連載長編小説
55.第五章 第3話
「結婚式か。懐かしいな」
旅館“Moonlight Blues”は月灯りが効率よく建物内に差し込まれるように設計されており、窓の位置なども月の軌道を考えて配置されていた。
木造の館内には深緑色をしたペンキの塗られており、その壁は差し込む月の光でまるで真夜中の森林のように光沢を放つ。決して明るいわけではないが、かといって暗いわけでもない。なんだか不思議な感じだ。
そんな宿屋の二階にはちょっとした暖炉と談話スペースのような場所が階段のすぐそばにあった。その傍には水がなみなみ入ったバケツが3つほど置いてあり、防火対策がいかに厳重に行われているかが見て伺える。
いまクロードとレナ、セリーヌ、そしてボーマンの4人は、その場所のソファでのんびりとくつろいでいた。
はじめはクロードとレナが二人で話をしていたのだが、たまたまその場所を通りかかったボーマン、セリーヌが水を差すように彼らの近くに座りだし、気が付けば四人での会話に発展していたのだった。
「ボーマンさんとニーネさんとの結婚式って、どんな感じだったんですか?」
レナが今回のパーティ唯一の既婚者であるボーマンに尋ねる。
「いやいや、大したもんじゃねえぞ。街の教会で普通に式をあげたよ。リンガの奴らはみんなそうやって結ばれていくのさ」
「へー。アーリアでもリンガでもやっぱり変わらないんですねー」
「だな。そしてどの教会でも新郎新婦が創造神トライア様に永遠の愛を誓うのさ。レナも一回くらいは見たことあるだろ?」
「はい。最近だとルーさんとエルミアさんの結婚式とかですね」
「あ。あの新婚さんか!」
ここでクロードが口を挟んだ。
「アーリアの入り口のすぐ近くに住んでいる、喧嘩したかと思えばすぐに仲直りしている二人だよね?」
「そうそう。結局はあれでも仲がいいみたいよ」
「……まぁ夫婦なんてのは喧嘩して仲良くなっていくもんさ。クロードとレナだってそうだったじゃねえかよ」
ボーマンは懐かしむよう二人にそう言った。
「4年前だってディアスの事だとか何だとかで、しょっちゅう喧嘩してたよな? お前らは」
「うっ………」
「それでも結局は今日までずっと一緒に居るんだろ?」
エクスペルを冒険していた頃、ディアスを庇うレナにクロードが嫉妬し、二人の間に亀裂が走ることがよくあった。それ以外でも些細な事ですぐ喧嘩をしていたり。そんなことが日常茶飯事になっていたことを、当時の仲間たちはよく記憶している。
それでも今の二人を見ていると、喧嘩するほど仲が良いというボーマンの持論もあながち間違ってはないように思える。
「そういえば、そんなこともあったわよね……」
「めちゃくちゃだったりもするけれど、結局は憎めない存在。それが恋人ってものなんですよ」
さらりと悟ったように呟くクロード。今でも喧嘩は度々起こるが、それでもレナとは上手くいっている。そういうことだ。
「ま、中にはアシュトンとプリシスみたいに、どっちかが一方的に尻に敷いて幸せ、みたいな奴らもいるがな」
「あはは、そうですね……」
「つまり、愛情の形はそれぞれだってことだ」
ボーマンは人生の教訓を語るかのような口調で、クロードとレナにそう言うのであった。
「喧嘩して仲良くなる、ですか………」
ここで、今まで黙って3人の話を聞いていたセリーヌが重々しい口調で口を開く。クロードとレナ、ボーマンはこのセリーヌの様子に即座に嫌な予感を感じ取った。
そして気が付く。そもそも結婚式の話題などといったものは、クリス王子と一難二難、はたや十難くらいはありそうなセリーヌの前ではNGワードそのものだったということに。
あの壮絶な結婚式乱入をした時の熱い気持ちはどこへやら。今ではクリスとの仲を無邪気に尋ねたアシュトンを半殺しにしてしまうほど、二人の間には複雑な事情があるらしかった。
「ここの星の王子様とお姫様は幸せそうでいいですわね。けれど、いずれわたくしと同じようにあの殿方たちにも訪れるのですわ。この感情も、所詮は一時的な高揚に過ぎないものだと気が付く時が……」
そう呟くセリーヌは悪女のような微笑を見せており、これからの展開が楽しみだと言わんばかりである。
思い返せばこの街に来てからというもの、どうもセリーヌの口数が少なかった。王子の結婚式と聞いて自身の体験を重ね合わせてしまったからなのかもしれない。
「セ、セリーヌさん。そう悲観することもないですよ……」
「ふん! もう別にどうなってしまっても構いませんわ!」
レナがセリーヌを宥めようと声をかけたが、憮然とそっぽを向かれてしまう。
「いいですこと? 結婚なんてロクなもんじゃありませんわよ。誰があんなものを……」
ここからセリーヌによる自らの結婚論(何故結婚は駄目なのかを説く部分がほとんどであったが)が始められ、場を抜けるに抜けられなくなったクロードたち三人は延々とその愚痴話に付き合わされる羽目になったのだった。
一方でこちらは宿屋の一室。レオンに割り当てられたその部屋には、隣の部屋からアシュトンが遊びに来ていたのだった。
化粧台と窓際に一つずつ椅子が備えられており、それぞれにアシュトンとレオンが座っている。シングルルーム故に非常に窮屈な状態であり、アシュトンの真後ろに迫ったタンスの傍ではギョロとウルルンが不満そうに顔を渋らせていた。
アシュトンがこの部屋を訪れた理由。それはレオンに一つ聞いておきたいことがあったからだった。
「レオンは「試練の洞窟」って聞いたことがあるかい?」
椅子に腰掛けるなり、アシュトンが発した第一声がそれだった。
「……は?」
それを聞いたレオンは突然何を言いだすんだといった目つきでそう返事をした。
「……試練の洞窟?」
「うん……」
アシュトンは何かを期待するかのようにレオンのほうを向いている。だが少し間を置いた後、その期待をレオンは裏切ることになってしまう。
「……知らないよ」
知っているどころか、そんな名前の洞窟などレオンは聞いたことも無かった。
アシュトンはその言葉を聞くと、少し残念そうに「そうか……」と呟く。その表情を見たレオンは、わざわざ彼が自分に聞きに来るほどの“試練の洞窟”とやらが気になり、逆にアシュトンに聞き返してみた。
「っていうか、なんなの? その試練の洞窟って?」
「あ、ああ。実はね……」
アシュトンはエクスペルでボーマンに説明したときと同じように、自分が体験した出来事をレオンにも話した。
リンガから遥か東、誰も住んでいない孤島には試練の洞窟といった名前の洞窟があると。急に現れ、そして急に消えてしまった男がそう教えてくれたと。
ラクールから何度も調査隊が出ているという話はボーマンから聞いた。そのためラクールにずっと住んでいたレオンなら、そのことについて何か知っているかもしれないと思ったのだと。
「リンガやラクールの図書館に、何か関係ありそうな本は無かったか、覚えていたりしない?」
本当に何も知らないのか? アシュトンはもう一度レオンにそう尋ね返す。
「うーん…………」
レオンも少しは興味を持ったのか、少し真剣に今まで自分が見てきた図書を一つひとつ思い返している。
「……駄目だね。そんなものは読んだ覚えもないよ」
「そうなんだ……」
「うん、けどねー……」
ここでレオンは少し間を置いた。
「……あの島には調査団が送られていたってことは、知っていたよ。たしか僕が10歳くらいの頃だったかな。結局は近づけずじまいだったんだけれどね」
「やっぱりそうなんだ……」
ボーマンですら知らないことをレオンが知っているという可能性など殆どないことは、あらかじめアシュトンにも予想できていた。
それゆえ、手がかりが掴めなかったことに対してアシュトンはあまりショックを感じなかった。相変わらず雲を掴むような話に、途方に暮れてしまいそうな気分だった。
行った人すらもいないはずのあの島のことを、何故あの男は知っていたのか。そこからして胡散臭い話なのだが、何かアシュトンの中でひっかかるものがあった。どうしてだか、試練の洞窟についての好奇心が一向に収まらないのだ。
――――カチャリ――――
「ちょっとレオン? さっきから何の話してるのさ?」
二人は唐突に音のしたドアの方を見た。そこにはプリシスがノックもせずにレオンの部屋にずかずかと入って来る姿があった。
レオンの部屋の両隣はアシュトンとプリシスだった。木で仕切られた部屋間では会話が丸聞こえになっていたようであり、自室で退屈していたであろうプリシスはそんな隣室から聞こえてきた話が気になったようである。
躊躇もせずにプリシスが誰かの部屋に突入することは、旅をしていた頃から特別珍しいことでもなかった。そのためレオンとアシュトンはこの光景にとりわけ驚くこともなく、プリシスが堂々と部屋に入ってきたことを自然に受け入れる。
「プリシス……そうだ………!」
レオンはプリシスを見ると、思いついたように声を上げる。
「リンガに住んでいたプリシスなら、何か知っているかもしれないよ?」
「あ、そうだね!」
アシュトンもなるほど、と指を立てた。レオンの言う通り、リンガ出身の人間はボーマンの他にもプリシスが居る。最近はもっぱら地球に住み着いてしまっているイメージが先行しすぎていたために、二人はこのことが全く頭に浮かばなかった。
彼女ならばボーマン程はアテにならないが、もしかすれば……
「ね! ね! だから何の話してるの?」
プリシスはレオンのベッドにドサリと飛び込むと、肘をつきながら指を組み、その上にちょこんと顎を乗せながら急き立てるようにそう言った。
「えっと、プリシスはさ………」
またまた同じことを説明するアシュトン。これでボーマン、レオンの時に続き3回目だが、相手がプリシスということもあってか手を抜くこともなく、アシュトンは丁寧に説明を始めたのだった。
「リンガの東にある島かぁ……」
話を聞き終えたプリシスは、そのまま顔を腕の中に埋めた。
「どう!? もしかして何か知って……」
「ううん、ごめん。ぜーんぜん何にも分かんないや」
そう言ってプリシスはふるふると首を振った。
「だってさ、そもそもあたしはリンガから外に出たこと自体あんま無かったわけだし。街の外のことなんかちっとも知らなかったんだもん!」
ひょいと顔を上げてそう告げるプリシス。話を聞けばクロード達と冒険をする前の彼女は、最も近い街であるラクールにすらほとんど行った事が無かったらしい。
ずっとリンガの街で親子ともども変人扱いされてきた身からすれば、外界、ましてや誰も近づかないような孤島のことなど知る由も無かった。
「そうだよね、ごめん……」
何故か申し訳なさそうにそう言うアシュトン。
「そんな、別に謝ることなんかないじゃん。ってか、そんなことならさ………」
プリシスの声には急に抑揚がかかる。このようなセリフを呟くプリシスは、たいがいその時に何かを思いついたという場合が多いのだが……
「その試練の洞窟って、リンガの東の海上にホントにあるんだよね?」
「へ? ……ま、まぁ、多分………」
「それじゃあさ、今度一回みんなで探検に行こーよ! その洞窟へ」
「ええっ!? で、でもどうやって? あの島は海流の影響で近づけないって、僕さっき言ったじゃ……」
「ふふん、アシュトン。あたしが地球でこの4年間、どんだけ勉強してきたと思ってんのよ?」
そう言ってプリシスはニヤリと笑う。
「今や宇宙を駆け巡る船だって造ることができるこのあたしだよ。ちっちゃな惑星の海一つ越えるメカなんか余裕だってば!」
よくよく考えてみれば、今や無人君act2という宇宙船まで手がけてしまう彼女にとって、ちょっとした距離を飛び越えるための簡単な飛行装置を製造することなど朝飯前だということだろう。理論的にはそれで島に近づくことは可能だが……
「本当かい!? けど、話が急すぎじゃ………?」
「もー、これは決まりだよっと! 早速地球に帰ったら造んなきゃ……」
既にプリシスは頭の中で新しい無人君の設計で回転を始めていた。
「と、とりあえずまずはみんなに聞いたほうが……?」
アシュトンは少し心配げに、そんなプリシスに話しかけた。
「もー、細かいことは気にしない気にしない! とりあえずアシュトン! アンタは無理やりにでも連れていくから、ちゃんと通信機からの連絡を待っておくのよ!」
「ちょ、ちょっと……」
アシュトンはこの件をプリシスに話してしまったことを少し後悔しつつも、次にまた彼女に会える機会ができたことをひっそりと喜んでいたのだった。
ただ、試練の洞窟に乗り込むことに関しては少し不安だ。未踏の地という響きがどうも気味が悪い。
「はぁ。嫌な予感しかしないね」
その一方で、レオンは呆れたように溜め息をついた。
「せいぜい途中で海上に墜落するってオチじゃない? 僕は知らないよ」
「ちょっと何言ってんのよレオン? 言っとくけど、アンタも強制参加だがら」
「はぁ?」
レオンはプリシスの方を向けて顔をしかめる。
「どうして僕も行かなきゃならないんだよ!? 」
「ん。今決めたから」
なんとも理不尽な理由ではあるが、この天真爛漫さこそがプリシスなのである。これによってレオン達は数々の事件に巻き込まれてきた。
レオンはそんなプリシスを蔑むように睨みつける。
「そんなもの知らないね。いい? 今回はもう絶対に行かないと決めたから行かないったら行かないよ!」
分からないのならば何回でも言ってやろうと、レオンは「行かない」という言葉を繰り返し連呼してみせた。するとプリシスはたちまち表情を変え、生意気な口調でこう言うのだった。
「ふーん………それじゃあ、あたしとアシュトンがアンタ無しで試練の洞窟の謎を暴いてくるね。そしてラクール王に報告するよ?」
「うん。別にそれでいいんじゃない?」
レオンはそれがどうしたといった顔でプリシスを見据えている。
「そしたらラクール王は絶対、レオンが居ないことに気がつくよね。「ん、レオンはどうした?」みたいな感じで。そしたらこう言っといてあげる。「ああ。レオンはあの洞窟が怖いらしくてシッポ巻いてにげちゃいました」ってね♪」
「なっ………!?」
それを聞いたレオンは表情を釈変させる。だがそんな彼には物言う隙も与えず、プリシスはさらに話を続ける。
「絶対そのことはレオンのお父さんとお母さんにも伝わるよー。自分の息子だけがそんな意気地なしだなんて知ったらどう思うことか……」
「べ、別に怖いなんて言ってないだろ!」
まるで勝ち誇ったかのようなプリシスに、レオンは押され気味ながらも牙を立てた。
確かに、母親にそのようなことを知られては、恥ずかしくて仕方が無い。というか、もしそんな噂がラクールで立とうものなら、次に帰省した時には笑い者になってしまうに違いない。
「怖くないなら来なさいよ!」
「そ、それは……」
「ほら、やっぱり怖いんじゃない!」
「っ………」
それからしばらく険しい表情で必死に反撃のセリフを探し続けたレオンだったが、やがてもうこれ以上言葉が見つからないと思ったのだろう。そのままがっくりと肩を落とすと、すっと席を立ち上がり部屋の出口の方へと力なく歩いて行った。
「ちょっと! どこ行くのよあんた!?」
「………トイレ」
「それで、洞窟探検には?」
「………行きます」
小さくそう言い残すと、レオンはとぼとぼと部屋を出て行ってしまったのだった。
まるで負け犬のようなレオンを眺めながら、プリシスはさぞ満足そうに笑う。これではレオンが少し可愛そうじゃないかとアシュトンは思いながらも、今のプリシスには対抗できる気がしない。
「最初からそう言えばいいのよ。ほんと仲間を大切にするっていう心がアイツにはないんだから! ねぇ、アシュトン?」
「ははは……」
それはプリシスもじゃないかなぁ? とは、アシュトンは賢明にも言わなかったのだった。
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