63.第五章 第十一話




 縄張りを既に抜けてしまったのか、あるいはこちらへの対抗の意思が無くなったのか。理由は分からないが、いつの間にかディアスたちを襲っていたサルの魔物は、彼らの前から姿を消してしまっていた。

 そして魔物たちとの戦闘に気を取られている間に、3人は相当な距離を進んでいた。長く広い森の向こうに、ノースフォールの門はもう見えない。

 だがその逆、キーサイド王国の奥地に向かっては下り坂が続いており、自分達がこれから向かう先に関しては十分に見通しが立つ地形ではあった。それでも森は遥か彼方まで続いている。

 そんな中、ふとディアスが「ん?」と声を漏らして立ち止まる。どうやら森の向こうに何かを発見したようで、彼はひょいと傍にある倒木の上に身を乗せると、さらに遠くを眺めはじめた。

「どうしたのよ、ディアス? 何か見つけたの?」

 それに続いてディアスの背後からチサトが訊ねた。

「ああ、道が見えてきた……」

 ディアスはそう返事をしながらも、なお遠くをじっと睨んでいる。

「道? 道ってことは、えっと……そっか! ノースフォールの門から続いてる、正規の街道ってことね!」
「……まだはっきりとは言い切れんが、恐らくそうだろうな。ぼんやりとだが、森の中に整然とした光の線が見える。恐らくは街道の道灯りなのだろう」

 ディアスはそう言い、一度だけ前髪を?き分けた。

「ってことは、やっとこの道なき道から開放されるわけですわね?」

 セリーヌは体を伸ばしながらぐるぐると首を回す。この悪路の中で繰り返されていた戦闘もようやく終わりが見えたということで、彼女は一段落つくよう大きく息を吐き出すのだった。

「それにしても、よくそんな物見つけられるわね。私には全然分からないわ?」
「……普段から旅していれば、自然にできるようになるが」
「へー、そんなもんなのね……」

 チサトもディアスの言う光の道を見つけようと、ノースフォールの門を監視するときに使っていた双眼鏡越しに目を凝らしてみたが、全くそれらしきものは見当たらなかった。

 ディアスはもともと野生のカンというかそういったものを元々備えているようで、何の道具に頼らずとも周囲の地形や様子は察知できるようである。このことには彼の高身長も幸いしているのだろう。

 セリーヌにも同様のことが言えるが、こういった感覚は長らくエクスペルのような豊かな自然の中に身を置いていないと培われないのだろう。

「まぁ、それでも道が見つかったというだけだ。まだまだ先は長い。気を抜くなよ」
「ええ、わかってますわ」
「それにこの先でテレポートしてもらわなきゃならないお前に、今ヘトヘトになられては困るからな」
「そ、そんなに体力を舐められるような覚えはありませんわ!」

 ふてくされるようにセリーヌはディアスに向かってそう言い返した。ディアスとしては彼女を気遣っていることを遠まわしに伝えたつもりらしかったが、不器用な言葉では逆効果だったようだ。

「それより、クロードからの連絡はまだですの?」
「……クロード達も俺達と別れてから結構な距離を南に進んだだろうからな」

 クロード達はまだ合流地点に戻る帰路の途中なのだろう。行きに比べると帰りは道筋なども把握できているため時間はかからないだろうと睨んでいたが、案外そういうわけでもないらしい。今は時間も夜であるし、おそらくクロードたちも念には念を入れて足を進めているのだろう。

「うーむ……」

 そう呟くディアスの表情には、少し焦りのようなものが垣間見えた。

「あら、何か気がかりでもあるの、ディアス?」
「……いや、なんともない」
「そ。ならいいけど……ってか、立ち止まってないで先に進みましょ。ちょっと冷えてきたし、体動かさないと」

 チサトはそう言うとぶるっと身震いし、早くこっちに来いとディアスたちを手招きした。ここは大陸の中でも内陸に位置するのか、フーラル王国に比べると夜冷えが厳しい気もする。

 ディアスは無言で足を動かしはじめ、セリーヌは荷物からローブのような上着を取り出して羽織る。三人はそれぞれ体を暖めながら、目的の街道を目指すべく再び移動を開始したのであった。





「なーるほどね! さっきの国境の洞窟はここに繋がっていたんだ!」
「おい、こんな夜中に大声を出すな、チサト!」
「あ、ご、ごめん……」

 目の前の発見に喜び、つい大声を漏らすチサト。そんな彼女をディアスが声を殺して一喝すると、チサトははっと口を手で押さえた。

 三人は先ほどディアスが見つけた街道までちょうど辿り着いたところだった。その片先は窪地へと続いており、そこに洞窟の入り口らしきものが見えた。そこから地下道の奥に向かって、綺麗な石造りのトンネルが続いている。

 方角的に、それはノースフォールの門に繋がっていると思われる。あそこには砦の奥に洞窟の入り口があったが、その場所とここは地中で繋がっているのだろう。その証拠に洞窟の入り口には丁寧に“この先国境地帯!”と触れ書きさえしてある。ここに来るまで道が見つからなかった理由も、これでようやくはっきりとした。

 また一方でキーサイド王国へ向かう道もしっかりと舗装されており、小奇麗なランプ灯が等間隔で設置されている。これだけ整備が行き通っているのも、ここが国と国とを結ぶ重要な街道だからだろう。

 ようやく長い森林地帯を抜けたという安堵の色がチサトとセリーヌの顔に浮かんだ。この先は体に負担をかけることなく先に進める。魔物もさすがに近づいてはこないだろうし、追跡が楽になることは間違いない。

「まぁ、道にたどり着いたはいい……」

 そんな中、ディアスは辺りを伺いながらそう呟いた。

「だがさすがに夜も深い。そろそろどこかで仮眠でも取らなければ、今度はこちらの体力が持たなくなってしまうぞ」
「そうねぇ。いままでずっと動きっぱなしだったから、流石の私でもそろそろガタがくるかも……」

 チサトの言うように、3人が今日の朝ジルハルトの町を出発してから、既に半日以上が経過していた。日没もとっくに過ぎている。いい加減体を休めたほうがいいだろう。

「どこかいい場所があればいいが……」
「なら、あそこに何か休憩所みたいな場所がありますけれど……?」

 セリーヌが背後にあるものを親指で指さす。そこには屋根つきの簡単な休憩所があった。

 壁はなく、長方形の平板屋根は六本の柱で支えられているだけだが、これなら多少雨が降っても濡れることはないだろう。さらに屋根の下には木製ベンチを柵で円形に囲った場所があり、その真ん中には暖をとるための囲炉裏のようなものもあった。

 旅人用の休憩地なのだろうが、今は例の誘拐事件のこともあってか人は誰も居ない。ただただ寂しい風を通しているような簡素な休憩所だが、仮眠をとるにはうってつけだ。街道を見つけた時と言い、なんだか運も味方してくれるようになった気がする。

「とりあえず、あそこで体を休めながらクロードからの連絡を待つか」

 三人は早速その休憩所に向かい、一日ずっと身につけっぱなしだった荷物の数々をドサドサとその場に落とした。

「それじゃ、とりあえずくべ木を集めましょ。いくらなんでもそのまま寝るのはちょっと寒いわ」
「そうだな。それじゃあ俺とチサトはその辺で焚き木を集めてくる。セリーヌは今ここにある木に火をつけておいてくれ」
「ええ、わかりましたわ」

 チサトとディアスはそう言い残し、てくてく森にほうへと消えて行った。ここは風が筒抜けのため、寝ている間も火を焚きっぱなしにしておかなければ体を壊してしまうだろう。せめて一晩分くらいの焚き木はストックしておきたいところだった。

「ファイアーボルト!」

 セリーヌは囲炉裏に残っていた僅かな薪を真ん中に寄せ集めると、紋章術でそれらに引火させた。彼女の掌から放たれた威力を抑えた火球は、吸い付いていくよう薪へと燃え移る。炭が混じっていたためはじめは燻るように燃えていたものの、やがて炎はだんだんと大きさを増していき、安定して熱を放つようになった。

 こうして自分の役割を果たしたセリーヌだったが、ただただここでディアスとチサトを待つのも退屈に感じられた。そんなとき、ここに来てから突然喉が渇いたことに彼女は気がついた。思い返せば今日はほとんど魔物との戦闘ばかりで、ここしばらく何も口にした覚えがない。

「さて、それじゃああの二人が戻ってくるまで、お茶でも沸かしておきますか」

 セリーヌは袋の中から小さな鍋を取り出すと、それで水を沸かしながらハーブティーの葉をティーバックに詰めはじめるのであった。





「………………」

 ディアスはパチパチと燃える火に照らされながら、ひとり静かに剣を抱えてベンチに座っていた。

 セリーヌが沸かした熱い紅茶を喉に通しつつ、ディアスら三人は携帯用の食料を食べた。それから1時間交代で見張りを行うということで、彼らはひとまず眠りにつくことにしたのだった。

 始めの見張り役になったのはチサト。そして交代の時間になって彼女に起こされたディアスは、今ここで目を覚まし続けて居る。

 警戒を怠らないように周囲を見据えてはいるが、はっきり言って何も起こりそうに無いくらい周囲は穏やかだった。

 ディアスはセリーヌが作り置きしてくれた紅茶を再び温め直すと、手にしたコップにそれを注いだ。これを飲むことで眠気覚ましにもなるし、何より今はかなり寒い。ずずっと啜るようにそれを飲みながら、この惑星ロイド・モダイ二号星でこれまで起こった事を一つひとつ思い返していた。

「しかし、どうにも分からんな……」

 ディアスは白く温かい吐息を吐き出しながらそう呟いた。

「なぜキーサイド王国に誘拐犯が逃げたのだ? 普通に考えてありえないだろう……」

 クロードから報告を受けて以来、ディアスはずっとこのことが引っかかっていた。そもそも事の発端となったミント姫というのも、元を正せばここキーサイド王国の姫君だ。それがなぜ、わざわざここに連れ戻されるよう誘拐される羽目になったのだろうか。

 キーサイド王国内部で何か揉め事が起こっているのかもしれない。あるいはこの国には政治的な派閥がいくつか存在し、その中で今回の結婚に猛反対していた一派が企んだ事件なのかもしれない。しかしクーデターにしては、あまりにも派手すぎる気もする。

 もちろん、黒幕は他の国に居るということも考えられる。例えば誘拐事件によりフーラル共和国とキーサイド王国に亀裂が入ることを狙って、このような事件を引き起こしたのかもしれない。

「……全く話が読めないな。俺たちはただ追い掛け回すより先に、情報収集にもっと時間をかけるべきではなかったのだろうか? ま、今となっては手遅れなわけだが……」

 それこそ可能性は考えれば考えるほど出てくるわけではあるが、その点以上にディアスは気になるところがあった。もう一口紅茶を口に含む。

 そもそも自分達は、例のネーデ人がこの星に居ると言う情報を嗅ぎつけてやって来たのだ。しかしその肝心のネーデ人はというと、微塵たりとも自分たちの前に姿を現さない。それどころか有益な情報さえ一つも入ってこない有り様である。

 本当にこの事件にネーデ人が関与しているのかどうか、それもディアスにとっては大きな疑問だった。

 もしこの件に何か彼らが関与しているのならば、もちろん自分たちは邪魔者のはずである。当然、何か策を打って来るべきところであろうが、さっぱりそれが来ない。至って何も関係無いかのように事は進んでいるかのようだ。

「……踊らされているのか?」

 その可能性もあるかもしれない。こちらをバラバラにして戦力を低下させ、その隙に本当の目的を達成させる。それが向こうの狙いだったのかもしれない。自分たちは今もああだこうだ議論しながら動いているが、実はこれこそが向こうの思う壺なのかもしれないのだ。

 いずれにせよ、ネーデ人が何もしてこないというのが不気味で仕方が無い。ここまで穏やかだと、その分だけ不安にさせられてしまう。

 ディアスは囲炉裏に追加の薪を放り込むと、穏やかに眠る二人の連れの方を見た。能天気な奴らだな、と複雑な思いで寝顔を眺めてみたが、別にそれ以上はどうとも思わなかった。

 薪を得た炎は再び明るさを取り戻し、改めて映し出された周囲の景色にディアスはエクスペルの風景を重ねていた。深い闇に覆われた森。自分が今までずっと旅してきたところだ。

「どっちも一緒だな……」

 至極平和、決して魔物など居なさそうな場所。だがそれは偽りで、いつその環境が自分達に牙を向くか分からない。

 すがすがしいこの空気も、そんなことを考えると生ぬるいものに感じてしまう、そんな真夜中。エクスペルでもそれは同じ。事件は何事も前触れもなく襲ってくる。昔、ディアスの家族が殺された夜もそうだった。

「せめて、俺だけでも気を抜かないようにしなければな……」

 ディアスは目が合ったフクロウに鋭い視線を向けた。驚いたフクロウがびくっとその場を離れる姿を見たディアスは、また何事も無かったかのようにじっと見張りの役目を続けた。





 そうこうしていく間にも夜は少しずつ更けていく。チサトが3回目の見張りをしていたところで、急に周囲が慌しくなってきた。動物達が目を覚まし始めたのである。

 真っ暗だった夜空がだんだんと蒼い明るみを帯びていく。山岳地帯の日の出がそろそろ近い兆しだ。チサトはもうそろそろ出発してもいいんじゃないかしらと思い、ディアスとセリーヌをゆっくりと起こした。

 ディアスがすんなりと起きたことは当然として、普段は寝起きの悪いセリーヌも浅い睡眠から覚めるのは早いようで、彼女はチサトの呼びかけにすぐに応えると大きく口を開いて欠伸をするのだった。

「うーん。もう少し寝たいですけれど、それは今回の任務が終わってからゆっくりすることにしますわ。ふあぁ……」
「……ったく、でかい口を開いて。だらしない奴だな……」
「はっ……!」

 そう咎めるディアスに、セリーヌはそう恥ずかしそうに顔を赤らめるのだった。

「チサト、クロードから連絡はあったか?」
「ううん」
「うーむ、あいつらまだ時間がかかりそうなのか……」
「やっぱり向こうもどこかで休憩したんじゃないのかしら?」
「……まぁそうだろうな。いい加減そろそろ合流したいのだが……」
「そうですわね。それにこの3人で動くのも少し退屈してきましたし……」

 セリーヌはわざとらしい笑顔をディアスに向けながらそう言った。

「ディアスとはエクスペルでもよく一緒に旅をしましたもの。あまり新鮮味がありませんわ」
「へーっ、そうなんだ!」

 それを聞いたチサトは、なるほどといった様子で唇に指を当てる。

「ま、腐れ縁みたいなものだ」
「そうそう。別にこれといって特別なことはありませんわよ」

 そんなチサトに、ディアスとセリーヌはそう一言ずつ添えるのであった。

「さ、俺たちも行くぞ。もしかしたら近くに街か何かがあるかもしれん」
「あ、それなら私はおフロに入りたいですわ! もう泥だらけでイヤになっていたところですの」

 セリーヌは途端に表情を変えた。

「夜が明けてから気づいたんですけれども、この辺りはとても山が多くって。これなら街に一つや二つ、温泉があってもおかしくはありませんもの。それがお肌や美容にいいものだったら最高ですわ!」
「あら、それはアリ! 私もひとっ風呂浴びたい気分!」
「……お前らが元気になったのはわかった。さっさと行くぞ!」

 眠気が吹き飛んではしゃぐチサトとセリーヌの肩をディアスはポンと叩き、つかつかと休憩所の外に進みだした。彼女らはその後ろ姿を苦笑いしながら見届け、そして互いに「行こっか」と呟き合うと揃って彼の後を追うのであった。





「お、あそこじゃねぇのか? 例の集合場所は?」
「そうだね。地図でもこのあたりってことになるし……」

 一方、こちらはなにやら落ち着きの無いクロード一行。彼らはたった今、ようやく森林の帰路から抜け出したところだった。辺りはすっかり朝だ。

 結局アシュトンやディアスと連絡を取り合ってからこの場所に戻ってくる間に、クロードたちは一夜を明かしてしまった。森の中で軽い仮眠をとったこともあり、到着は予定に比べると大幅に遅れてしまった。

「私もなんだか見覚えあるわ。絶対にあそこよ。ほら、あの立て札!」
「お、やったな! ようやく着いたってことか!」

 ボーマンとレナは見覚えのある場所を見つけて嬉しそうに声を上げている。遠くに見える海岸沿いのT字路は、昨日チーム分けを行い、そして今はセリーヌと合流をする地点に間違いなかった。

「それじゃあいい加減セリーヌ達に連絡するね。絶対に待ちくたびれてるよ、あの3人……」
「ごめんレオン、もう少しだけ待ってくれ」

 レオンは早くセリーヌに連絡しようと何度もクロードに提言していたが、何度も地図を見直していたクロードはなかなか首を縦には振らなかった。魔力を消耗したセリーヌを一人にしてしまうことは危険であるため、自分たちが正しい待ち合わせ場所にちゃんと到着したことを確認してからテレポートを要請するべきだと考えていたからだ。

 ただ地図にもここが分岐点だとしっかり書かれており、ここでグループ分けをした記憶はクロードにも残っていた。そのため確認もすぐに終わり、合流場所はここで合っていると確信したクロードは即座にレオンに呼びかける。

「ごめんレオン。この場所でオッケーだから、今すぐディアスに連絡してくれ」
「わかった。今すぐここに来るよう言えばいいんだよね?」
「ああ。前に話した通りだから、そこはディアスも分かっているとは思うけど……」

 レオンは「おっけー」と言うと、背負ったカバンの中から通信機を取り出した。

「そういえばディアスって昔から、誰かのことを心配すればするほど怒っちゃうのよね。もしかしたら………」

 彼がその回線を繋ごうとしているとき、クロードの隣でレナが出し抜けにぼそっと呟く。

『……おいお前らっ!? どれだけノンビリすれば気が済むんだ!?』

 するとレナがそれを言い終える前に、ものすごいディアスの怒声が辺りに響き渡るのだった。

「うわぁぁっ!?」

 通信機を耳にしていたレオンは驚いてスピーカーを耳から遠ざける。直接聞いていないクロードやレオンでさえも十分に聞き取れるディアスの声だ。ましてやそれをまともに聞いたレオンは、たまったものではないだろう。

「ちょ、ちょっとディアス! そんな怒鳴らなくてもいいじゃないか!?」

 レオンはスピーカーを反対側の耳へと当て直し、顔をしかめてディアスにそう伝えた。

「こっちは集合場所まで来たから、そろそろセリーヌにテレポートしてもらおうと思って連絡したのに……」
『……分かってる、そんなことは』

 流石に少しディアスも落ち着いたようで、トーンの落ちた返事が返ってきた。先ほどの怒声とのギャップで、レオンはその声が聞き取りづらいほど小さなものに感じられた。

『ちょうどセリーヌが紋章術を唱え始めた。そのうち着くから待っていろ』
「う、うん。ありがとう……」

 レオンが言い終わる前に、通信機はあちらからブチッと切られてしまった。するとレオンは「あ゛ーーー!」と唸りながら拳を握り締める。

「クロード。僕にこんな役目を押し付けておいて、ただじゃ済ませないからね……」

 カバンの中に通信機をしまいこみながら、レオンは恨ましげにそう言う。そんなレオンにクロードはちょっと返事に困ってしまうのだった。

「いや、まぁ。たしかに僕もちょっと予想はしていたけど……」
「ほら、やっぱり………」
「ごめんレオン、悪かったよ……」
「ったくもう。まだ耳がキンキン鳴ってるや……」

 あからさまに耳を押さえながら、レオンはクロードとレナを指さした。

「僕にこれをなすりつけたクロードと、ディアスが大声出すってことを早く言ってくれなかったレナ。二人とも地球に戻ったら、何か驕ってもらうからね!」
「……はい」

 レオンに返す言葉はなく、二人は口を揃えて渋々とそう返事をするのだった。





 セリーヌが到着したのは、それから間もなくのことであった。4人は彼女を囲むように一箇所へと集まる。これからセリーヌにもう一度テレポートをしてもらい、キーサイド王国近くに居るディアスの元へと全員で移動する。

「ディアス達は今どのあたりまで行ってるの?」
「まだ国境近くの街道ですわ。まぁ、そこにたどり着くまでが大変だったわけですけれど……」

 レナが訊ねると、セリーヌは杖を地面に刺しながらそう答えた。

「いやいや助かるよ。やっぱり二手に分かれてよかったね」

 距離的にはそれほど進んだわけでもなさそうだったが、クロードとしてはキーサイド王国の街道に辿り着いてくれただけでも十分だった。

「どういたしまして。さすがにちょっと疲れましたけれど、まだまだ大丈夫ですわ。それでは、そろそろいきますわよ!」

 セリーヌはそう言うと、再び紋章術を唱え始める。紋章が彼女の身体を広がっていくたびに、5人を覆う魔力が序々に加速していく。

 このときは、ここに居る誰もがこのまますぐにディアス達のところへと転移すると思っていた。

 だが……


「きゃっ!?」

 術が発動する直前、パチン! と大きな音が突然セリーヌの手元で鳴った。すると弾けるように彼女の両手が互いに反発し、それと同時に持っていた杖が地面に投げ出されてしまった。

「な、なんだなんだ!?」

 ボーマンがびっくりした様子でセリーヌを見る。他の仲間たちも紋章術の突然の停止に戸惑った。しかし術師であるレナとレオン、そして当の本人であるセリーヌはすぐさまこの異変の正体を感じ取る。

「おいおい、まさかテレポートに失敗しちまったのか? もう一回やってみようぜ?」
「………残念だけど、それはできないみたいね」

 レナがそう言いながらセリーヌの手を取り、彼女が立ち上がろうとするのを助ける。一方レオンは鋭い目線で周囲に警戒を巡らせていた。

「できないって……どういうことだよ、そりゃ!?」
「何か問題でも生じたのかい?」

 状況が分かっていないボーマンは、ワケが分からないといった表情でさらにセリーヌに聞き返す。一方のクロードも全く事情が呑めていない様子ではあるが、こちらは予想外の事態にもほとんどうろたえることなく、冷静にその答えを尋ねた。

「紋章術がたった今封じられましたわ。おそらく、何者かの罠によって……」

 そんな二人にセリーヌは険しい表情で説明を始めた。紋章術が封じられた。その言葉にボーマンは驚いたが、セリーヌはさらに話を続ける。

「……してやられましたわね。誰の仕業かはわかりませんけれども、わたくしが何か術を使うと自動的に魔力が封印されるトラップが、ここに仕掛けられていたみたいですの」

 セリーヌはそう言うと、海沿いに立てかけられた看板へと歩いて行った。今まで自分達が合流地点の目印にしてきたその看板には、カードくらいの大きさの機械がひとつ、テープのようなものでしっかりと貼り付けられていた。

「少なくとも、この星の人間の仕業ではありませんわね……」

 セリーヌはベリベリと音を立ててそれを剥がした。いまだ動作を続けるその謎の機械こそが、彼女の言う“紋章術を封じるための罠”なのであろうか。

「おやおや。さすが気付くのも早いですネ」

 すると同時に、生ぬるい声が5人の背後から聞こえたのだった。全員がぞくっとするような悪感を感じて背後を振り返ると、ジルハルト方面に向かう道の途中にいつの間にか一つの人影があった。

 そこには茶色の装束を身に纏った、緑色の長髪の男性が揺れるように立っていた。彼の周りには水晶体のようなものが2つ浮かんでいる。白色の瞳をしっかりと開きながら、ただただぼんやりと不気味な笑いを放つその姿は、5人の目には幻影かなにかのように映った。