柔らかい芝生に覆われたなだらかな丘陵地の中に、街へと向かう一本の道があった。芝生の中には白や黄色の花が所々に咲いている。天気は至って快晴で、その陽気が心地よいくらいだった。
レナがかけた紋章術“ヘイスト”のおかげで、二人は通常よりかなり早く走れていた。
「かなりいいペースできてるよ。これならあと30分とかからないかもね」
クロードが少し後ろを走るレナに声をかける。
「そうね。あとはブーシーが現れなければ良いんだけど……」
レナも軽く息を切らしながらそれに答えた。そして同時に辺りをちらっと見渡す。
彼女の言う通り、もしも道中でブーシーが現れたなら間違いなく時間の大幅なロスになる。単純に彼らが魔獣というならば楽々瞬殺できるのだが、神獣として崇められている以上、殺すわけにはいかないからだ。
未開惑星保護条約にはその星の重要生物保護という項目がある。簡単に言えば、珍しい動物は殺すなということだ。
そのため、ブーシーに出会っても殺さないよう気絶させるなどして対処しなくてはならない。これが意外と難しく、万が一そういう状況になった場合には余計な時間を取られてしまうことが予想された。
「はは、まぁ大丈夫だろ。どうやらこのあたりにはブーシーはあまり住んで無いみたいだし」
「そうね。見晴らしもいいし、居たらすぐ分かるわよね」
「ああ、問題ないはず……」
そう言いかけたところで、一つ丘を登りきったクロードは急に立ち止まったのだった。
「ちょ、クロードっ!? 急に立ち止まらないでよ!? って、うわぁ………」
快走していたのを急に止められてクロードに文句を言おうとしたレナも、目の前の状況を見て体が凍りついた。
「問題あった……みたいだね……」
「…………」
頭を抱えるクロードの目の前、登りきった丘の頂上から見下ろした先には、ブーシーの群れがあちらこちらに散らばり、いびきをかきながら気持ちよさそうに眠っていたのだった。
その数およそ4〜50頭。中には道の中央で堂々と寝るようなちゃっかり者も居た。
「ね、ねぇクロード? ……ここを通らなきゃダメなの?」
レナが恐る恐る尋ねる。
「うーん、迂回して行くにしても……」
クロードは今いる場所の左右に目を凝らした。右手には大きな湖が、左手には急斜面の凹地が広がっている。
ここを回り込んで行けば大幅にアルフレッドに遅れを取りそうだ。地図があるとはいえ道を外れれば迷子になるかもしれないし、また別のブーシーに会ってしまうかもしれない。
「やっぱり正面突破が一番良さそうだね。音を立てないよう慎重に行けばなんとかなるさ……」
「はぁ……ほんと面倒なことばかり起こるわね……」
結局のところクロードの案、ここを突き抜けることが最も適切だと考えられる。嫌そうな顔をしながらも、二人は仕方なくここを渡ることにしたのだった。
「ていうか、アルフレッド達はどうやってこの場を抜けて行ったのかしら?」
「うーん、車輪の跡は道沿いに続いているみたいだけど……」
クロードが路上にくっきりと残る二本の溝と蹄の跡を眺めながらそう言った。
「つまりアルフレッドがここを通った後にブーシー達が来たってことね。ほんと、タイミング悪いんだから!」
先ほどポピィの店で買ったときは可愛いと感じていたブーシー木細工が、途端に憎らしく思えてきたレナであった。
「とりあえず躊躇してる時間は無いんだし、サクッと行ってしまおう」
「ええ、そうね。仕方ないわ。気をつけて進みましょう」
その言葉を皮切りに、二人はこの魔獣の大群へ向けて第一歩を踏み出したのであった。
それから10分くらいたっただろうか? 二人はそろそろと足を忍ばせながら、ようやくブーシー密集地帯の3分の2くらいの場所までやって来ていた。群れが途切れているところまであともう少しだ。
だが忍び足に慣れてきたものの、レナにはまだ少し緊張の糸が走っていた。足が接地する際に発せられるわずかな音にさえも敏感になりながら、慎重に慎重に歩みを進めていく。
(ここで目覚められたら、それこそ逃げ場無いわ。気をつけて行かないと……)
レナのすぐ前には、グゥグゥといびきをたてるブーシーが、道の真ん中で横たわっている。
(よいしょ。一歩づつゆっくりと……)
レナが目の前のブーシーをまたごうと足を上げた、その時だった。
――――――ブルブルブルブル――――――
レナの鞄に入っていた携帯電話のバイブレーションが、突然振動を始めたのであった。
「きゃっ!?」
神経質になっていたレナは思いもしなかった出来事に驚き、ついつい声を上げてしまう。そしてそのままバランスを崩し、寝ているブーシーの上に倒れてしまったのだった。
「いったーい……」
「……ブフッ!?」
すると、レナが上げた甲高い声により寝ていたブーシーが目を覚ます。
「あ、しまった………」
焦ったレナに追い打ちをかけるよう、次々と周りのブーシー達が起き上がりはじめた。何匹かは眠りを妨げられた怒りで、すぐにでもレナを襲わんとばかりに睨みつけていた。
「レナっ!」
彼女の少し先を進んでいたクロードはすぐに異変に気付く。即座に振り向くと、倒れこんで動くことのできないレナの元へと駆け寄った。
「なにしてるんだ!? 逃げるぞ!」
「で、でも……」
「いいから、早く立って!」
クロードは腰を抜かしたレナの肩を担ぎ、急いでその場を離れようとする。
「ブオオォォォォオオオ……!!」
そしてそんな二人を追いかけるよう、完全に覚醒したブーシーの大群が砂埃を舞い散らせ突進してゆくのだった。
「はあっ、はあっ……くそっ!」
クロードとレナは迫り来るブーシー達から必死に逃げていた。しかしスピードは向こうのほうが断然上であり、そのままだんだんと距離を詰め寄られてしまう。
「ヘイストがかかっていても全然振り切れないなんて……」
既にブーシーの群れはクロードのすぐ後ろまで迫っていた。驚異的な追い上げである。
「ちっ……!」
これ以上もたないと考えたクロードは突然ブーシー達の方に振り返り、剣を構えて防御の姿勢に入った。
――――ドガッ!――――
鈍い衝突音が響いた。クロードは手にした剣でブーシー達の攻撃を弾こうと試みる。
「うわっ……!!」
しかし多勢に無勢。クロードは数で勝るブーシー達に力負けし、僅かな隙をとられて簡単に吹き飛ばされてしまった。
「クロードっ!?」
その後方で同じくブーシーの相手をしていたレナが思わず叫ぶ。
「私のせいで……私のせいでクロードが危ない目に……」
レナの鼓動が高鳴る。
「どうすれば、どうすればいいのかしら……?」
だが、自分のせいで大切な人が危機に陥っているという逆境の中でもレナは冷静だった。クロードを助けるべく肉弾戦に参加するよりも、何か打開策を考えるべきだと頭は切り替わっていた。
そして彼女にある案が浮かぶ。
「そ、そうだわ!」
何かを閃いたレナは口元に指を重ね、急いで紋章術の詠唱を開始するのだった。
一方のクロードは吹き飛ばされつつも体制を立て直し、再びブーシーの群れに対峙していた。
「……体が少し鈍ってしまってたかな?」
地面に撃ちつけられた体のあちこちが痛む。既に左肩には血が赤く滲んでおり、その箇所を庇いつつクロードは別のブーシーの攻撃をかわした。
昨日は一対一だったために難なくブーシーを撃退したが、今は数十体ほどに取り囲まれている。注意を払わなければならない相手が多すぎるため体力以上に精神力を消費していたクロードは、だんだんと正確な判断力を失いつつあった。
「もう逃げ切るなんて無理だし、かといってこんな数を上手く気絶させる程度に攻撃するのも不可だよ……」
クロードは向かい来るブーシーに対し、攻めの構えをした。右腕に気力を集中させた途端、その手に持つ剣が真っ赤に輝きだす。
その状態でクロードは大きくしゃがみこみ、高く跳びるための揚力を腿の筋肉に蓄えた。彼の得意技の一つ、ソードボンバーでブーシーを広範囲に焼き払おうと考えたのだった。
(もうこの際、神獣だの言ってる場合じゃない! ここは殺るつもりでいかないと、こっちがやられてしまう……)
クロードがそう考え技を放とうとした瞬間、とつぜんレナの叫び声が聞こえた。
「待って、クロード!!」
その瞬間、レナの手先から光がこぼれる。
「霧よ! ディープミスト!」
レナがその紋章術を唱えた途端、深い霧がどこからともなく立ち込め、急激に周囲の視界が薄れてゆく。灰色の魔霧は瞬く間にブーシー達の群れを飲み込んでいき、それはこの場にいる自分以外の生き物の姿を認識できなくなるほどまでに濃くなっていった。
「ブフフフ―ッ!!?」
視界を惑わされたブーシー達は、しばらくの間ふらふらとクロードの付近を周回していたが、次第に各々あさっての方向へと散り散りになりながら突進していった。
一匹、また一匹とそれぞれ姿を消していく。それを見てレナは大きく息を吐き出すと共に、ペタリと地面に倒れ込むように座りこんだのだった。
詠唱者である彼女はこの中で唯一ディープミストの効果を受けていないため、ブーシー達が散り散りになっていく眺めはなんとも滑稽なものだった。だがそんなことを感じるゆとりなど無く、ただただ事態が収拾したことに安堵したのであった。
「レナ!」
クロードがそんなレナの元へ駆け寄る。彼女のディープミストを何度も目にしたことがあるクロードは、その詠唱が聞こえてくるやいなやレナと自分の相対的な位置を瞬時に認識し、感性に任せてレナの傍に駆け付けるという芸当をやってのけたのだった。
「クロード……」
レナはきょとんとした目でクロードを見つめる。
「レナ! ありがとう、本当に助かったよ!」
クロードはレナの元に辿りつくやいなや、両肩をわしっと掴みそう言った。
「正直、あれだけの数を倒しきる自身もあまり無かったんだ。しばらく実戦から遠のいていたからね。もしあのまま戦っていたと考えると……」
「……ごめんなさい」
「……へ!?」
クロードが興奮冷めやらぬ一方、レナは今にも泣きそうな顔で俯き、ただ一言クロードに謝りだすのだった。その様子にクロードは戸惑う。
「ごめんなさい、本当に。私があんな所でドジしてなければ……こんなことには……ひっく……」
そこまで言うとレナはクロードの胸に倒れ込み、わっと涙を流す。
「ごめん、ごめんなさい……ううっ」
レナはクロードの服の裾を強く握りしめ、ただひたすら「ごめんなさい」を繰り返しながら泣き叫ぶのであった。
「……こっちこそ、ごめん。怖い目にあわせちゃって」
クロードが泣き続けるレナをなだめながら言った。
「強行突破しようとした僕のミスだよ」
「そんな……ことない………」
レナはそう言うと、泣きじゃくりながらクロードの顔を見上げた。瞼は赤く腫れあがり、涙で顔面ぐしゃぐしゃだ。
「大丈夫、怒ってなんかないよ。それにレナが居なければ今頃ぼくたちはブーシーを殺していたんだ。そうなれば彼らの復讐の対象になっていたに違いないよ」
ブーシーは仲間を殺した人間には容赦なく報復するだろう。ノエルは昨日そう語っていた。それも機転を利かしたレナの策によって逃れることができたのだ。
「こういう時はお互い様だろ? な?」
クロードは再びレナを抱き寄せた。
「ううっ、ありがとう、クロード……」
レナはしばらくの間、そのままクロードに体を委ねるのであった。
その後クロードは落ち着きを取り戻したレナの回復魔法で体の傷を癒してもらい、再びケロックの街へと向けて出発をした。あれ以降ブーシーに遭うことも無く、さっきの群れの出現がウソのように道沿いは平和だった。
ちょうどお腹がすいてきた二人は、道脇の芝生に座り込むと休憩がてらに昼食を食べはじめた。地図を買う前に立ち寄った食糧品店で購入したパンを、二人で千切りながら仲良く口にする。
「あ、そういえば!」
レナはふと思い出したかのようにポケットから携帯電話を取り出した。
「さっき転んだのは、実は携帯が突然震えだしたのにびっくりしたからだったの」
「へぇ、任務中に珍しいね」
「ごめんなさい。設定を変えておくのを忘れていたわ。まさか連絡が来るなんて思ってもいなかったから……」
「なるほど。ここはセクターθ(シータ)だから、携帯電波圏内の宙域だったんだね。なら昨日のノエルさんとの通信も、それですればよかったな……」
任務中の通信は緊急時でない限り出来るだけ控えるよう注意されている。しかしほとんどの未開惑星には携帯電波が通じておらず、惑星ロザリスもそういった未開惑星の一環だと思い込んでいたレナは、ついついマナーモードにしておく事を忘れていた。
さすがに地球と同じセクター内だと、未開惑星と言えども通信圏内に入っている。そのため地球からの連絡にレナの携帯電話が反応してしまったというわけだ。
「それで誰だ? こんなタイミングで連絡なんかしてきた奴は?」
「ええと……ちょっと待ってね……」
そう言ってレナはタッチパネルの画面を開いた。そこには新着メッセージが一件、送り主は……
「……プリシス……からだわ…………」
その内容はこうだ。
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やっほーレナ!
昨日の夜は任務一日目ということで、
クロードとお楽しみだったかな? むふふ?
2人でいちゃつくのもいいけど、
肝心の任務も忘れないでね!
あっ、お土産楽しみに待ってるよー♪
これすっごく重要だからね!
わざわざあたしが仕事の合間に
こっそり連絡してるんだから!
そんじゃね!
プリシス
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「こんなメールのせいであんな目に逢うなんて……」
レナは半ば怒り口調でそう言うと、がっくりと頭を抱え込むのであった。クロードもこれを見ると流石に苦笑いしてしまう。
「そうだな……」
「……プリシスのお土産、今回は無しね」
レナは怒りの篭った微笑みをこぼしながら、道具袋からブーシーの置物をぽいっと道に放り投げた。
「さて、それじゃ……」
レナはパンパンと手に付いたパンくずを払い落すと、すっと立ち上がり地面に置いていた荷物を拾い上げる。
「早く地球に帰って、プリシスに一発お見舞いしてやりましょ! 行くわよ、クロード!」
「あ、ああ……」
落ち込んでいたレナが威勢を取り戻す姿に安心するクロードだったが、その反面元気になりすぎたのではないかと不安になりながらも彼女の後を追うようその場から立ち去るのだった。
レナ達が居なくなった後には、風に吹かれてコロコロと転がるブーシーの置物だけが取り残され、後日これを発見したポピィはちょっと悲しんだというのは、また別の話である。
「お、ようやく見えてきたね!」
「ほんとだ。いい景色ね」
いくつもの丘を越え、クロードとレナは港町ケロックを見下ろす場所に到着した。そこからさらに向こうには済んだ水色をした海が見え、バサバサと衣服を靡かせる潮風が気持ちいい。
「さてと、それじゃアルフレッドを探しに行くか!」
「ええ!」
海猫の鳴き声があちこちで響く中、二人は街へと続く砂利道を駆け降り出すのであった。