29.第二章 第九話




 石灰質の岩がごろごろと転がる傍らには、微量の木々がぽつりぽつりと生えている。もともとリンガの周辺は栄養分に乏しい土壌が続く山岳地帯が広がっているため、アシュトンの小屋へと向かって歩き続ける一行にとって、植生の少ないその道のりの見通しは非常に良いものだった。

 アシュトンはリンガの聖地の近く、小高い岩山の中腹に住居を構えていた。

 背中に二匹のドラゴンを背負った男が人里で暮らせるわけがなく、仕方なしにこのような場所を選択したアシュトン。普段は放浪で留守にしていることが多いとのことだが、セリーヌに届いたメールによると武具大会以降はしばらく自宅に滞在する予定らしい。

「ふへー…疲れたー……」

 そんな彼の小屋を目指す一同であったが、その途中でへとへとに疲れ果ててしまったプリシスが、大きな息をついて地面にぺたりと腰を下ろした。ただでさえ急な山道なのに、その道中の風景に何の変わり映えも無いことが疲労に拍車をかけたようである。

「僕も疲れたよ。まだ結構距離があると思うと、やんなっちゃうね」

 ぐいっと腕で額の汗を拭き取り、軽く息をつくレオン。

「二人とも情けないですわね……」
「そうだぞ。おまえらがこの中で一番若いってのに、俺を見習え!」

 この中で一番年上であるボーマンが一番ぴんぴんして見える。いまだ汗一つかくこともなく、この男はレオンとプリシスの体力の無さを情けない目で見つめるのであった。

「まー、地球に住んでると運動不足になるからねー」

 足を揉みほぐしながらそう言うプリシス。ここのところ彼女の運動といえば、せいぜい自宅から地下鉄の駅までをウォーキングするくらいだった。山道を歩くことも昔は楽勝だったはずだが、今では体に鞭打つ思いである。

「っていうか、ノエルはなんでそんなに元気なのさ? あんま運動してるって話聞かないのに…」
「僕は普段からよく山岳調査などを行ってますからねー」

 プリシス達とは対照的に、彼女らと同じ地球に住んでいるノエルはあまり疲れた素振りを見せていなかった。話によると定期的に山登りをしているようで、実は普段から結構足腰が鍛えられているらしい。

 定期的な運動が大切だということは、地球では耳が痛くなるほど聞かされてきた。自分もそろそろそういうことを意識しなければいけないなとプリシスは思うのであった。

「……しっかし、リンガも平和になったもんだよね」

 プリシスの隣で休憩がてら座り込んでいたレオンが、じろじろと辺りを見回す。

 かつてこの地には山ほどの魔物がいた。その中にはソーサリーグローブの影響で凶暴化してしまった、一般人の手に負えないような猛獣も含まれる。そのため以前ではこの山に入ることさえ誰もしようとはしなかったものだ。

 しかし今日に至るまで、その数は確実に減少していることは間違いないらしい。ここに着くまでにも精々5〜6匹、しかもすぐに逃げ出してしまうような魔物にしかレオン達は遭遇していなかった。

「まぁ、確かに昔と比べますとねぇ……」

 4年前にクロード達と共にこの場に来たセリーヌは、まだ未熟だったこともあり一戦一戦が命懸けだった。だが当時の過酷な状況に比べると、今は逆に物足りなさを感じるくらい簡単に魔物を蹴散らせてしまうことができる。

「平和って素晴らしいことですけど、なんだかすぐに飽きてしまうといいますか……」

 そう言いながら、んんっと伸びをするセリーヌ。

「なんだか生活に張り合いがないというか、新しい刺激が欲しいと思うことも最近多々ありまして……」

 その時、一行の背後からカサッと音がした。同時にはっと振り返るレオン達。

 だがそこに居たのは魔物ではなく、二匹の小さなタヌキだった。そそくさとセリーヌ達から逃げ出すその姿を見て、その場にいた全員が複雑な気分になる。やはりセリーヌが言うことも、あながち間違ってはいないのかもしれない。

「クロードも最近さ、「平和ボケ」、「平和ボケ」ばっかり言ってるよ……」
「贅沢な問題だよな……」

“平和”が嫌いな訳ではないし、それを否定することもない。

「まあ、こんな難しいことを考え込んでいてもキリがありませんし、空気が悪くなる一方ですわ。アシュトンの家まであと少しですし、行きますわよ。みなさん!」

 微妙なムードを払拭するかのように、セリーヌがすっと前に進み出た。

「えー。もうちょっと休憩しようよー」

 プリシスは気だるそうに文句を垂れる。まだ彼女の前髪は汗でしっとりと湿っていた。

「我慢しなさい。おいていきますわよ」
「……はーい、分かりましたよーだ」

 セリーヌは自分の我儘をこれ以上聞いてくれないと判断したプリシスは、棒読みのように嫌味ったらしく返事をすると、みんなの後を追うようにぽてぽてと歩き始めたのだった。





 リンガのむこう、誰も近づかないであろう山地の奥。こんな場所に人が住んでいるなんて誰も考えもしなさそうな、そんな場所。

 アシュトンは一人、大人の身長ほどの高さはあろうかという岩石の上に立ち、ごにょごにょとなにやら呪紋を唱えていた。

「…………………〜〜〜〜」

 その言葉に反応するかのように、様々な色をした紋章がアシュトンの腕に現れる。だがその輝きは弱く、所々模様が欠けているものもあった。

「……サンダーストーム!!」

 ぱちっと目を開き、凛々しくそう叫んだアシュトン。しかし…


――――……バチッ!――――


 本来ならそこに現れるはずの雷撃は全く姿を現さず、ただアシュトンの手に静電気のような火花が散っただけだった。

「あいたたっ!」

 その衝撃にびっくりし、バランスを崩したアシュトンはそのまま岩の上から転げ落ちる。いわゆる不完全、失敗した紋章術である。さっきまでの凛々しさはどこにいったのやら、情けない顔つきでアシュトンは地面に落ちた衝撃で強打した腰をさする。

「また失敗だよ……」

 そう呟いてがくっと頭を垂らす。この様子だとこれまで何度かこの呪紋を練習したようだが、それも全て失敗に終わっていたのだろう。

「どうして上手くいかないんだろう……?」


「サンダーストーム!」



――――バリバリバリッ!! ――――



 アシュトンが溜め息を漏らしたとき、いきなり呪紋を唱える甲高い声がアシュトンの耳に入る。そしてそれと同時に、さっきまで悪戦苦闘していた紋章術が目の前で弾けるように現れたのだった。

 空を裂くような音が響き、焼け焦げた地面の石がパチパチと弾け飛ぶ。

「うわわっ!!」

 突然の爆音に驚いたアシュトンは後ずさりをしたものの、即座に自分の双剣を取り出すと、「だ、誰だ!?」と周囲を見渡した。

「……呼び出されて来てみれば、まさか剣を向けられてお出迎えされることになろうとは、思いもしませんでしたわ」
「……セリーヌさん!?」

 焦げた大地からくすぶった煙が込み上げる中、腕を組んだセリーヌがそこには立っていた。

「び、びっくりしたじゃないか!」

 敵の襲来と勘違いしていたアシュトンは、取り越し苦労だったよと呟きながら剣を納めると、てくてくとセリーヌの元へと歩いていく。

「貴方が苦労していたようですから、目の前でお手本を見せて差し上げただけですのに」

 にやにやと笑みを浮かべながらそう言い放つセリーヌ。

「う……もしかして、僕が失敗したの見てた?」
「ええ、ばっちりと」
「うわぁ、恥ずかしいとこ見られちゃったなぁ……」

 アシュトンはちらりと足下を見た。草木が完全に消滅していれところを見る限り、セリーヌは結構本気でサンダーストームを放ったようだ。

「で、でも……いきなりこっち向けて撃つことはないでしょ!!」
「まあまあ、別にいいじゃないですの。ちゃんと避けられるように撃ちましたし、それに……」

 ここで一旦間をおくセリーヌ。

「それにもう、武具大会みたいな目に合うのは嫌なのでしょ?」
「……!?」
「それを相談したくて呼んだのではなくて?」
「ま、まぁそうなんだけど……」

 ここに呼んだ理由を何故かセリーヌが知っていることにアシュトンは戸惑う。武具大会の件に関しては、一切セリーヌには話していないはずだった。

「セリーヌさん、なんで武具大会のことを知っているんですか……?」
「すまんアシュトン、俺が言っちまった……」

 そこにセリーヌの後ろから、屈託の無い笑顔のボーマンがぽりぽりと短髪を掻きながら登場した。

「ボ、ボーマンさんまで!? なんでここに?」
「とりあえず暇だったところに、セリーヌが俺の店に立ち寄ったからな。話を聞いたら面白そうだったから、俺もついでに来ることにしたんだよ……」
「じゃーん! アタシたちも一緒だよー!」
「プ……プリシス? それにレオンとノエルさんまで……」

 ボーマンが話し終わる前に、アシュトンは自分にかけられた声と、目の前に現れた女性の姿に表情が満面の笑みへと豹変した。

 同じく久々の再会であるはずのノエルやレオンには目をくれようともせず、そんな彼の態度を見てセリーヌとボーマンはついつい顔がにやけてしまう。

「やっほーアシュトン! 元気してた?」
「え、えっと……うん! すっごく元気にしてたよ!」
「そーなんだ。相変わらず頑張ってるらしいねー」
「うん、プリシスも……っていうか、なんでここにいるの?」

 アシュトンはしどろもどろしながらも、整理の追いつかない頭をフル回転させプリシスに訊ねる。

「あー、それはね……」
「それは俺が用意したゲストだからだ!」

 プリシスが答えるより先に、ボーマンがそう言ってアシュトンの肩へがばっと腕をかけた。

「へっ……!?」
「アシュトンお前、武具大会でのリベンジを果たすため紋章術を学びたいんだろ? だから俺が連れてきてやったのさ。こちらも紋章術のスペシャリスト、レオンとノエルをな!」

 ボーマンは大きな声でそう言うと、少し遠くで欠伸をするレオンと、道端にいたウサギを撫でていたノエルを指差したのだった。

「……ちょっと違うけどそういうことさ、アシュトン」
「お久しぶりです」

 今までアシュトンから興味を持たれていなかったノエルとレオンが、初めて彼に声をかけた。アシュトンは未だプリシスに会えた興奮覚めやらぬ様子だったが、なんとか冷静を取り繕おうとする。

「やあ、ノエルさん、それにレオンも久しぶり! 背がまた伸びたね!」
「成長期だからね。それよりアシュトンこそ元気そうで何よりだよ。ギョロとウルルンもね」
「ギャフギャフー!!」

 レオンがアシュトンの背中にいる双頭龍をなでてやると、二匹とも機嫌がよさそうに唸り声を上げるのだった。

「武具大会の話、ボーマンから聞いたよ。とんでもない紋章剣士がいたんだって?」
「う、うん。とんでもない……ってことはないかもしれないけど。僕の実力不足だったのかもしれないし……」
「そんなことないさ。あのディアスも負けたんだからな。相当な使い手には間違いないぜ」
「そ、そうなのかなぁ……?」

 ボーマンは実際に大会を見ていたからこそ、そう言い切れるのだろう。

「そうだ。みんなせっかく来てくれたんだし、とりあえず家の中に入ってよ。ぼく何か美味しいものをご馳走するから!」

 何やら話が長引きそうだと察知したのか、アシュトンはそう言ってここにいる皆を一旦自分の小屋へ案内すると言い出した。確かに足場の悪い岩場にずっといると疲れる。どうせならテーブルに料理を囲んで話をしたいものだ。

「あ! アシュトンのごはん食べたい! まだ食べたこと無かったんだよね、アタシ!」

 それを聞いたプリシスが、ぎゅっと指組みをしてアシュトンに言い寄る。

 レナやチサトと並んで料理上手、かつては万能包丁片手にパーティの台所役として重宝された彼はここ最近でさらに腕を上げたらしく、それを食べたセリーヌやボーマンからの写真がプリシスの元によく届いていた。その度に彼女は、こんなにおいしそうなものを食べられるエクスペル一行が羨ましく思えていた。

「そう! 僕もプリシスにいつか食べてもらいたかったんだ!」
「やったー! ほんじゃ、早く早くー!」
「よーし、がんばるぞー!」

 プリシスに背中を押されながら小屋へと向かうアシュトン。その綻んだ笑顔が微笑ましい。未だ彼にとって、プリシスのお願いは不可抗力なのである。

「まったく、お調子者ですわね……」
「そりゃどっちの話だ、セリーヌ?」
「そんなの両方ですわよ、両方!」
「ぶははは、間違いねーな!」

 セリーヌの発言にボーマンが声をあげて笑う。

「こりゃアシュトンの奴、気合い入ってるだろうな。さ、俺たちも中に入らせてもらそうぜ。行くぞ、ノエル」
「そうだね。やっぱりここまで歩くのは結構疲れたし、ゆっくりさせてもらおうか」

 小屋のドアを開けるアシュトンとプリシスの姿を目にすると、ボーマンたち一行も二人の後に続いてアシュトン宅へと向かうのだった。

「はぁ……僕とノエルさんが紋章術のアドバイサーなら、プリシスはアシュトンの活力剤要員だね、こりゃ」

 その後ろからついて行くレオンがぼそぼそ呟く。最後に会ってから2年たっても、アシュトンはなんにも変わっていなかった。プリシスが居るとこうも元気になるものかと、自分より6つもこの年上な青年に呆れた眼差しを送るのだった。





「うわっ、すっごくおいひー!」

 口いっぱいに料理を詰めたプリシスの幸せそうな声が居間に響く。

「こればっかりはさすがだね、アシュトン。正直予想以上だよ」

 テーブルの上には、まぁよくもこれだけ作ることができたなと言わんばかりのフルコース料理が並べられていた。アシュトンの作ったそれらは、美しい見栄えめさることながら味も天下一品であり、あれほど毒舌なレオンも褒めざるを得ないくらいだった。

 バリエーションも豊富であり、カルパッチョやパエリア、ステーキの果実ソースといった洋風料理からシュウマイ、バンバンジーなどの中華料理、果ては白身魚の煮付けといった和風料理まで勢ぞろいしていた。これら一つひとつには、アシュトンが独自に思いついてきた様々な工夫が凝らしてある。

 不運にもここに集まったのは味オンチなメンバーばかりなため、それに気づく人は居ないかもしれない。しかしそれでも、みんなが美味しそうに食べてさえしてくれれば、アシュトンにとってはそれでよかった。

「ほんとに素晴らしいですよ、アシュトン。前に冗談でお店を持てるなどと言ってしまいましたが、本当にいけますね、これは!」

 笑顔でぱくぱくと料理をたいらげるノエル。エクスペルで暮らしていた頃には時々ここにお邪魔して彼に料理を御馳走してもらっていたが、その当時からさらにアシュトンは腕を上げていた。これは決してお世辞ではなく、地球の下手な料理屋などに比べるとずっと美味しいと本当に彼は感じていた。

「いやぁ、それほどでもないよ。最近ではようやくマトモなものが作れるようになったと思っているし……」

 照れ隠しのつもりだろうか、アシュトンは謙虚を装うかのように笑う。だが、“マトモなもの”の基準は人それぞれだ。

「ふーん。これでようやくマトモなんだね……」

 プリシスはフォークに差したステーキをぽいっと口の中に放り込んだ。口に広がる味には、レナが地球で作るものとはまた違う、惑星エクスペルの素材の味というか、どこか故郷の味をプリシスは感るのだった。

「マトモどころか、毎日食べたいくらいだよ」
「えへへ、そこまで言ってくれると作った甲斐があるよ。ありがとう!」

 アシュトンは照れたように、プリシスに向けてそう言う。

「こうして大勢で食べるってのも、なんだかいいね。ずっと一人で食べることが多かったから……」
「アシュトンったら一人で食べるのに、こんなたくさんの食べ物をいつも用意してんの!?」

 プリシスが目を丸くして驚く。

「今日はたまたまだよ。ちょうど武具大会が終わって、久しぶりに頑張って作りたいなって思ったから色々と買いこんじゃってて。……あ、でも普段からたくさん無いのかって言われたら、そうでもないかも……」

 アシュトンは説明に困ったようで、上手い言葉を見つけようと口調がたじろいでしまう。彼の話からするに、結局この小屋には常に多種多様な食材が蓄えられているようである。

「そうなの? 一人だと食べきれずに腐らせちゃったりしない?」

 レオンの疑問もごもっともだ。

「それは心配ないよ。だって……」

 そこまで言ってアシュトンは言葉を止め、自分の両脇からガツガツと肉料理をたいらげる二匹の龍に目をやった。そう、ギョロとウルルンは相変わらずの大食漢なのだ。

「あ、なるほど、そういうことだったんだね」

 これにはレオンも納得なようだった。旅をしていたころ、よくアシュトンがギョロとウルルンに食事を横取りされて拗ねていたことを思い出す。

「えっと……そういうわけで、とりあえずうちにはいっぱいご飯があるから、みんないつでも大歓迎だよ!」

 結局、まとめるとこういうことらしい。食費の問題などもあるだろうにそれで良いのかと不安にもなるが、彼もこの二匹の龍と共生してから4年目を迎えることもあり、ちょっと感覚が麻痺してしまっているのであろう。そんなアシュトンの不運を、一行ははなはだ不憫に思うのだった。





「さて……ところでアシュトン?」

 しばらくして全員がおなか一杯になり一段落ついたところで、スプーンをくるくる指で回しながらセリーヌが口を開いた。

 ここからがアシュトンの家に来た本当の目的である。決して料理をご馳走して貰うためではない。

「さっき言ってくれましたわね? 武具大会のことについて詳しく教えていただけると?」

 その瞬間、それまで和気あいあいで賑やかだった場の空気が落ち着いていく。いよいよ話題がマジなものに変わるようである。

「その……改めて確認するけど、結果は知ってるんだよね? みんな……」

 アシュトンは「えっと……」と頬を掻きながら皆にそう聞いた。

「ええ。ディアスと戦う前に謎の紋章剣士と戦って敗れたのですよね?」
「っていうか、おおかたは俺が言っちまったからな」
「そっか、そう言えばボーマンは大会に来てたんだよね……」

 アシュトンはそれからしばらくの間、口を開かなかった。彼にとっては苦い記憶なのだろう。

 だが、このまま黙り続けるわけにもいかない。それはアシュトン本人も分かっているようで、背中の二匹の双頭竜に背中を押されながら再び言葉を発した。

「……ごめんね。少し間を置いちゃって」
「別に大丈夫ですわ。無理もないことでしょうし……」
「そーだよ! アシュトンが負けたって話、アタシ達でさえも信じられなかったんだもん!」
「ごめん。でも本当にそうなんだ。一番信じられなかったのは僕自身だし……」

 そう言って一呼吸すると、アシュトンはガタッとイスから立ち上がる。そのまま部屋の隅にある棚の方へと向かい、そこの下から2〜3番目の段に置いてある一組の双剣を手に取った。

 見たところ、それはほとんど新品同然のようにみえる。鞘(さや)の皮細工や柄(え)の光沢も、全く衰えた様子が無い。

「これを見て欲しいんだ」

 その片方。左手用の剣をアシュトンは鞘からすっと引き抜く。その露わになる刀身を見た一同は、思わず顔が引きつった。

「こ、これは……」
「……なんてことですの」

 ボーマンとセリーヌに続いてプリシスも「なんなの、これ…」とこぼし、口を押さえる。

 そこには真っ二つに割れ、ぼろぼろに焼け焦げた刃身が姿を表していた。

「これは僕が大会で登録した剣なんだ。間違いなくラクール中の全ての武器屋の中で、最高傑作を選んだつもりだったんだ。僕が見る限りではね……」

 アシュトンはそう言うと、手にした剣をじっと眺めた。恐らくは今年こそディアスに勝ってやろうと、意気込んでラクール中を走り回って見つけたのだろう。

 だがその姿は完全に変わり果てていた。刀身を指でつつくとぼろぼろと黒い欠片が床にこぼれ落ち、粉状に床へと降りかかる。

「うわぁ、こりゃ完璧に酸化されちまってるな……」

 ボーマンが言うように、金属は空気によって酸化されると一般的に脆くなってしまう。このアシュトンの剣のようにだ。

「僕は試合開始とほぼ同時に、向こうからエクスプロードの爆風を受けたんだ……」

 肩でこくこくと頷くウルルン。恐らくはその時の凄まじさをしっかりと覚えているのであろう。

「僕は壁に吹き飛ばされたんだけど、なんとか意識は残っていてね。何が起こったのか理解できなかったけど、とりあえず体制を立て直そうとしたんだ」
「……なるほどね。それで?」

 レオンがアシュトンに聞き返す。

「そしたら……一刻の猶予も無く、向こうの姿が目に映ったんだ。僕に近づいてくる姿がね」

 そう言ってアシュトンは再び剣を眺めた。

「そして彼は僕に剣を振り下ろしてきたんだ。僕も必死でガードしようと、それを剣で受け止めたんだけど……この剣と相手の剣がぶつかる音を聞いたのが、僕の記憶の最後なんだ。それを境に意識が飛んだみたいだった…」
「………」
「そして気がついたら、僕は救護室のベッドで寝かされていたんだ。隣にいた係員に、僕は敗北したんだと伝えられたよ……」

 ここまで言い終わると、アシュトンは「こんなところさ」と口にし、コトリと手にした剣を机に置いた。焦げた部分と、そうでない部分の劣化具合が著しく違う。その対照的な姿が、どこか不気味に感じ取られた。

「アシュトンがこんなに一方的にやられてしまうのですね……」
「そうですね。身震いしてしまいそうです……」

 恐らく体力の無いセリーヌやノエルだと、最初のエクスプロードを受けただけでやられていただろう。もし自分がアシュトンの立場だと考えると、二人はぞっとしたのだった。

「うーん、なんかよく分かんないけど凄い相手だったんだね……。でもさ?」

 ここでプリシスは、アシュトンの剣を指さす。

「今のアシュトンの話だと、この剣がなんでボロボロになったのか、すごく謎だよね?」
「そう。それなんだ!」

 アシュトンはよく気付いてくれたと言わんばかりに頷いた。

「ん? それはエクスプロードに焼かれたんじゃなかったのか?」

 あれ? とボーマンが呟く

「いや。エクスプロードで炭になっていたのなら、そもそもそれを使ってガードなんかしないよ。僕を襲ったのは爆風だけさ」

 確かにその通りだ。彼はエクスプロードを受けて吹き飛ばされた後、体制を立て直そうとしたと言っていた。戦い慣れしている彼は、自分の武器の状態くらいは常に確認しているはずだ。

「ええ。それは火炎魔法で焼かれたような焦げ方ではありませんわ……」

 セリーヌは焦げた剣をじっと眺める。

「だってこの焦げ方は、電撃系の魔法独特のものですもの」
「電撃系……!?」

 セリーヌが発した言葉。それは一行にとって思いもよらない一言だった。

 その中でも特に驚いた様子のレオン。彼はアシュトンが気を失った時、再び火炎魔法を受けて剣が焦げたのだと考えていたからだ。だが専門家に言わせると、まさかの“電撃魔法”。そのような魔法を使われたとは一切聞いていない。

「それは本当に間違いないのか。セリーヌ?」

 ボーマンが確かめるように聞き返す。

「ええ。私の目に、狂いなどあるはずもございませんわ!」

 自信たっぷり、きっぱりと言い切るセリーヌ。今まで散々この手の魔法を放ってきた経験は、そう断言する根拠には十分だった。

「おっかしいな……」

 それを聞いたボーマンは、少し汗混じりになりながら口をおさえて考えこんだ。

「俺もアシュトンがエクスプロードを受けた後、剣撃をくらって気絶したのはしっかり観ていたんだ」

 そう言ってつんつんと自分の瞼付近を軽く叩く。

「だけどよ、稲妻とか閃光とか……そういった類のものは全く見てねえぞ!?」

 雷の魔法といえば、サンダーボルトやサンダーストーム。これらの魔法は詠唱と同時に炸裂音が鳴り響き、あちこちに電撃が飛散する。小屋に到着したばかりのセリーヌが放ったものがまさしくそうだ。

 そこまで派手な魔法なら、当然観戦していたボーマンが見逃す訳がない。だがそれでも剣は電撃によって焼き切られたというのは、セリーヌの話からすると紛れもない事実らしい。

「じゃあなんなんでしょうね? 向こうが使った手段とは……」

 うーんと考え込むノエル達。

「……これは私の推測にすぎません。多分アシュトンも薄々気付いてるのでしょうけど……」

 セリーヌはそう言うと、焦げていないほうの剣、すなわち殆ど汚れていない新品同様の右手剣を取り出した。

「この左手の剣は、ここまで局地的に焼かれていますの。それは剣に“雷”を乗せて攻撃されたから。こう考えるのはどうでしょう?」

 そう言ってセリーヌはカチンと音をたて、右手剣を左手剣の焼けた部分に軽く叩きつけた。

「アシュトンが気絶したのは、電流が剣伝いに流れたショックが原因と考えれば辻褄があいますし……」

 今から考えてみれば、剣と剣が触れただけでアシュトンが気絶したというのも、なんだかおかしな話だ。だがセリーヌの推測だと全て説明がつく。

 すなわち相手はエクスプロードでアシュトンを飛ばした後、とどめに電撃を乗せた剣撃をお見舞いした、というところである。

「そういえば……」

 アシュトンは思い返すように話しはじめた。

「確かに僕が気絶したとき、体全体に衝撃が駆け巡ったというか、なんというか。……確かに電撃と言われてみると、そうなような……」
「ほら。気付いてるじゃありませんの!!」

 セリーヌはぽかっとアシュトンの頭を叩いた。「あいたっ!」とアシュトンの叫び声が小屋に響く。

「僕もセリーヌの言う通りだと思うな。電撃魔法を使ったなら、剣は避雷針の役目をして先端から焦げていくはずなんだけど、ボロボロの左手剣でも先端は綺麗なままだろ」

 ボロボロになってしまった左手剣も、先端側の欠片は根元こそ焦げているが、鋩(きっさき)は金属光沢を残しており、窓から入る西日を綺麗に反射していた。

「となると、敵は武器に細工していたのですかね……?」
「そだね。雷の精霊の加護を受けた剣とか?」

 攻撃と共に電撃を与える。その方法としてノエルとプリシスが真っ先に思い付いたのが、いわゆる“武器”に何か仕掛けあるのではないか、ということだった。しかしその考えは間違っていると、すかさずボーマンから指摘が入る。

「おいちょっと待て! ラクール武具大会ってのはラクール製の武器を使うんだぜ? それはねぇよ!」

 彼の言うとおり、ラクール武具大会の目的の一つは、城下町にある各武器屋に各々の武器の出来の良さを競い合わせることである。よってラクール製以外の武器は使用禁止。前もって武器に何かを仕込んだりすることは不可能だということだ。

「ボーマンの言う通りですわ。たぶん武器は普通のものを使っていたと思いますの……」

 ここでもセリーヌが持論を展開する。

「だから向こうは自分の実力……すなわち紋章術を武器に乗せる能力を身につけた者だった。こう考えるのはいかがでしょう?」

 先述のラクール武具大会でこのようなことを起こせるのは、セリーヌの考察が一番しっくりくる。それはアシュトンが得意とする、武器に紋章術を添加させるというものだ。

 だが彼が出来るのは氷や風という簡単な魔力の付加のみであり、強烈な電撃を剣に乗せるほどの実力は無い。アシュトンやディアスを倒した男がいかに強いかがよく分かる。

「なんて奴だ……」

 久々に聞く、未知の強さを持つ者。

「そんな奴と僕は戦ってたのか……」

 そんな能力が来ると知っていれば、アシュトンはもっと善戦できたであろう。だが普通は相手の能力なんて分からないもの。それは相手とて同じだ。

 要はアシュトンが実力で負けたも同然だということ。自分の力不足が悔しくなり、アシュトンは小声で「くそっ!」と呟いた。

「けれども、ここまでは単なる仮説に過ぎませんわ。やはり、まずは直接相手をしてみませんと………そういえば、その相手のお名前は?」

 大事なことを聞き忘れていた。そう言わんばかりにセリーヌがアシュトンに尋ねる。その使い手の名前、それをまだ一行は聞かされていなかった。

 もし名前が判明すれば、エクスペル中を探して見つけ出すことが出来るだろう。

「え、えっと……」

 それを聞かれたアシュトンは、ふいっと顔を上げてしばらく記憶をたどる。しかし返ってきた言葉は、

「あれっ、なんだっけ、忘れちゃった……」

 という、なんともとぼけた一言だった。

 肝心なことを脳天気にも忘れてしまったアシュトン。その笑顔にその場にいた全員がずっこける。せっかくみんな真剣に考えていたというのに、悩む本人にケロリとされると流石に調子が狂ってしまう。怒るのも無理はないだろう。

「あ、あほーー!!」
「ったくもう、これだからアシュトンは……」
「あわわ……こ、ごめんよー!」

 呆れるプリシスとレオンに、アシュトンは両手を合わせて必死に謝るのであった。




 そんなこんなで最後の最後に落ちがあったわけだが、とりあえず一向の対戦分析は結論づいたことになったのであった。

 結論として謎の剣士(仮称)は紋章術に加え、相当な紋章剣の使い手であることが推定された。これ以上の情報は無いが、アシュトンは更なる修行が必要であることに間違いはない。

「おいおい、本当にこれでいいのか?」

 確かに答えは出たが、それでも不安な予感がして仕方のないボーマン。それでも落ち込みすぎるよりはマシなのかなとポジティブに考えることにして、気晴らしに手元でポッと煙草に火を灯したのであった。