連載長編小説
4.序章 第4話
それからしばらくの間、クロードとレナは二人だけの夕食を楽しんだ。そして夜の9時を回ったあたりでそろそろ帰ろうかという話になり、二人はそのまま店を後にして帰路についたのだった。
いまクロードはレナを自宅まで送り届けたその帰り、地下鉄のホームへと向かう地下道を歩いていた。完全に外は闇であり、人通りも少ない。それは地下鉄の駅も同様であり、次の列車が到着するまでは誰もここを通らないだろう。
(さて、僕も早く帰ろう)
そう思いながらクロードは靴音を響かせ地下通路を歩いて行く。白い蛍光灯がコンクリートに覆われた空間を虚ろに照らし、その壁面に張り付けられた広告のポスターはクロードの横を次々とかすめてゆく。目的の改札口まではまだ結構な距離がある。
クロードは先ほどのレナとの会話を思い出していた。とりあえず、今は任務を成功させることに集中しよう。レナとしたエクスペルに戻る約束はその後でじっくり考えればいい。そんな事を考えながらクロードはつき当たりの角を曲がった、その時だった。
――――ドンッ!――――
鈍い音とともに、クロードの視界がぐらりと揺れた。どうやら反対側から来た一人の男とぶつかってしまったようだった。向こうが走っていたこともあり、お互いかなりの勢いでその場に転げ込んだ。
「あいたたたっ……」
突然の出来事にクロードは頭をさすりながら起き上がると、慌てて辺りをぱっと見渡した。幸いこちらに怪我はないが、相手はどうなのかが心配だ。自分の向かいで床に転んでいる男を見つけると、クロードは即座に手を差し伸べた。
「すっ、すみません。大丈夫ですか?」
「……」
だがそんなクロードに男は礼の一つもせず、ぶつかった衝撃でズレてしまったニット帽を急いで被り直す。そして無言のまま自力で立ち上がると、そのままてくてくと通路の奥へと走り去って行ってしまったのだった。
(え……!?)
だがその瞬間、そんな男のぶっきらぼうな態度など気にならないくらいの衝撃的なものが、クロードの瞳の奥に焼きついたのだった。
(あ、あの耳は……!?)
それは銀色の髪から垣間見えた、長くて鋭く尖った耳だった。まるでレナやチサトと同じであり、それは4年前に自ら滅びの道を選んだネーデ人に特有の耳そのものだった。レナ、チサト、ノエルを除いて絶滅してしまった彼らは、本来この世に存在しないはずのない人種である。
クロードは突然の出来事に気が動転しながらも冷静に考え直した。もしかしたら単なる見間違えなのかもしれない、と一瞬疑ってみる。だがさっきの男がニット帽を直す仕草が妙に何かを隠すかのようなものであり、これはどうにも怪しすぎると思った。
とにかく確認しなくてはいけないという衝動に駆られ、クロードは今自分が来た道へと駆け出していった。
「あれ? いないな……」
地上の出口まで駆けつけたクロードはあたりを見渡したが、男の姿はそこに無かった。追いつけないほどの早足だったようであり、もう彼はこの周辺の住宅街に紛れ込んでしまった後なのだろう。これ以上探すのはちょっと難しそうだった。
「行ってしまったか……やっぱり僕の見間違いだったのかな?」
確かに考えてみれば有り得ない話だ。現にクロードはネーデが崩壊していくのをしっかりと見届けた。そうでなくても地球にネーデ人がいるということになれば、それだけで大変な話である。
何事も無かったのだと自分の中で結論付け、クロードはゆっくりとした足取りで再びホームに戻っていった。今日は色々と疲れているんだろうと思い、とりあえず明日はしっかり休もうと、そう心に決めたのであった。
「ただいま……」
「あらクロード、おかえりなさい」
クロードがマンションに帰宅すると、リビングで大画面テレビを見ていたクロードの母、イリアがそれに気づいてそう言った。借りてきた映画を大きなテレビで鑑賞することは、夫であるロニキスの殉職を受けて銀河連邦の紋章科学研究員を勇退したイリアにとって、ここ最近の数少ない楽しみであった。
「母さん、また映画みてるの?」
「ええ、そうよ。それよりクロード、今日ごはんは外で食べてきたの?」
「ああ」
「あら、そう……」
イリアは特に興味無さげな様子でそう返事すると、そのまま映画の鑑賞を続けたのだった。
「へー、それってレナと一緒に?」
しかし、そんな彼女の隣で本を読んでいた猫耳少年にとってはそうはいかなかったようであり、書物へと向けられていた彼の視線がくいっとクロードに向けられたのだった。
「レオン……ま、まぁ、そうだけど……」
そんな彼の一言に、クロードは面倒臭げに眉間へと皺を寄せた。
「悪いか?」
「いや、なんか久しぶりだなーって。クロードとレナが一緒にごはん行くなんてさ。さすがに明日も仕事あるだろうから、今日はそのまま帰ってきたんだよね?」
「……おいレオン、いい加減にしろよ………」
クロードにとってはこの無駄に勘のいい少年の言ったことが図星であり、それが幾分か気に触ったのだった。
「うわー、ムキになっちゃって。ほんとしょうがないなー」
少年は持っていた本をパタンと閉じ、やれやれと呟く。
初めてクロードと会った時には小さな小さな子供だったレオン・D・S・ゲーステも、今年でもう16歳の青年になった。猫のそれと同じような耳をもつ、通称フェルプールと呼ばれる民族に属する彼は、4年前にエクスペルからはるばる地球に移住してきた自他ともに認める天才科学者であった。
現在はイリアの後を継ぐかのようにニューヨークにある紋章科学研究所に勤めており、彼の研究はそれなりに評価が高いという話をクロードはよく耳にしていた。
地球に来た当初はレナやプリシスと同居していたが、今はより研究所に近いほうが良いという理由でクロード宅の世話になっている。同じ紋章術の研究者ということでイリアにもなんだかんだ可愛がられており、レオン本人も居心地よさそうにクロード宅での毎日を過ごしていたのだった。
「お前だってまだまだガキだろ?」
レオンに子供呼ばわりされることがよほど癪だったのか、クロードは顔をひきつらせた。
「まっ、どーでもいい事だけど。クロードが誰と食事して来ようがね」
「……ならそこまで突っ込むなよ」
「もう、そんな顔しなくてもいいじゃん。クロードったら、いつまでたっても大人げないよね」
「ったく、言わせておけば……」
意地悪そうにニヤリと笑うレオンの煽り性も昔と相変わらずである。どうでもいいなら聞くなよ、とクロードは腹を立てつつ、自分の部屋に戻るためにこの居間を離れようとした。
すると、レオンは何かを思い出したようにクロードに声をかける。
「あ、そうそうクロード。今日の夕方、エルネストからメールが来てたみたいだよ。クロード宛に」
レオンはソファーの上に転がっていた銀色の装置を拾い上げてクロードの手に渡した。これは惑星間専用の特殊な通信機であり、かつての仲間たちとはこれを用いて連絡をとることができる。クロードとレオンは二人でこれを共有して使っていた。
「エルネストさんが?」
「そうだよ」
「珍しいな。何かあったのかな?」
「さぁね。中身までは見てないから分からないよ」
「そうか、ありがとう」
クロードは自室に戻って椅子に腰掛けると、少しわくわくしながらその通信機の蓋を開けた。確かに新着メールが1件ある。レオンの言ったとおり送り主はエルネストだったが、特に連絡を受けるような心当たりなどクロードにはなかった。
かつての仲間の一人エルネスト・レヴィート。彼は衛生国家テトラジェネシスに住む、銀河的に有名な考古学者である。2年前のエディフィスでの戦いの後、彼はかつての教え子である12歳年下の名家令嬢、オペラ・ベクトラと結婚した。
現在は1歳になる娘のローラと共にテトラジェネシスで暮らしている。つまり、クロードの仲間の中ではボーマン同様、数少ない子持ちということになる。
子育て真っ最中ということもあり、かつてのようにあちこちと星を巡るようなことは止めたらしい。彼が落ち着いたことはオペラにとって喜ばしい事態であるはずなのだが、一方で「最近のエルはワイルドさが減った」などと愚痴を漏らすこともあるらしく、女の人ってよく分らないなとクロードは彼女の話を耳にするたび思うのだった。
「いったい何の用だろう?」
送り主がエルネストという事が妙にクロードの興味を引いた。メールの内容はこうだった。
―――――――――――――――――――――――――――
クロード
久しぶりだな。
元気にしているか?
こっちは相変わらず
のんびりした毎日を過ごしている。
実はお前に渡したい物があって連絡を送った。
好きな時でいい。
都合が合う時でいいからできるだけ早く
テトラジェネシスに来てくれないか。
返事を待っている。
エルネスト
―――――――――――――――――――――――――――
エルネストらしく、要件は簡潔な短文でまとめられていた。とりあえず暇な時を見つけて、テトラジェネシスに来いということらしい。
だが何を渡したいのか、いつ行けばよいのか、そういった具体的なことはいっさい明記されていなかった。そんなおおざっぱな内容にクロードは少し戸惑う。もう少し話を詳しく教えてもらえないかエルネストに聞いてみようとも考えたが、あえて簡素な文面に整えてあるのは彼なりに何か意図あってのことかもしれないとも思った。
「まぁいいや、向こうに付けばいずれ分かるし。それにテトラジェネシスならセクターη(イータ)だから、惑星ロザリスからの帰りに立ち寄れる位置にあるしな」
銀河連邦発足以来、宇宙空間の場所を定義する区分としてセクターというものが導入されている。各々のセクターは正六角柱をしており、銀河の中心がセクターα(アルファ)、そこから時計回りに渦を描くよう、セクターβ(ベータ)、セクターγ(ガンマ)、……の順で正六角柱が規則正しく埋められている。
合計24ものセクターによって銀河系は区画されており、地球やエクスペルは銀河の中心から少し離れたセクターθ(シータ)、テトラジェネシスはその隣にあるセクターη(イータ)に所属している。
そして偶然なことに、明後日からクロードとレナが任務にあたる惑星ロザリスはセクターη(イータ)との境界にほど近いセクターθ(シータ)、つまり地球とテトラジェネシスのほぼ中間に位置していた。そのため任務のついでに向かえば手間がかからずに済むだろうとクロードは考えた。
ただし任務後に直接テトラジェネシスに向かうとすると、地球に帰ってくるのは恐らく来週以降ということになるだろう。任務に手間取ったとランサーに伝えれば連邦のほうはごまかせられるが、問題はレナと今週の日曜日に遊園地に行くという約束である。
遊園地のほうは地球にいればいつでも行くことができるが、エルネストやオペラに会う機会はそうそう無い。そういった旨をレナにうまく伝えられれば彼女も納得はしてくれそうだが、逆に機嫌を損ねさせてしまう可能性もありうる。
それに関してはおいおい考えるとし、テトラジェネシスに寄るには任務後しかない判断したクロードは、ロザリスでの任務が終わり次第そちらを訪ねるという内容の返事をエルネストに送った。そしてエルネストからの「渡したいもの」とは何なのかという質問は、そこにはあえて書かないことにしたのだった。
「うーん、なんだか色々と疲れたなぁ……」
メールの送信を確認すると、クロードはそのままごろりとベッドに寝転がった。大して体を酷使したわけではないが、色々な計画を立てたことで頭が疲れてしまっていたようだ。もう眠れと体がしつこく勧めてくる気がした。
「……風呂は明日でいいや」
とりあえず今は本能がままにゆっくり体を休めたい。そう思ったクロードはベッド備え付けのテーブルに置かれたリモコンへと手を伸ばすと、それを操作して部屋の明かりを落としたのだった。
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