連載長編小説
5.序章 第5話
――――カチャリ――――
クロードとの食事を終え、無事に帰宅することのできたレナは静かに扉の鍵を開けた。場面は変わり、ここは郊外にあるプリシスとレナが二人で住んでいるアパートである。
地球に移住する際にクロードとイリアが選んでくれた、女性向けのしっかりした物件である。連邦軍人の給料は世間一般からすると高額なものの二人は未だ駆け出し(プリシスに至ってはほぼ初任給)であり、さらにお互い地球に頼れる人間がクロードぐらいしか居ないということで、プリシスとレナはこの賃貸部屋をルームシェアして暮らしていた。
部屋はレナがこまめに掃除をしているおかげもあり、キッチンやリビングは比較的片付いた状態が維持されている。ただその一方でプリシスの部屋は悲惨なものであり、クッションや小物、本から果ては工具セットまでありとあらゆる彼女の私物が散乱し、さらにベッドの裏にはお菓子の袋が落ちているなどまさに無法地帯だった。一応彼女なりに秩序はあると語っているが、レナの目にはとてもそうは映らない。
家に入ったレナは、今日一日の疲労がどっとこみ上げてきた。クロードと一緒に任務に行くことができ、さらにエクスペルに近日行けるかもしれない。その興奮が冷めやったわけではないが、感情を表に出しすぎたのか色々と疲れてしまった。いまさらになって、クロードに少し我儘を言い過ぎたかもと反省もする。
プリシスの帰宅が遅くなることは先ほど連絡を受けていた。しばらくはこのまま一人だろうと思いながら、レナは鞄を机に置き、そしてそのまま靴下をその場に脱ぎ捨てると、ドサリとソファーに倒れこんだのだった。彼女の着ているグレーの上着がバサリと跳ねる。
(ま、それでもクロードとの任務は楽しみだなぁ……)
そう思いながら、意もせずにそっと目を閉じる。そしてそのまま、レナは浅い眠りに堕ちていってしまったのだった。
プリシスが帰って来たのはそれから約2時間後、深夜0時をまわったころだった。
「ただいまー……」
騒がしく玄関が開く音が聞こえ、同時にポーチライトがぱっと灯される。酒の弱いプリシスにチサトは相当飲ませたのか、彼女はかなり酔っているようであり、ロビーに向かう足取りもフラフラだった。壁に手をつきながら手探りで部屋の明かりのスイッチを探すが、真っ暗でなにも見えていないようで、かなり手間取っている。
「レナぁー……って、ほぇぇ、寝てるじゃん!?」
パチンという音と共に闇が晴れた部屋には、ソファーでうつ伏せになっているレナの姿があった。プリシスはレナに介抱してもらうつもりだったようだが、その彼女からはすやすやと心地よさげな寝息が聞こえてくる。
「うーん、明日も仕事かぁ……しんどいなー……」
プリシスはその場にしゃがみこんで頭を抱え込んだ。
「うーん……」
まだ月曜というのに早速この有様である。そんなプリシスもレナにつられるよう、パタリと彼女の傍らに倒れ込むと、そのまま引き込まれるように眠り込んでいったのであった。
二人の帰宅からしばらくして、時刻はそろそろ夜中の4時を回ろうとしていた。日の出にはまだ少し早く、春先ということもあってひんやりとした寒さが残っている。
――――カタッ――――
かすかな物音と同時に人の気配を感じ、レナは浅い眠りから自然と目を覚ました。流石は宇宙を救った英雄の一人、就寝中も警戒を怠らない癖がついてしまっているようだ。
(……なに? また壁が軋んだのかしら?)
はじめはそう思ったレナだったが、寝ぼけの一つもしない目の覚めかたから、ただ事ではない何かが起こったという直感が疼いた。
(……誰かがこの家に居る?)
半ばそう確信したレナは、そろり、そろりと音のする方へ向かった。自分が寝ていた場所のすぐ傍にプリシスがいることから、少なくとも自分たち以外の誰かであることに間違いはない。物と物が互いに擦れるような音はなおも断続的に響いており、どうやら不審者が居るのはアパートの廊下のようだった。
(泥棒かしら? よぉし……)
レナは侵入者に気付かれないよう気配を殺しつつ、そっとその廊下の様子を伺った。
「……っ!?」
すると一つの黒い影がレナの様子に気付いたようで、ガタっと大きな物音を立てたのだった。侵入者はプリシスの部屋へ入る、ちょうどその直前だった。
「はぁぁ……!!」
だがレナは相手を逃さない。素早く侵入者に接近するやいなや、その脇に鋭い蹴りを入れた。
こう見えても彼女の格闘技の腕は一流であり、ボーマンやチサトまでとは言わずとも一般人に比べれば並外れた強さを誇っていた。彼女にかかればちょっとした魔物などイチコロである。泥棒なんてチンケなものに対しては女の子らしく悲鳴を立てるどころか、逆に返り討ちにしてやれる自信がレナにはあった。
(よし、これはうまく溝に入ったわ!)
レナは自分の攻撃が決まると、その周囲の状況からそう確信した。だが……
――――ヒュン!!――――
そんな空を切る音を鳴らし、彼女の蹴りは予想を裏切るかのような空振りに終わってしまったのだった。膝に攻撃の反動を受けるだろうと身構えていたレナは、思わず体のバランスを崩しかけてしまう。
「ちっ……!!」
レナが体制を立て直している間に、侵入者は玄関からものすごい早さで逃走していく。そしてレナが追いかけようとしたときには、ドアを乱暴に閉めた音だけが残った後であり、もはや追跡しても間に合わないという状況であった。
「私の攻撃がかわされた? そんなまさか……」
レナは唖然とそう呟いた。自信を持って放った一撃だったのだから無理もないだろう。
「……ここ2年くらい実戦が無かったから、ちょっと勘が鈍ったのかしら? それとも暗かったせいで目測を誤った?」
明かりをつけることもできなかったので家の中は暗く、そのためレナの攻撃が単純に狙い外れだったのか、それとも当たるはずだったものを避けられたのか、まずそこからして分らなかった。
だが蹴りが命中しなかったことは事実であり、実戦でもほとんどミスをしなかったレナからすれば相当ショックなようだった。全盛期には十賢者サディケルを自らの格闘技で倒すほどの腕前だったのだが、それが今では一人の地球人に苦戦してしまう羽目になるとは思ってもいなかった。
「そ、それよりっ!!」
少し落ち着きを取り戻したレナは、慌ててプリシスの部屋を覗いた。さっきの侵入者がどこまでこの家に関与したのか。それを確認すべく、最も侵入者がいた場所から近かった彼女の部屋内部をざっと見渡した。
だが幸いなことに、彼女の部屋に荒らされた形跡は無かった。というより、普段から散らかり放題なこの部屋では荒らされたもこうも無く、正直いつもとあまり変わらない有様だ。
念のためにレナは家の中を隅々まで調べてみたが、考えられうる貴重品の中で盗られた物は一つとして無いようだった。
「あともう少し気づくのが遅かったら、泥棒に何か盗られていたわね。まぁ被害は事前に食い止められたわけだし、警察に通報するほどのことでもないかしら?」
一安心しながら玄関の鍵を閉める。念入りに他の窓の戸締まりも確認する。
「ともかく、何も無くて本当によかったわ……」
そう思いながら、レナは元居たリビングに戻った。プリシスはこの騒動に気づいた気配は無く、すやすやと夢の中だ。のん気だなとレナは笑みを浮かべると、そのまま自分も再びソファ―へと横になった。
「それにしても、なんで外したんだろう……?」
泥棒のことよりも、レナにとってはそのことがずっと気がかりだった。こんな体たらくではクロードとの任務でも足手まといになってしまうかもしれない。
こっそり訓練し直したほうがいいのかしらと考えているうちに、邪魔された眠りを取り戻すかの如くレナは再び寝息を立て始めたのだった。
外は少し青黒さが増してきている。そろそろ日の出も近いようだ。
翌朝。少しずつ路地からは人の声が聞こえ始めてくる頃、しっかり者のレナは前夜の騒動があったにもかかわらず、きちんといつも通りの時間に目を覚ましていた。
パンにジャムを塗りながら朝食をとっていた彼女は、机の上に置かれている時計に表示された時間を見るや否や「もう、またあの子ったら……」と呟いて渋々立ち上がると、プリシスがいびきを上げるソファーへと向かっていった。
「ちょっとプリシス!? そろそろ起きないと、また遅刻しちゃうわよ!!」
大きく抑揚の効いた声を上げて、そうプリシスを呼び起こす。これも毎朝の茶飯事だった。
「うー……、あたまいたいー、ねむいー……」
掛け布団に包まりながら、プリシスは機嫌悪そうにそう唸る。もぞもぞと体を動かしながらも、なかなかそれを起こそうとする気概が彼女には見受けられない。
「昨日飲み会があった人たちも、みんな頭痛いのを我慢して仕事に向かっているわよ。ほらほら……」
「んー……わかったよぉ。起きりゃいいんでしょ……」
ゆさゆさ体を揺すられたプリシスはそう言ってのそのそ立ち上がると、半開きの瞳を擦りながら洗面台へと向かっていったのだった。
再びテーブルに座ってパンを口にしたレナは、そんなプリシスを横目で眺めながら昨夜の騒動を彼女に伝えるべきか考えた。睡眠の合間に起こった出来事なのであまりはっきりとは覚えてないが、それでも攻撃を外したときのことだけは強烈に頭の中に残っている。
共同生活を送っている以上話すべきなのだろうが、もしこのことを知ればプリシスは大騒ぎするだろう。そうすれば同じ職場であるクロードにもこの事を告げるかもしれない。レナとしては任務前にクロードに余計な心配をかけたくはなかった。
「あれっ? そーいえば、あたし昨日ちゃんと戸締まりしてから寝たっけ? うーん、思い出せない……」
だがレナが思いつめる傍ら、不意にプリシスが何かを思い出したような表情でぽつりとそう漏らした。それを聞いたレナは反射程に彼女のほうを振り返る。
「あ、あら、そうだったの? 今朝見たら閉まっていたから大丈夫よ」
レナは咄嗟にそう嘘をついた。本当は確認などしていないが、この部屋が3階にある以上泥棒が侵入する方法は玄関以外に無いため、プリシスが鍵をかけ忘れたことに間違いないだろうとレナは瞬時に確信した。
「あ、そうだったんだ。よかったー! あたしってば、お酒飲むとすぐにデロデロになるんだよねー。この前も気づいたら原っぱの上に立ってたし」
「……まったく、いっつも人騒がせなんだから」
「えー、あたし昨日は何もしてないじゃん! なんで怒られなきゃいけないんだよー?」
「まぁ、昨日はたまたま何もなかったけど……ほんとに気をつけてよね? 最近は泥棒も多いみたいだし」
「大丈夫だって! ちゃんとカギかけるのは癖になってるからさ」
「そう。それならいいけど……」
「それが癖になってないから昨夜あんな大変な目に合ったのよ!?」と思いながら、レナは少し顔を歪めた。
「それじゃ早く顔洗って。パンが冷めちゃうわよ」
「はーい」
ひょこひょこと洗面所に帰っていくプリシス。事件の発端である彼女がここまで呑気だと、少し調子が崩れしてしまいそうなレナであった。
昨夜の犯人もレナの腕前を見れば、この家に再び侵入したいとはさすがに思わないだろう。よくある一過性の事件に巻き込まれたんだろうと心に言い聞かせたレナはパンを食べ終えると、そのまま台所のシンクで皿とマグカップを洗い、出勤支度をするために部屋へと戻って行った。
「って、もうこんな時間じゃん!? やばいよまた遅刻するぅー!!」
その一方で眠い目を擦りながら洗面台の時計をみたプリシスはぎょっと目を丸くし、乱雑にじゃぶじゃぶと自分の顔を洗い始める。まったくこの家は朝も夜も騒がしいなと、レナは化粧をしながら溜息をつくのであった。
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