72.第五章 第二十話




 ジルハルト城の最上階。アシュトンとの戦いに敗れ、ウルルンの氷で身動きの取れなくなった反乱将軍アギに向け、ライゼルから冷ややかに最初の質問が投げかけられた。

「まず、今回の反乱を企てた動機だ。なぜ父上をはじめとした城の人間に楯突いた?」
「どうして楯突いた、か………………」

 アギは腹を括ったかのように口を開いた。

「……簡単なことだ。ヘイデン王子に国政の実権を取らせること。それが目的だ」
「……は? お前、まさかそれだけだと言うのではないだろうな?」

 だが、アギのその返答を聞いたライゼルは即座に激怒した。

「兄上に国政の実権をだと? そんなもの、父上の跡を継ぐのは兄上だと決まっているではないか!? 反乱を起こす必要がどこにある!?」
「…………」
「本当のことを言え、アギ! なぜお前と兄上はこのようなことをした!?」

 昂った様子で、ライゼルはアギにそう言い寄った。

「………時間だ」
「は…!?」
「そうだ。私達は時間が惜しかった……」
「…………時間が惜しかった、だと?」

 ライゼルは顔をしかめた。

「どういうことだ? 時間なんて、いくらでも………」
「……いまのメンテン王は、至って健康そのものだろう?」

 アギはライゼルの発言を遮るように言葉を吐露する。

「おそらくヘイデン王子が即位するまで、少なくともあと10年はかかるだろう。そうすればあのお方も30代半ば。それでは遅すぎるのだ……」

 王位継承権をもつヘイデン王子が国王となるためには、父である現王のメンテンが退位するまで待たなくてはならない。その時間が惜しいのだと、アギの発言はそういったことを意味していた。

「なぜそんなに早く、兄上が即位しなければならない?」
「ヘイデン王子はいち早く共和国制を廃止し、フーラルを中央集権型の国家にする意向を持っておられたからだ……」

 アギはここでふうっと一息をついた。だがその申言を受けたライゼルは衝撃を受けたかのように表情を一変させる。

「ちゅ、中央集権国家だと!?」
「そうだ」
「お、おい! それは……」
「この国は共和制をとっているにもかかわらず、その実態は王権国家そのものだ。ヘイデン王子は兼ねてよりそのことを疑問視されておられた。なぜこのような矛盾があるのかと」

 共和国制とは、そもそも主権はすべて国民にあるという前提に基づいた民主主義である。本来であれば国の統治者は国民選挙によって決定づけられるのだが、ここフーラル共和国ではずっと王家による世襲制が続いていたのだった。そしてこうした君主制は国家の思想に反しているのではないかと、ヘイデンは心の内で自問自答していた。どうやらそういうことらしい。

「この国がなぜ共和国になったのか。ライゼル王子なら存じているだろう?」
「……ああ。他国からの侵攻を防ぎ、またこちらから侵攻もしないよう、国民が監視するためだろ? 崇高なことだと思う」
「そのとおり。今から100年以上も昔、かつて我が国はキーサイド、ザックル、メルの三カ国から領土を狙われ続けていたという過去があった。そんな国の存続を賭けた苦境を、国民全員で乗り越える。そういった思想を具現化するために、この国は共和国を名乗ったのだ………」

 ここフーラル共和国の歴史を淡々と語るアギ。その話には当事者であるライゼルのみならず、後ろで話を聞いていたプリシス、ノエル、アシュトンの三人も真剣に耳を傾けていた。

「だがそれから100年。他国を見れば技術は進歩し、目覚ましい発展を遂げている。ではこの国は? 産業は農業が主体。建築物は全て木。なにひとつ変わっていない。中途半端に共和国を名乗っているせいで、国王の権限が小さいからだ」
「それはこの国の文化だ。いまさら変える必要もない」
「しかし、このままだと他国との格差はますます広がっていくこともまた事実。そうなるとこの国はまた弱い立場に置かれてしまう。これでは過去の繰り返しだ」
「……それは確かに、一理あると言えばあるかもしれない………」
「ヘイデン王子はそのことを恐れておられた。国を守るためには、共和制などというぬるい理想は通用しない。強くて権力のある指導者がいてこそ国家は成り立つものだ。周りの隣国がみな、そうであるようにな…………」

「……むずかしいね、アシュトン」
「そうだね、プリシス………」

 国家の仕組みや内情という、いくぶん難しい内容の話にプリシスとアシュトンは理解が追いつかなくなってしまう。

 つまるところ、フーラル共和国を強い国家にするために、ヘイデンは共和国制を廃止することを目論んでいたらしい。自分に権力を集中させれば、多少強引な政策でも押し通すことができる。形式上は共和国である現状では、そんなこととても無理な話である。

「……兄上がそんなことを考えておられたとは…………」
「分かってくれたか?」
「……にしても、これはやりすぎだ! 国家を強くするとほざいておきながら、結局は戦争を引き起こしてしまっているではないか!?」
「それに関しては、遅かれ早かれそうなっていただろうな……」
「な、なに!?」

 ライゼルは憤慨したようにアギの胸ぐらを掴んだ。

「キーサイド王国を遅かれ早かれ攻めていた……お前はそう言っているのか!?」
「……そうだ。順番は違っていただろうがな………」

 そう言うアギの顔は笑っていた。

「ヘイデン王子はこう仰られていた。“攻撃は最大の防御である”と。あのお方の野望は共和国の廃止のさらに上にあった。周辺国を統治下においた、統一国家を建てること。集権化はそのために必須の第一歩にすぎなかった」
「そ、そんな………!?」
「分かるだろう? なぜヘイデン王子が即位を急いだのか。なぜ時間が必要としていたのかを………」

 ヘイデンはなんと、国力の増強だけでなく周囲への侵攻を目論んでいたのだ。それもキーサイド王国だけではない。いずれはその他の隣国であるザックルやメルにも攻めこむつもりだったらしい。

「そんな……戦争で周りを傷つけて、そして国を強くするなんて間違ってる!」
「……確かにそうかもしれないが、それは理想論でもある。ヘイデン王子はフーラルが強国にするための、最も迅速で合理的な方法をとられたということ……」

 アギはヘイデンの行動に間違いはなかったとライゼルに主張した。そしてそんな彼の無責任な態度が癪に触ったのか、プリシスもライゼルに加勢するようアギに向けて怒声を上げた。

「でも………あんたはどうなのよ? あんたはそれをおかしいと思わなかったの!?」

 それを聞いたアギはぴくりと耳を動かす。

「何度も言うが、私はヘイデン王子に忠誠を誓った身だ。あのお方が右へ行けと言えば右へ、左へ行けと言えば左に行くまで…………」
「…………」

 躊躇いもなく放たれたその言葉に、プリシスたち四人はそれぞれ複雑な面持ちで黙りこんでしまった。自分はヘイデンの操り人形。アギ本人の言葉はそういうことを意味していた。彼はヘイデンを自分の主君と決めている。現王のメンテンではなく、だ。

 だからヘイデンが統一国家を作りたい一心でクーデターを起こし、そのための兵を出せと言われれば、アギがそれを拒否するはずもない。キーサイド王国に攻めこむべくノースフォールの門へ派遣された軍隊にしても、それは同じだったのだ。

 アシュトンたちは国政の仕組みに関する基礎知識が欠如しているため、この点を理解するのに時間がかかってしまった。だがこの国で起こった事件の全貌は、これでかなりはっきりしてきた。

 ヘイデンは国家の全権を手に入れるために、このクーデターを起こして共和国制を廃止させようとした。そして手にした権力を盾に他国を侵略し、フーラルを弱小国から強大国家に変貌させようとしていたのだ。

「……それが本当ならば、不可解な点がありますね…………」

 しばらく黙ったまま口を手で覆っていたノエルが、ここで言葉を発した。

「つまり、あなたの言うことが本当ならば、ヘイデン王子はキーサイド王国への侵攻を前々から企んでいたということですよね?」
「ああ、その計画もかなり前からヘイデン王子は話されていた」
「なら、なぜ彼はミント姫と結婚なんてしたのでしょう?」

 ノエルは細目を曲げながらそう疑問を発したのだった。それを聞いたプリシスも「確かに……」と指を唇につけ考えこむ。

「これから敵になる国のお姫さまと結婚だなんて、普通しないもんね」
「言われてみれば………」
「ああ、そうだな………」

 アシュトンとライゼルも、ノエルやプリシスの言葉が意味することを理解していた。ミント姫との結婚は、事実上フーラルとキーサイド両国の同盟関係を確認・強化する意味合いも含まれているはず。なぜヘイデンはその結婚を受けたのだろうか。

「考えられるのは、キーサイドに対するフェイクだが………」

 ライゼルはまず、ヘイデンがミント姫と結婚することでキーサイド王国を油断させようとしたのではないかと考えた。

「……それにしては、戦争が急すぎる気もします。もしフェイクだとすれば、ミント姫を国に招き入れてから、もう少し様子を見るのではないでしょうか?」

 だが、ノエルはそれに否定的な見解を述べた。

「なら……キーサイドを攻める口実づくりに利用したのか? あの誘拐事件も、じつは兄上の指示で行われたものだとすれば………」
「そんな必要はないでしょう。もともとヘイデン王子はキーサイド王国を強攻するつもりだったらしいですし。今回はたまたま誘拐事件が起きたので、オマケ程度にそれを口実としたのでしょう」
「……たしかに。計画されていたとはいえ、戦争というこれほど大胆な行動に、細かい理由付けは必要ないな………」

 いろいろな仮説が飛び交うが、どれにしても結婚が必要だったという決定的な理由とはなり得なかった。ノエルたち4人はますます頭を唸らせる。

「……それは、もしかするとヘイデン王子の部屋に理由があるのかもしれない…………」

 だが、ミント姫の話題が昇って以降ずっと沈黙を続けていたアギが、ここで何かを思いついたかのようにそう呟いた。その言葉にライゼルをはじめ全員が一斉に彼のほうを向く。

「……兄上の部屋?」
「ヘイデン王子とミント姫の結婚は、実はメンテン王が取り決めたものではないのだ。どうやら兄上が直接キーサイド王国に交渉して実現したものらしい」
「ああ。それは俺も聞いたことがある。兄上がミント姫の美しさに惹かれ、執拗に彼女を求めたという話らしいな。姫様のあの容姿ならば無理もない話だが……」
「そうだ。だが、もしかするとヘイデン王子はミント姫に惹かれた理由が他にも存在するのかもしれない。キーサイド王国とのやり取りを見れば、それが見えてくるかと……」

 アギの口調からは今までとはどこか違う、何か穏やかなものが感じられた。彼が言うには、ミント姫との結婚はヘイデン自身がキーサイド王国と交渉したものだという。そしてそれは単純にヘイデンがミント姫に惚れただけではなく、何か裏があるのではないかということだ。

「とにかく、ヘイデン王子の部屋に行ってみればどうだ、ライゼル?」
「……やけに親切だな?」

 ライゼルは疑うようにアギを見つめる。それを見たアギはふっと小さく笑った。

「別に、ただ私は思ったとおりのことを言ったまでだ……」
「本当か……?」
「ああ。私は嘘はついていない。さっきからずっとな……」
「……そうか…………」

 ライゼルは最後にそう言うと、プリシスら三人のほうをくるりと振り返った。

「そういうことだ。兄上の部屋はここから近い。俺が今からそこに案内するから、お前たちはそこでミント姫と結婚した理由について調べてくれ」
「えっ? お前たちはって、ライゼルは一緒に部屋に来ないの?」
「ああ。俺はクーデターの中止をこれから城全体に呼びかけなくてはならない。父上たちも解放しなくてはならないしな」
「ああ、そっか」

 それを聞いたプリシスは納得したようにポンと両手を叩いた。

「とにかく、こいつもこの状態じゃしばらくここから動くこともできないだろう。早く兄上の部屋へ行くぞ」

 ライゼルはそう言うと、最後に少しだけアギのほうを見た。厳しくも憐れむようなライゼルの視線に、アギはぷいっとそっぽを向く。二人は互いに何も話さないまま、僅かばかりの時間が過ぎていった。やがてライゼルはプリシスたちに部屋を出る合図を送る。

 こうしてライゼルを先頭にアギの部屋を後にした一行。絵画やガラスが散らばった部屋に取り残されたアギは、そんな4人の後ろ姿を一度たりとも見ることはなかったのだった。