65.第五章 第十三話




「やっぱり静かね……」
「ああ、もう夜になってしまったからな………」

 ディアスは寒そうに両手を擦り合わせながらチサトにそう言った。

 ディアスとチサトの二人はキーサイド王国の首都、ハルマの路道を歩いていた。クロード達から先に行ってくれと連絡を受けてからほぼ半日が経ったが、この街に到着できたということ以外はとりわけ事態に進歩は見られないままだ。

 キーサイド王国に入ってからというもの、先に進むにつれて気温がどんどん下がってくるのが感じられた。チサトはもともと通気性、保温性に優れた衣類を着ていた為に少しはこの寒さがマシに感じられたようだが、ヒラヒラした軽い衣類を身に纏うディアスにとっては厳しいものであり、流石の彼も少しまいったような様子ではあった。

 口では心配無いと何度もチサトに言っていたものの、彼の体が震えていたことにチサトは気が付いていた。そのチサトもマシだったというだけで、全く寒くないわけではなかった。ここに辿り着くまではひたすら刺すような冷気に耐えながら足を進め続け、近くに街があるという立て札をようやく見つけたときには二人で抱き合って喜んだものだ。

「でも、やっぱりさっさとコートを買っておいてよかったわね」

 チサトは心地よさそうに被っていたフードの裏地に頬を摺り寄せた。これはこの街に到着した際、真っ先に購入に走ったものである。駆け込んだ洋服屋では、店員に「よくそんな格好で外に出られましたね」と驚きの声を上げられたことが恥ずかしかったが、これのおかげでもう寒くはない。

 ディアスは黒色のトレンチコートが長身に映えている。一方のチサトはグレーのフード着きショートダッフルを身に纏い、首もとにはブラウンに黒ラインのバーバリーチェック柄マフラーを暖かそうに巻いている。

 これらは少し値が張ったものの、なかなか似合っているなと二人は互いに満足していた。さすが雪国の技術というべきか、防寒具は薄い素材でできているわりには見た目以上に保温性が高く、非常に着心地がよいものだった。

「雪が降っていないのが幸いだ。あれは体力をとても奪うからな。しかしそれにしても……」

 ディアスの吐く息は白く曇っていた。

「ほんとにこんな場所に逃げ込んできたのか? あの姫の格好じゃ、風邪どころでは済まないだろう」
「確かにね……あの結婚式の衣装、寒さに耐えれそうになかったわ」
「少し心配だな。できるだけ早く助けなければ……」
「そうよね。国境が破られたって話が本当なら、間違いなくこの国のどこかに連れ去られたってことだろうし……」

 これほどまでに気温が低いと、音や光の伝導が良くなる。地球でも冬になると遠くを走る列車の音や、あるいは夜空に浮かび上がる星座がいつも以上に鮮明になるものだが、今の状況はまさしくこれと一致していた。静かな夜の街ではランプが燃えるパチパチという音から、吹き抜ける風の音一つひとつまでがしっかりと耳の深くに入り込んでくる。

 そんな穏やかな場所にありながら、二人は街の様子をしっかりと観察する。さきほどの服屋でもそうだったが、ここハルマではジルハルトのような混乱は見られないのが不思議だった。

 がやがやと談笑が聞こえてくる酒場や、庭の犬に夕飯を与える婦人、教会の前で聖書を読み上げるシスターなど、ここにいる誰もが自国の姫様が浚われたなど一つも知らないかのような様子だ。

「不自然だな……」
「そうね。情報統制かしら………?」

 チサトはそう言うと唇をきゅっと結んだ。

「情報統制? なんだそれは?」
「例えば……そうね、もし今から自分達の住む星が滅ぶことになるとして、そんな報道を堂々とはできないのよ。そんなこと知らせちゃ、みんなたちまち大混乱になっちゃうからね。ネーデの時はみんな覚悟できてたみたいだからナール市長は真実を伝えたけど、普通は混乱を招くような情報はおおっぴらにせず隠しておくものなのよ。マスメディアだってそうなんだし……」
「そうか、なるほどな。エナジーネーデの時………」

 かつてエナジーネーデが崩壊紋章の力を食い止めたときも、通常なら情報規制がかかるはずだった。クロード達がガブリエルを倒しに行くと崩壊紋章が作動することを公にすれば、必ずこれを邪魔する者がでてくるからだ。

 だがあのときネーデ人は、既に自分達の種が終わりの時を迎えることに対する心の準備ができていた。混乱一つ起こさなかった彼らはある意味で究極の知的生命体なのかもしれない。

「そういうことだから、まだこの街の人たちは事件のことを知らないんじゃないのかしら?」
「下手に話せばこっちが怪しまれる、ということか……」

 これでは情報の集めようがない。最も人が集まるキーサイド王国の首都ハルマ。山の斜面に造られたこの都市にこそ、何か手がかりがあると考えていたのだが……

 風がびゅうっと音をたてた。路面に落ちているくず紙が舞い上がり、そしてひらひらと弱々しく落ちていく。

「寒いし今日はもう休みましょう、ディアス」
「ああ、そうだな……」





 ハルマは朝になっても静かな街だった。冷え込みが厳しいため黙り俯きながら進む人が多く、活気の欠片さえも感じさせない。

 それでもここに人が多いことは、やはり一国の首都たらんことを思い起こさせるには十分だった。どの家庭でも暖炉をつけているためか、たくさんの煙突から白色の煙が立ち昇るのが見える。閑静こそがここの国民性なのだろう。

 いまディアスとチサトは、朝食をとるため立ち寄った喫茶店のテーブル席に向かい合うように座っていた。分厚い石造りで窓が少ない屋内ではそれほど寒さは感じられず、周囲には自分達と同じように朝食のパンとコーヒーをつまむ人々がたくさん居た。

 これから仕事に向かうのだろうが、暖かい場所に居ても彼らは無口であまり会話をしている様子は見受けられなかった。こんな場所くらいは賑やかであってもいいのに、とチサトはテーブルに肘をつきながら横目でそれを観察するのだった。

 その一方でディアスは、店に入る前に購入したこの国の新聞との睨み合いを続けていた。翻訳機では音声こそ瞬時に訳してくれるが、こういった文字の場合は一文一文を認証していかなければ意味が分からないため、解読するのになかなか時間がかかるのだ。

 辛気臭い作業だがディアスは珍しく文句の音も上げず、ひたすら次から次へと記事に目を通していた。そんなディアスへチサトは白けた目線を送る。

「あのさー……やっぱり新聞には無いんじゃないの? 誘拐事件なんか一面のスクープ記事でも少ないくらいなんだし……」

 チサトはディアスが押さえる新聞の隙間からそっと手を忍び入れると、今日の第一面に当たる部分を少しだけ捲り上げる。

「馬鹿。邪魔するな」
「あーはいはい。これはどうもすみませんでした」

 するとたちまちディアスから怒声が飛んでくる。チサトはそれに反射的に謝ったものの、内心もう我慢は限界まで来ていた。

「……ねぇ、そろそろいい加減にしなさいよ? これほどの大事件がそんな小さい記事に載ってるわけないじゃない!?」

 もうこの状態が続いて小一時間。しびれを切らしたチサトはそう言い放つとディアスから新聞を取り上げ、さっき自分が開いた第一面の見出しに指を差した。

「そもそもトップニュースにこんな“カボチャ早食い大会。優勝は13年連続でコルフ・ラッケルー氏”なんて呑気な記事載せてる時点で、この新聞はもう使い物にならないのよ! わかる?」
「………」

 チサトの言うことはもっともだった。しかしそれが差し障ったのか、ディアスはむすんと機嫌悪そうに黙り込む。

「それにコソコソこんなことずっとやってちゃ怪しまれるじゃないの! ちょっとは周囲にも目を回しなさいよね!」

 チサトはそこまで言い終えると一息ついてコーヒーを口に含み、手にした新聞を乱暴に折り畳んだ。そこからはグシャグシャと紙の折れる音が鳴り、周囲の静かな視線が一気に集められた。

「……お前のほうこそ、怪しまれそうなことをしている気がするが?」
「……う、うるさいわね!」

 チサトは辺りからの目線に気まずさを感じながらも、ハンカチほどの大きさに畳まれた新聞紙を部屋の隅にある屑かごへポイッと放り投げた。

「……じゃあ、これからどうすればいいのだ? それは数少ない手掛かりなんだぞ?」

 ディアスは表情変えずチサトに問い返す。

「だから……これからゆっくり考えればいいでしょ?」
「ふん。そうやって悠長にしていれば、またすぐに逃げられるぞ」
「逃げられたっていいじゃない。もし宇宙に行かれたとしても、そのときはすぐにプリシス達が動けるし……」

 チサトは行動を焦るディアスに以前からやきもきしていた。彼はどうも事態が最悪な方向へ進むことばかりを想定して話を進める節がある。それはそれで大切なことなのだが、だからといって落ち着きを無くしては本末転倒だ。最悪の事態を避けるためにこそ、落ち着いた判断が必要なのである。

「とにかく、アンタはちょっと頭を冷やしなさい。キーサイド王国だって広くはないんだし、クロード達が来れば人海戦術でなんとかできるんだから、それまで少しでも有益な情報を集めなきゃ」

 そう。今の自分たちが欲しているのは有益な情報だ。無益なことしか書かれていなさそうな新聞などを細かくチェックしている暇があるなら、有益な情報がありそうな場所を探すべく街へ繰り出したほうがよっぽど有意義に時間を使えるだろう。

 ディアスは相変わらずの様子でフンと鼻で鳴らし、野菜の水分でパンがへなってしまったサンドウィッチを一口でパクリと口へ放り込んだ。もりもりと不機嫌そうにほうばっているものの、彼はおそらくチサトの言葉を理解し肯定したのだろう。

 言葉ではなく態度で示す。ディアスは仲間の中でもある意味最も分かりやすい男だということを、チサトは十分理解していた。

 しかし偉そうなことを言ってはみたものの、チサトにはきちんとした具体案があるわけではなかった。

 本当にこれからどうするべきか。誰かに尋ね歩くというのはハイリスクかつローリターン。ならば思い切って情報統制の根源と考えられる城に潜入してみるのもありかもしれない。

 しかし万が一にも戦闘になった場合、こちらは二人とも基本的に力で押していくタイプである。術師のセリーヌやノエルが居ないことから、何かトリッキーで戦略的なことは仕掛けられない。つまり、いざというときに取れる行動パターンが限られているのだ。全力で逃げるか、力でねじ伏せ突破するか、基本的にこの二択だ。

 とりあえず、この喫茶店に長居しては余計に怪しまれる。店員の目線もそろそろ気になりだしてきたし、とりあえずはここを出たい。そう思ったチサトが荷物の中から財布を取り出そうとしたとき、外から壮大な破壊音が聞こえ、続いて大きな悲鳴が二人の耳に入ってきたのだった。

「ちょ、ちょっとなによ今の!?」
「………!?」

 この騒ぎにディアスは素早く反応し、傍らに立てかけていた剣を右手で掴んだ。ガタっと音をたてて席を去るその姿に、未だ混乱気味のチサトは思わず声を上げる。

「ちょ、ちょっとディアス……」
「うるさい! お前も急げ!」

 刺さるような言葉を残し、ディアスは椅子にかけていたコートを手早く羽織ると颯爽と店の外に出て行った。

「ま、待って………!」

 一呼吸置いて我に帰ったチサトもディアスに遅れじと席を立ち、ざわめきが収まらない店内でコートとマフラーに身を包むのであった。






――――ガッシャァァァァァァァァン――――




「た、大変だー!」
「うわぁ……は、早く逃げろーッッ!」

 耳を割るような破裂音が街中に響く。群衆はみな我を忘れ、一目散に同じ方向へと逃げていく。その中には殆ど寝間着と変わらないような格好で家から飛び出してくる者もあった。

 チサトが街へ出た瞬間、衝撃風とともに小さな瓦礫がパラパラと空から降り落ちてきた。そのたびにまた路上から悲鳴が巻き起こる。

 チサトはその瓦礫を腕で防ぎながら、これらが飛んできた方を向いた。

「うっわ……なんて大きさなの………!?」

 チサトの目に入ったもの。それは建物の四階まで届くほどに巨大な黒い犬の魔物だった。鋭いキバと大きな前足によって、街はまるで子供のおもちゃのよう簡単に破壊されている。

「しかも頭が3つもあるわ。まるで神話に登場する三つ頭の地獄の番犬ケルベロスみたい。ってまさか、これがその本物だとは思わないけど………」

 チサトは魔物へ向かって走り出した。場所もここからそんなに遠くない。しかしそれを言い換えれば、今いるこの場所が破壊されるのも時間の問題だということだ。

「とりあえずこいつを倒さなきゃね。ディアスもあっちに向かっているだろうし」

 不思議とチサトに恐怖感はなかった。今まで散々こんな目にあっていたので慣れてしまったのか、それとも人間が関与していないというだけで安堵感があったのか。

 とにかく、このときチサトはまだこれが単なる魔物の襲撃にすぎないと思い込んでいた。





「ディアス!」
「……チサトか!?」

 ディアスの剣は既にケルベロスの鮮血で赤く染まっていた。滴り落ちるその血液は人間のそれより黒ずんで見える。

 辺りにもこの戦いの激しさを物語るかのよう、あちこちに飛び散った血痕が市街地に斑点模様を描いている。その全てがこのケルベロスの傷によるものであり、未だディアスは無傷のままでいた。

「こいつは厄介だ。俺が攻撃したところで、大したダメージにはなっていないぞ」

 ディアスは確実に攻撃を積み重ねていた。ケルベロスが大きな前足を振りかざせば死角に回り込んで斬撃を与え、また炎を吐いたときには物陰に隠れながら飛び道具の空破斬で攻撃していた。

 しかしこれも所詮は小さな人間のすることであり、ケルベロスにしてみれば小さなネズミ1匹がちょろちょろとしているにすぎなにのだろう。

 おそらく持久戦に持ち込み、少しずつダメージを与えていけばいずれ倒せるのであろう。だがそこまで戦ってしまっては、誘拐犯の貴重な情報が眠るこの街は完全に破壊されてしまうだろう。

「チサト。お前がこのまま俺と一緒に戦っても焼け石に水だ。何か策を考えろ!」

 ディアスもそんな事態だけは避けたいようである。

「策ねー……ぱっと思いついたことはあるんだけど………」

 チサトは想到したことを素直に述べた。

「なに!?」
「簡単よ。こいつの急所を狙えばいいの」
「……は? 馬鹿か、お前は……」

 ディアスは睨みつけるようにチサトの方を振り向いた。その時がチャンスとばかりにケルベロスは腕をディアスに向かって叩きつけてきたが、彼はそれをひらりと華麗にかわした。まるで後ろにも目がついているかと疑ってしまうほどに、ディアスの反射神経は常人離れしているのだ。

「急所なんて、それが分かっていれば苦労ないだろう!」

 気を取り直したディアスがチサトにそう叫んだ。

「でも大体は分かるじゃない。例えば心臓とかさ……」
「あんなにでかい体のどこに心臓があるのか分からない! 二度同じことを言わせるな!」
「……そうね。けど、もっと分かりやすい部位があるわよ」
「……なんだと?」
「あいつの目だったら、狙えるんじゃない?」
「……目?」
「そう。それならはっきりどこか分かるでしょ?」

 チサトはどうよとばかりにケルベロスの額を眺めながら、ディアスにそう問いかけた。

「まぁ、それくらいしかないか……」

 ディアスは悔しいながらもそれに納得するのだった。彼女の発言は間違ってはいない。確かに眼球は生物すべてに共通する急所である。神経が脳に直結しているのも理由の一つだが、それ以上に柔らかく攻撃が通りやすいというのが大きな理由だ。

 ふつうの生き物ならば、生命維持に関わる器官は簡単には破壊されないようにできている。例えば心臓や肺などは、それの周囲に堅固な骨格が形成されていることが多い。ヒトの場合も頭蓋骨や肋骨により、これらの器官はしっかりと守られているのだ。

 しかしこれらにも血管や神経を通す必要があるため、いくつか攻撃のための抜け道がある。その中でもっとも大きいのが視神経の通る眼球部分だ。目と脳は直接神経で結ばれているために、この部分を守るものは何もない。目の前というのは敵の攻撃を認知する、すなわち最も死角になりにくい部位であるからだ。

「私がその赤レンガの建物に登って、直接あいつの額に乗り上げるわ。だからディアスはその建物のある場所まで、あいつを誘導してほしいの」

 チサトの居るずっと後ろに、その建物はあった。5階建てくらいの赤いレンガで造られたそれは、このケルベロスによる市街地破壊の中、崩れ落ちることなく原型を留めていたのだった。

「………」

 ディアスはチサトの言葉を聞くと、何も言わず再び魔物の方へと向かっていった。

「ったく、返事くらいしなさいよ」

 だがディアスがチサトのサポート役を引き受けることに異存なしということは、返事を聞かずともチサトには分かったのであった。





 それからというもの、ディアスは戦い方を先ほどまでとは少し変えていた。相手を深追いすることはなく、むしろ挑発するように少しづつケルベロスを自分の元へと誘導していく。ケルベロスからすれば、ディアスが自分を責めあぐねて後退しているようにしか見えないであろう。

 それを繰り返すうち、ディアスは思惑通りケルベロスをチサトの待つ場所まで誘導することに成功した。この間にも多くのものが破壊されたため、ここで決着を付けなければ被害はより深刻なものになってしまうだろう。

「ぐっ……」

 ケルベロスの太くて黒い体毛がディアスの体を掠った。昨日買ったばかりのトレンチコートが少し破けてしまう。今いる場所がチサトとの作戦決行ポイントのため、これ以上後退することはできない。これからはケルベロスをこの場に居留めさせるために、ディアスもある程度反撃をしなければいけなかった。

「ったくチサトめ、何をしている………?」

 そう思いながらディアスがチラリと建物を見上げると、そこにはようやくと言うべきか、屋上の扉を慎重に開くチサトの姿が目に入ってきたのだった。

「……ようやく来たか。あとはあいつが攻撃するまで時間を稼ぐだけだな………」







(よしよし、さすがディアスね)

 建物内の構造が少し複雑で時間がかかってしまったが、彼女はなんとかこの屋上に間に合った。物陰に隠れ、右手には出力10万ボルトのスタンガンを握る。これからケルベロスの急所を突く動きを入念に頭の中でイメージしながら、チサトはじっくりとその機会を伺っていた。

(今だわ!)

 ケルベロスがディアスに火炎を吐こうと下を向いた瞬間、チサトは屋上からケルベロスの額めがけて飛び出した。

 だが勢いあまって音を立てすぎてしまったのか、彼女の攻撃はケルベロスに感づかれてしまう。チサトの気配を感じたケルベロスは咄嗟にチサトの方を向くと、炎を吐き出す対象を空中で無防備な彼女へと変えてきたのだった。

(し、しまった!?)

 ビルからケルベロスへ飛び移るタイミングが早すぎたとチサトはこのとき後悔した。ここでは体勢を変えることもできず、攻撃を防ぐことができない。このままではやられてしまう。

「朱雀衝撃波!」

 しかしそのとき、ディアスのかけ声と同時にケルベロスは足をくじいたかのようにガクっと体を崩した。さすがにこちらは2人。どちらかに注意を集中させれば、隙は必然的に生まれるのだ。

「ったく、さっきはよくもヒヤヒヤさせてくれたわね! これでも喰らいなさい!」

 チサトは何事もなくケルベロスの眼前に着地すると、その大きな瞳と睨めっこする形で対峙した。そしてその右手に掴んだスタンガンから、輝く高圧電撃をめいっぱい放った。

「グオオオオオオオオォォォォォォォ……!!」

 その直撃を受けたケルベロスは、地響きのような唸り声と共にその場へと崩れ落ちた。眼球が電流で焼ける独特な臭いが漂う。こういう殺し方は残酷な気もするが、平和のためには仕方なかったのだとチサトは自分に言い聞かす。

 あたりの地面はボロボロに崩れ落ちていた。先ほど自分がピンチだったとき、ケルベロスの体勢を崩したディアスの朱雀衝撃波によるものだろう。

「やるじゃない!」

 開口一言、チサトはディアスにそう言った。

「お前はいっつも最後の詰めが甘いからな。これくらい予想はしていた」
「あーら、すみませんね、頼りのない相棒で。でも助かっちゃた♪」
「……調子の狂うやつだな、本当に」
「あははっ。やっぱりディアスは頼りになるわね!」
「……ふん」
「まあまあ!」

 斜に構える無表情なディアスの肩を、チサトは笑顔でポンと叩いた。

「……落ち着くのはまだ早いみたいだぞ」

 だがディアスはチサトの手をそっと払いのけると、再び剣を構えた。その視線の先からは20人ほどの兵士が、武器を手にこちらへと走ってきていたのだった。

「……どうやら俺たちは歓迎されてないようだな」

 その言葉に、チサトもようやくディアスの旨趣が分かった。よく見渡すと周囲のあちこちから、銀色の鎧に身を包んだ兵士たちが続々と現れている。

「そこの二人、武器を下ろせ!」

 向かいからやってきたうちの一人、真紅の前立がついた兜に少し明るい銀色の鎧を身に付けた騎士が、自分たちにそう警告する。ディアスはそれをみるとチッと舌を鳴らした。いくらなんでもこの人数に包囲されては太刀打ちができない。

「ど、どうしましょ? ディアス?」

 チサトは予想外の展開に戸惑いを隠せない。

「……クロードもいずれ来る。ここで抵抗するよりかは、おとなしく捕まっておくのが得策だろう」

 ディアスはそうチサトに告げると、あっさりと武器を地面へと投げ捨てたのだった。

 ガランガランと鈍い音を立てたディアスの剣。自分たちに警告を発してきた騎士はそれを拾い上げると、他の者にそれを城へと運ぶよう指示し、それから自分たちに向けてこう言ったのだった。

「お前たちには色々と聞きたいことがある。このまま一緒に城まで来てもらおうか」

 チサトも兵士からスタンガンを没収され、二人はなすすべもなく兵士に言われるがまま、両腕にがっちりと手錠をかけられたのであった。