51.第四章 第六話




 地球のとあるビルの一角。ここはニューヨークに本社を置く大手出版会社のオフィスルームだ。その中でも人気週刊誌の編集部は、最近の流行や政治家・芸能人のスキャンダルなど大衆が求めるトレンドを常に発信せねばならず、それゆえそこで働く記者たちは毎日多忙な仕事をこなす必要があった。

 ガラスウインドウからの日差しはブラインドに遮られ、その代わりに真っ白な蛍光灯が淡白な色をかもし出す広い部屋。ずらりと並んだ机上には一人一台のパソコンがあり、その周りはどこもおびただしい数の書類で埋め尽くされている。

 記者たちはそんなデスク上に僅かなスペースは見つけては、そこにコーヒーの入ったマグカップやちょっとしたお菓子などを置き、ひたすら目の前のパソコンのデスクトップに目を向けていた。その画面上では、白いキャンバスの上を流れるように黒い文字がカタカタと打ちこめられてゆく。

 ひっきりなしに鳴る電話のベルや誰かを呼ぶ人の声、印刷機からどんどん紙が支給されてくる音や、書類が一気にバサバサと落ちる音。日中から喧騒の絶えないこのオフィスに、チサトは今日も記事と格闘しながら居座っていたのだった。

「あぁんもう!! うまく書けないわー!!」

 チサトはそう叫ぶと苛立ち気味に机をバンと叩いた。積み上げられた書類たちが、彼女の引き起こした振動により少しだけ場所をずらす。

 だが周りの記者たちは、そんなチサトがたてた物音など気にもしない様子で作業に没頭している。この程度のことなど日常茶飯事であり、それにいちいちかまっている暇など誰にも無い。それぞれの締め切りに精一杯であり、他人のことを気にしている場合ではないのだ。

 記者というのは締め切りが命。新聞や雑誌、いわゆる大衆情報媒体と呼ばれるものは定期発行されるものだ。その発行日に誰か一人でも記事の提出が遅れようものなら、内容の不足あるいは不十分さゆえに購読者が不満を持ち、たちまち他の新聞などに乗り換えられてしまう。編集長からも大目玉まちがいなしだ。

 そして今回はチサトも記者の一人として、ある記事の提出を迫られていた。そう。先日から長期にわたって継続してきた、あのクロード一行の任務に関する取材である。

 長い間この仕事場を留守にしておきながら適当な記事などを書くことなど、自称一流記者のチサトのプライドは当然許すはずも無かった。

「もぉー……難しいわねぇ。起こったことをそのまんま書くわけにはいかないもの。連邦の指示で口止めされている事項も多いわけだし……」

 パソコンの前でチサトは画面と睨めっこをした。テトラジェネシスで出会った空を知らない少年シファーダ。彼のエピソードを記事に盛り込んだおかげでノルマの半分くらいはなんとか書けたのだが、それだけでは字数が足りない上にインパクトも少ないと編集長から駄目出しがあった。

 だからといって、先日までの出来事をそのまま書けば済むという話でもない。ネーデの十賢者事件は連邦の機密事項であるため、もし「イーヴとグレッグという謎のネーデ人登場!」といった見出しを書こうものなら、後日になって肩を叩かれることになるだろう。

 そこでとりあえずチサトが書いたのは、惑星ロザリスにおけるブーシー密猟事件についてだった。しかしこれは犯人が捕まっていないだけにインパクトが薄く感じられる。それでもあの長期滞在に見合う記事になるよう、なんとか凄みを帯びさせる工夫を文章に凝らしていかなければいけなかった。

「いっそのことありのままを書けって言われたら、楽になるんだけどな。ネーデっていう人口惑星の十賢者って悪いやつらがー、なんだかとんでもない魔術を使ってー、宇宙を滅ぼそうとしましたー。その生き残りみたいなヤツがエクスペルにー……みたいなね」

 無論そんなこと書くつもりなどさらさら無いチサトではあるが、そう言わずにはやってられないくらい苛立ちが溜まっていた。報道の自由が守られていたネーデが懐かしい。

「はぁ……ネーデかぁ……まさかあんなことになるなんてね………」

 そう呟いて、チサトは大きく溜め息をつくのだった。




――――トルルルルルルル……――――




 そんなとき、チサトの机の隅に置かれている卓上電話が突然鳴り出した。

「だーっ、もうっ!! こんな忙しい時に……!!」

 どうせまた編集長のきつーいお叱りなんだろうなと思いながらチサトは重い腕を上げ、黒ずんだ電話の受話器をカチャリと取り上げる。

「はいもしもし。チサト・マディソンです」
「ああ、チサトくんか?」

 しかし受話器の向こうから聞こえてきたのは、チサトにとってあまり覚えのない声だった。

「あの……すみません、どちら様でしょうか?」
「ああ、すまんすまん。私は…………」
「……ええっ!? しゃ、社長!?」

 なんと電話の向こうに居たのは、この出版社の社長だった。チサトは頭から冷や水を掛けられたかのように驚き、無礼な物言いをしてしまったことを慌てて詫びる。

「た、大変失礼いたしましたっ……!」
「いやいや、私のほうも名乗らんかったからな。どうだ? クロードの任務に関する記事のほうは?」
「は、はい。おおよそ書き上げ、今はその修正作業をしているところですが……」
「そうか、なら大丈夫だな……」

 チサトが進捗状況を説明すると、電話の主である社長は安心したような口調でそう言ったのだった。

「突然で申し訳ないのだが、君にはもう一度長期任務を命じる。その記事に関しては他の者に任せるよ」
「えっ? は、はぁ………?」
「とりあえず至急、銀河連邦の本部に向かうように」
「わ、わかりました! 連邦本部ですね?」
「そうだ、頼んだぞ……」

 その言葉を最後に、電話はプツリと切れてしまった。汗の滲む手で受話器を戻したチサトは、少し頭の整理を行うことにした。

 突然、それも社長直々に言い渡されたこと。銀河連邦に直接出向いての長期出張。今の記事を中断するくらいの任務である。よほど重大な事件でも起きたのであろうか? 

 とりあえず現状として、ここでのんびりしているわけにはいかない。至急と言われた以上、すぐにでも荷物を整理して現場に出向しなければならない。

 チサトはノートパソコンや重要書類など一式をカバンに放り込んで肩に掛けると、さっきまで書いていた記事のデータを手に部長の元へと歩いて行った。

「部長! これから長期出張に行ってまいります」

 そう大声で挨拶をする。すると部長にも事情は既に通達済みであったようであり、彼は黙って大きく頷くとチサトから書きかけの記事データを受け取ったのだった。

「さーて、また忙しくなるわね……」

 チサトは「お疲れ様です」と同僚に声をかけながら部署を後にし、カツカツとヒールの音を鳴らしながら廊下を歩いていくのであった。





 多忙な銀河連邦の軍人とはいえども、きちんとお昼休みの時間くらいは設けられている。今はちょうどその時にあたり、レナとプリシスの二人は連邦ビル内部の食堂でくつろいでいたのだった。

 地上数百メートルという超高層ビルのため、ガラス張りの食堂も周囲のビルの屋上を見渡せるくらい高い階に位置している。窓際に座っている二人からは、地上の車や道路などがおもちゃのように見えるくらいだ。

 そんな絶景ともいえる場所で、2人は紙パック入りのジュースを飲んでいた。プリシスはその中身をじゅるじゅる音をたてて飲みほすと、空の容器を勢いよく机の上に置く。一方でそんな彼女とは対照的に、向かいに座っているレナはちょびちょびと中身をすすっていたのであった。

 午後の仕事までは、まだもう少しだけ時間がある。しばらくは何も話さなかった二人だったが、ある時プリシスがイスの背もたれにだらっともたれかかると、そっけなく視線を左上へと向けながらふと口を割ったのだった。

「レナはさぁ、いつまでここで軍医を続けてくつもりなの?」

 突然放たれた言葉に「えっ?」と声を出してしまったレナだったが、それ以上にプリシスの言葉の意味するところがよく分からなかった。

「それって、どういうこと?」
「んんー、だからさぁ。レナってこのままいくと多分、てか絶対にクロードと結婚するじゃん? そしたら当然さ、子供が産まれたり家事に追われたりで色々と忙しくなるわけよ。そうなったらどーするのかなーって……」

 イスを支えるパイプに両足を交互にぶつけながら、プリシスはそう言った。

「け、結婚だなんて………まだそんなこと………」
「まだなんかじゃないよ。もしかしたら明日にでもプロポーズしてくるかもしんないよ?クロードは」

 結婚。その言葉にちょっと顔を赤らめたレナだったが、プリシスはそんなレナなどお構いなしに話を続ける。

「これはあたしの予感なんだけどさ。二人が一緒になるのも時間の問題だと思うんだよね。レナにはまだその自覚がないかもしれないけどさ……」

 プリシスはここまで言い終わると、ちょっとゴミを捨ててくると言い残し、レナと自分の二人分の紙パックを握りしめて席を離れていった。

 すたすたと歩いていくプリシスを眺めながら、レナはプリシスに言われたことを頭の中で反復した。

「け、結婚かぁ……」

 レナの顔はまだ赤い。突然言われたのだから無理もないが、実を言うとこのことはレナも最近たまに考えるようになっていた。

 その時は結婚したらお互いに何て呼び合おうかとか、子供が産まれたら名前は何て名前にしようかだとか、幸せな情景しか思い浮かばなかった。要するに単なる妄想で留まっていたのだ。

 それゆえプリシスが言ったような、現実を見据えたことなど考えたこともなかった。

 軍医とはそうそう楽な仕事ではない。長期任務に緊急事態といったことはざらであるし、毎度毎度の疲労も半端ではない。子育てと両立してできるほど甘くはないだろう。

 そうなるとやっぱり結婚したら仕事から身を引くのかなぁ、とレナは考えた。実際に身の回りにそういった先輩達はたくさんいたし、彼女らの引退も何度と無くこの目で見てきた。

 でも、それだとレナが地球に来たのは最新医学を学ぶためでも連邦の一員として銀河を守ることでもなく、単にクロードが好きだからついて来ました、で終わりになってしまう。

 それが本音かどうか問われれば、レナは否定できない。だが、本当にそれでよいのだろうか?

「ただいまっ……と」
「あ………」

 色々と考え込んでいて前が見えていなかったレナの前に、ひょいとプリシスが帰ってきたのだった。





「それでどう? 答えはでた?」

 再びイスに座ったプリシスは、今度は身を乗り出すようにしてレナに尋ねてくる。

「そ、そうねぇ……多分、やめるんじゃないかしら………?」

 レナはまだ考えがまとまっていなかったが、ここで何かしらの結論を言わないとせっかく時間をくれたプリシスに申しわけないと思い、とりあえず簡潔にそう答えた。

「やっぱりそっか………」

 それを聞いたプリシスは、へへっと少し寂しそうに笑うと、乗り出した身を戻して大人しくイスに座りこんだ。

「それがいいよ、絶対に。お母さんがいないってすっごく寂しいんだからさ。それにそのほうがレナは幸せになれると思うよ……」
「そ、そう………」

 そういえばプリシスの母親は彼女が小さいときに家を出て行ったんだったなと、ここでレナはその事実を思い出した。

 冒険中も、そして今でもレナやクロードが母親と仲良くしている光景を、プリシスはどんな思いをして見てきたのだろうか? そう思うと彼女の言葉にも少し納得がいく。

 しかし、そんなことを確認するためにプリシスがわざわざ自分に質問してきたとは到底思えない。何か他に理由があるはずだとレナは思った。

「プリシスはどう思っているの?」

 レナは表情を変えると、プリシスに同じことを聞き返してみた。

「へっ?」

 俯き気味だったプリシスの頭がぴくっと跳ね上がる。不意を突かれ口を半開きにしながら、彼女はレナのほうを向いた。

「言ってるとおりよ。プリシスはこのままずっと軍人を続けていくの?」

 これまで押され気味だったレナは、一転して今度はぐいぐいとプリシスを押すよう言葉を続けた。それを聞いたプリシスはきゅっと唇を結び、鼻から息を漏らしながら少し頭を垂れた。その目は少し哀しそうにも見えたが、レナはそのまま彼女の返事を待った。

 やがてプリシスは頬を緩め、そっと口を開く。

「わかんないんだよね、それが………」

 待ちに待った一言は、そんな言葉だった。

「…………」
「全然わかんない……。おかしいよね、自分のことなのにさ……」

 そう言ってプリシスは誰にでも分かるような作り笑いを見せた。よく見る彼女の表情だったが、このとき何故かレナはそんなプリシスに少しムッとくる感情を覚えたのだった。

「なら、どうして自分でも分からないようなことを私に聞いてきたのかしら?」

 少しきついかなとは思いながらも、レナはさらに尋ねる。プリシス自身が分からないから自分に意見を聞いてきたのではない。それに気付きつつも、それでもなお聞き返した。

 それを聞いたプリシスはそっと視線を下へと逸らした。唇を噛んでいるのがレナから見ても分かる。

「………なんだか、また最近すごく寂しい気持ちが湧いてきてさ。たぶんエクスペルに行ったからなんだろうけど」

 プリシスの口から出てきたのはそんな言葉だった。

「ほら、ボーマンは結婚してエリスちゃんがいるし、エルネストとオペラにも子供ができたじゃん。セリーヌはクリス王子と上手く……やるのかなぁ? わかんないけど。でもみんな4年前とはすっかり変わってしまっていてさ……」

 プリシスはそう言って軽く鼻をすすった。そしてさらに言葉を紡いでいく。

「……ゴメン。意味わかんないよね?」
「……いえ」

 レナはただ一言、そう答えた。最近自分が抱えていた悩みと全く同じこと。それはプリシスも考えていたことだった。

「だからレナはどうするのかなーって思って。でもやっぱりレナも………」
「馬鹿ね。変わらないわよ。私達は」

 プリシスの言葉を遮り、レナがきっぱりとそう言い切った。プリシスはその区切るような口調に反応するかのように、ふいと顔を上げる。

「たとえ私達がどうなろうとも、ずっと大切な仲間であることには変わりないわ。これからも、ずっと……」
「レナ………」
「また、この前みたいにみんなで大はしゃぎすればいいのよ」

 レナは自然と笑顔になりながらそう言った。プリシスを励まそうという意図もあったが、彼女自身も仲間と楽しむ光景を想像するとワクワクした。

 プリシスも沈みかけていた表情が次第に晴れていく。本人にその自覚はないだろうが、やはりレナの言葉は心に響いたのだろう。

「……うん! そうだねっ!」

 プリシスは笑顔でそう返事をした。感謝の裏返しとしての笑顔でもあるが、それだけではなかった。久々に心の底から自然に笑顔がこぼれた。プリシスは自分自身をそう感じたのだった。

 こうして少し重苦しい空気が解けたとき、二人はあることに気づく。そう、各々の携帯電話が……

「あれ、なんか鳴ってる?」

 ほぼ同時に、二人の携帯電話から着信音が流れ始める。レナに至ってはお馴染み、クロードからの着信音だ。

「ちょっとレナー?」
「あはは……」

 目を細めるプリシスにレナは困ったように笑った。

「って、アタシもクロードからじゃん!?」

 だが携帯を開いたプリシスは、自分にもクロードから連絡が来ていることに気がつく。

「そうみたいね………」

 プリシスより早くその内容に目を通したレナ。そのまますっとプリシスの方を向き、ニコリと笑った。

「さぁ、また冒険が始まるわよ!」
「……みたいだねっ!!」

 同じ悩みをもつ二人は足早に席を立つと、軽い足取りで食堂の出口へと駆けていったのだった。