクールの武具大会では、稀にだが死者がでることもある。これは大会が実戦となんら変わりないことを意味している。セリーヌやノエルなど術師が多い中、最前線で戦うことになるであろうアシュトンにはチームの防衛線として大きな義務があった。

 だが、仲間を守りながら戦うなど久々のことである。果たして上手く務まるのかどうか不安になったアシュトンは、こうやって剣を振り続けずには居られなかったのだった。

「やっ!!」

 はぁ、はぁとアシュトンの激しい呼吸の音と共に、鋭く出された一振りの剣は誰も居ない森に向かって静止した。

「ふう……」

 今日はここまでにしよう。そう思ったアシュトンはパチンと剣を納め、近くにあった手頃な岩に腰をおろした。目を閉じ風の音に耳を澄ます。そして今日一日で起こった様々なことを振り返りながら、リンガの夜との一体感を感じるのだった。

「ねえ?」

 そんな時、アシュトンの背後から声が聞こえた

「わ、わ、わわっ!?」

 びっくりして岩から転げ落ちたアシュトン。急いで背後を確認すると、そこにはプリシスが一人、こちらを向いてしゃがみ込んでいたのだった。

「ごめーん、いきなり後ろから声かけちゃったりして……」
「そんな、謝らなくてもいいよ。僕も油断してたわけだし……」

 アシュトンは服に付いた柔らかい黒土を払い落とすと、しゃがみ込むプリシスの隣に腰かけた。

「どうしたの? まさかベッドの寝心地が悪くて眠れなかったとか……?」

 アシュトンは小さな声でそう訊ねた。普段から来客もほとんど無いために、本音を言うと久々に使われるベッドが寝苦しくないか、少し心配だった。

「んんー……そうだよ」
「ええっ!? ごめんよ、直ぐに具合悪いところを直すから……」

 不安が的中し、慌ててそう返事をするアシュトン。

「ぷぷっ……」

 だがそんな、すぐに物事を真に捉えてしまうアシュトンの様子が面白おかしく感じたプリシスは、込み上げる笑いについつい吹き出してしまう。

「……うそうそ、冗談だよー」
「へっ?」
「ただ、なんとなく星が見たくなったんだ。だから外に出てみたら、アシュトンを見つけてさ……」

 そう言ったプリシスは背中を支えるよう両手を地面につき、そのまま夜空を眺めだした。

 夜間の明かりが殆ど無いエクスペルでは、紺のキャンパスに白い絵の具を点々と垂らしたように、埋め尽くさんばかりの星々がまたたいている。その中でもひときわ輝きを放つ月の光に頬を照らされながら、プリシスは

「地球だとあんま見れないんだよね。生で見たのは久しぶりだよ。ホントに……」

 そう、寂しそうに呟いたのだった。

「そうなの?」
「うん。地球はずっとずっと街が続いていて、夜でもすっごく明るくて。だから星は全然見えないんだ」
「へぇ、すごいところなんだね。全然想像できないな……」

 隣で聞いていたアシュトンにとっては当たり前なはずの、満開の星々。だがその常識すら無い場所に、プリシスがずっと身を置いている。

 アシュトンは自分とプリシスの距離がまた開いてしまったことをひしひしと痛感し、切なさが込み上げてくるのだった。

「ねぇ、アシュトン?」

 少し元気の無いアシュトンに、プリシスが静かに声を立てる。その突拍子な一言は、まるでずっと発したかった台詞を言い出すタイミングを図っていたかのようだった。

「ん、なんだい?」

 彼女に同調して星を眺めていたアシュトンも、プリシスの方を振り返る。

「あのさ……」

 少しためらいがちなプリシスだったが、数秒して少し俯くと、朧に言葉を続けた。

「実はあたし、地球にいて、そこでアシュトンとしばらく会えなくて、すっごく寂しかったんだ……」

 突然放たれた、小さな小さなその言葉。いきなり胸中を伝えられ、アシュトンの身にぴりりと緊張感が走った。ごくりと唾を飲む音が喉奥から漏れる。

「よく地球とエクスペルに居ながら画面上で連絡したりしてたじゃん、あたし達? でもさ、やっぱ実際会って、こうやって話してみるとね……やっぱ違うもんだなーって思った。一緒に旅してた時には考えもしなかったんだけどね……」
「そ、そうなんだ……」

 アシュトンがそう答えると、プリシスは虚ろな瞳で彼を見た。直視しているわけではなく、少し視線の先とアシュトンを外している。だが確かに彼女の視界に彼の姿は入っていた。

「……アシュトンはどうだった?」
「えっ?」
「アシュトンはさ、あたしと会えなくて寂しかった? それとも、もう何とも思わなかった?」
「………」

 彼女の真剣な顔を見たアシュトンは、これは上辺の答えではなくて、ホントの言葉を探して答えないといけない質問だと、そう理解した。

「……ごめんね? ちょっと会えないくらいで弱音吐いちゃったりして……」

 そんなアシュトンの様子がプリシスの目には返答に困っているように映えたのか、彼女は必死でこれまでの言葉を繕い始める。

「なに考えてんだろ? あたしったら、こんなんだから……」
「……僕はずっと信じていたよ、プリシス」

 だがアシュトンが放ったその一言に、呂律の回らなかったプリシスの口が止まった。

「ずっと会えなくて、いつ会えるのかも分からなくて、辛くないはずがないよ」
「ア、アシュトン……」
「2年前に君と約束したよね? これからもずっと頑張っていこうって」

 エディフィスでの戦いを終えた二人は、小さな小さな約束を交わしていた。二度と悲劇が起こらない銀河を実現するために、連邦の軍人として活躍したいと打ち明かしたプリシス。そしてその夢をいつまでも応援し続けると言ったアシュトン。

「僕がずっと頑張っているのも、早くエクスペルが銀河連邦っていうのに認められる平和な星になってほしいからなんだよ。そうすれば、いつでもプリシスに会いに行くことができるようになる」

 それがいつ実現するかは分からない。だがこれが、アシュトンがエクスペルで頑張る原動力だった。

「だから今はお互いに励ましあいながら、一歩ずつ進んでいくんだって決めたんだ。プリシスの顔を通信機で見て、それでいつか君に会いにいくんだって奮い立たせて……」
「……なんか偉そうなこと言ってるけどさ、要するにアシュトンも、結局あたしに会えなくて寂しかったみたいじゃん?」

 じっとアシュトンの瞳を見つめて彼の話を聞いていたプリシスだったが、いきなり拗ねたような態度でそう言い返したのだった。その言葉にアシュトンはぎょっと肩をすくめる。

「ま、まぁ……まとめればそう言うことになるの……かも……」

 凛々しかった口調が、途端にいつもの彼に戻り弱々しくなる。

「もうっ、しっかり答えてよねー!」
「ご、ごめん、プリシス……」
「ほんっと、相変わらずくどいんだから……」
「うう……」

 アシュトンはさらに委縮してしまう。背中の双頭龍はお互いに顔を見合わせ、情けないご主人の姿に溜め息をつく。

「……でも、ありがとう。嬉しいよ」

 プリシスはもごもごとそう呟くと、その細い指で大地に根付く雑草をぷちぷちと抜き始めた。

 ころころ変わる彼女の態度に、アシュトンはプリシスがどういう心境で自分に語りかけているのか全く見当がつかなかった。それでも彼女がこの場に居続けてくれているということを、決して悪く思ってるわけでもなかった。

「この何年かでクロードもレナもレオンもみんな変わっちゃったけど、アシュトンだけは変わんないね」
「そ、そんなー。自分じゃ結構変わったつもりでいたのに……」
「あはは、そうだったんだー。残念だねー、全然だよ!」

 プリシスは手に付いた草の夜露をそのままそっと頬に塗りたくる。こんな夜中に水滴がついたらさぞ冷たいだろうが、火照った彼女の頬にはそれが丁度いいらしい。

「……ほんとによかったよ。ずっと、ずっと変わらないでいてね、アシュトン。あたしを置いていかないでね?」

 次々と時代の波に飲まれるように、かつての仲間たちは様変わりしてしまった。そんな中でも決して変わることのないアシュトンは、プリシスにとって大きな心の拠り所であり続けてほしかった。

「……うん、わかった。約束するよ……」
「……へへっ、ありがと」

 その言葉を受けたプリシスの表情に笑顔が戻る。彼女が笑ってくれたこと、そしてそれを見ることができたこと、それが今のアシュトンにとって何より嬉しかった。

「っていうか結局なにをしても、プリシスには「変わってない」って言われそうだけど」
「ま、それがアシュトンの良いところってことだよ!」

 そう言うとプリシスは、アシュトンの背中を何度もポンポンと叩くのだった。クロードに比べると細身な彼だが、それでも今プリシスの手のひらに伝わってくるアシュトンの胴体の感覚は、他の誰よりも強く、そして頼もしく感じられるものだった。

 我儘だとは分かっている。けれど、どうかアシュトンにだけは、自分に向けてくれたその想いと共にこれからも変わらないでいてほしい。プリシスはそんな願いを込め、目を細めて彼の横顔をちらりと眺めたのだった。





「ふふん、お互い20代だというのに、なんて初々しいことなのでしょう……」

 カーテンの隙間から、陰湿な視線を送る一人の女性。その正体であるセリーヌは、アシュトンとプリシスのやりとりを小屋の窓から終始観察していた。二人の間になにかあるたびに、一人にやついたり、笑い声を堪えたり……

「まったく悪趣味だよね? セリーヌも」
「ひ、ひいっ! ……レオン!?」

 そこに、先ほどアシュトンがプリシスにされたことと同様に、しかしこちらはわざと驚かすかのような声でレオンがセリーヌの背後から声をかけた。レオンの思惑通り、観察に夢中だったセリーヌから寝耳に水といわんばかりの反応が返ってくる。

 金切り声に近い叫び声が鳴り、同時に驚いたセリーヌの手が窓ガラスに勢いよく触れてしまったため、ガタンという音が夜中にしてはありえないくらい不自然な響きを奏でる。

「お、おバカっ! あの二人にバレちゃうじゃありませんの!?」

 声を殺してセリーヌがレオンに怒声を送る。せっかくいいところだったのに、今の音で自分の盗み聞きがプリシス達にバレてしまっては、後からどのような仕打ちを受けるか分からない。

 一方のレオンはしらっと腕を組み、セリーヌのその向こう側を眺めていた。それを見たセリーヌもハッと振り返ると、プリシスとアシュトンが不審そうにこちらに向かってくる姿が窓越しに目に入ったのだった。

「や、やばいですわ! 早く寝たフリをしませんと!」

 手のひらで口を抑え、冷や汗混じりでセリーヌは自室のベッドへとダッシュする。もちろんレオンに怒りの眼光を効かすのを忘れずに。

 言葉はなくとも、「明日覚えていらっしゃい!」とヤキを入れるセリーヌの叫びが伝わったレオンも、「僕もこのままじゃヤバいね……」と呟くと、そそくさと部屋を後にしていった。

 ちょどそのとき、ドアを開ける音とともにアシュトンとプリシスの声がセリーヌ達の耳に入ってくる

「ほら。もうみんな寝静まっているよ。やっぱり気のせいだったんだって」
「むー……そうだったのかなぁー?」

 小屋に帰ってきた二人の声を確認しながら、レオンは毛布をぎゅっと握りしめた。耳を澄ませば、アシュトンとプリシス独特の口調で進む会話が聞こえてくる。

 レオンがセリーヌを驚かしたのは、実はセリーヌにイタズラをするためでは無く、アシュトンとプリシスにちょっと水を差そうと思いついたからだった。

 叶うならば、レオンもリヴァルとエディフィスの星空を眺めたかった。だから本音を言うと、彼にとってさっきの二人の光景が羨ましかった。アシュトンの不幸なんか自分と比べたら些細なものだと感じられ、本当に不幸なのは自分なんだと暗に伝えくなってくる。

「僕も大人にならなきゃな……」

 カチャ、と音がして、部屋にアシュトンが入ってきた。どうやら彼もそろそろ眠りにつくようだ。

「二人ともよく寝てるなぁ……」

 呑気にそう言いながら、アシュトンはベッドで横になるレオンとノエルを見つめている。そんな彼の視線を不快に思いつつ、レオンはそのまま寝たふりを続けたのだった。





「よっ、よっ、よっと」

 午前10時頃。太陽の照りつけが徐々に増し、少しずつ暖かさが増してくるリンガの町。

 そんな木漏れ日を浴びながらボーマンは一人、自分の店の前で準備体操を行っていた。体の筋を伸ばしたり、関節を柔らかくしたり。数日後の実戦に備え、今から少しでも体を作っておくつもりだ。

「もう俺もそろそろ年だしなぁ。体がきちんと動くのかちょっぴし不安だぜ」

 一通り体操を終えた彼はそのまま戦闘の構えをすると、シュッシュッと軽いジャブを空に向かって撃つ。

「ふっ、ふっ」

 とても薬剤師とは思えないくらいキレのいい、綺麗な弧を描いたパンチが幾度となく繰り出される。さすがは学生時代に文武両道を貫いただけはあり、その美しい技に街行く人たちの視線が釘付けになった。

 次第に調子を上げていくボーマンは、徐々に軽いフットワークを交え、より本物の敵と戦っているような動きを見せる。額には少しずつ汗が滲み、息も少しずつ荒くなっていった。

「パパー。かっこいいー!!」

「よっ!」と跳び蹴りを入れて空を舞い、そのままスタッと地面に着地したボーマンに、二階の窓から黄色い声が向けられた。

「おっ! エリスか!」

 ボーマンが振り返ると、そこには妻のニーネに抱きかかえられた娘のエリスが笑顔でこちらに手を振っていた。

「はっは。そうだろそうだろ?」

 白い歯を見せ、ゆるんだ表情で手を振り返す。その顔つきの変わりっぷりに、先ほどまでボーマンに感心していた町人たちも「また此処の御主人は……」と呆れ顔になるのだった。

 ちょうどそんな親子のやりとりが薬局の前で繰り広げられているとき、4〜5人くらいの足音が向かってくる。

「おはよーボーマン!」

 同時にそんな張りの良い声がする。さっきまでボーマンを眺めていた町の人たちは、聞き覚えのあるその声に一斉に視線を集めた。

 この声あるところに事件あり。昔はそう言われていたほどリンガの人間にとっては迷惑だったこの声色も、ここ数年はぱったりと止んでしまっていた。だがそれでも、住人たちの記憶は簡単には薄れはしない。

「ん? あれはプリシスじゃないか?」
「最近どこかに留学してたって話だったけど、まさかまた戻ってきたのかしら……?」

 かつては町の元気印、もとい迷惑印だった少女が久々に姿を現し、彼ら住人は揃って目を見張ったのだった。厄介者ではあったが、長い間目にしなければ懐かしさが込み上げてくるものだ。

「おーう。ようやく来たか。グラフトにはちゃんと会って来たか?」
「とーぜん! 相変わらずアタシなんかよりも発明のことで頭いっぱいみたいだったけどね」

 父親の元を訪ね終えたプリシスはそう言って苦笑いを浮かべた。

「どうする? 早速ラクールに向かうかい?」
「ん、そうだな。夕方までには着きたいところだし……」

 ボーマンはそうノエルに返事をすると、再び窓に居るニーネとエリスの方を振り向き、

「そんじゃ、ちょいくら言ってくるわ! すまないが店を頼む!」

 と、大きな声で言った。

「いってらっしゃい! パパ!」
「あなた、頑張って。試合はできれば見に行くから。けど、無理はしないでね……」

 元気な娘の声と、夫を見送る心配そうな婦人の声が帰ってくる。夫のことは信頼しているが、いろいろと首を突っ込みがちなボーマンは突拍子もなく危険に飛び込もうとすることもまたニーネはよく理解している。

 だがそれを妨げてしまうと彼の輝きが失われてしまうため、ニーネは言いたいことを最小限に抑えつつ、できるだけ暖かく見届けるよう心がけていた。

「心配すんなって! んじゃ!」

 そう返事をするとボーマンはアシュトン達の方を向き、

「それじゃ、行くぜ! いいかお前ら、絶対優勝するぞ!」

 メンバーをまとめる、威勢のいい一声。

「えい、えい、おーー!」

 他の仲間もそれに呼応し、高々と拳を宙に向けた。小さな戦いではあるが、これから仲間と共に敵に向かうことになる。掛け声をすることで絆を深くすることは大切だ。

「みんないい歳して寒いことするねー」
「あらレオン? 何か言いまして?」
「いいや別に。それじゃ早くラクールへ行こうよ」
「……ほんと、レオンったら………」

 かくして一致団結した一行は、ラクールへと出発したのであった。