50.第四章 第五話




「やれやれだよ……」

 そう呟いてアシュトンは剣を収めた。目の前に転がる魔物の残骸を大股でまたぎ、さらに前へと進んでいく。

 だが少し歩みを進めただけで、また進路の脇から魔物が襲い掛かってくる。その度に剣を鞘から抜き、そして振り下ろす。断末魔を聞くのにももう慣れた。なにせ何百回とその叫びを聞いてきたのだから。

 そしてドサリという音と共に、また一つ生命無き塊が砂の上へと吸い寄せられていく。

「本当にこの辺りは魔物が多いなぁ……」






 アシュトンはラクール大陸の南東部、地の果ての岬付近まで来ていた。このあたりでひたすら魔物を倒していたら、いつの間にかこんな辺鄙な場所まで足を運んでしまったのだった。

 海岸沿いをサクサク歩いてきたが、不安定な砂浜では足首のほうからすぐに疲労が蓄積される。そこでアシュトンは、休むのに適当な場所を見つけて腰を下ろすことにした。座った脇に荷物を置くと、しばらく海の向こうをぼーっと眺めてみる。

「この海の向こうにはエル大陸か。ここからエルリアタワーが見えたりしないのかなぁ……?」

 独り言を呟きながら、じっと目を凝らして南東方向の海原をただ見つめる。アシュトンは先日出会ったエルリアの青年、シオンのことを少しだけ考えていた。

 地平線に船の姿はどこにも無く、もうもうと立ち上る積乱雲も無い。イルカやクジラをはじめ海に住む哺乳類の姿も無ければ、空を飛ぶ海鳥たちの姿も無い。ただ天頂付近に太陽が輝きつめているだけの、水と空の青一色、何も無い海だった。

 この海には何の気配も無い。すぐ後ろの陸からは魔物の殺気が溢れかえっているが、それとはまるで対照的だ。何かこの海岸が生命の境界線のような、さっきまで自分が振り下ろしていた剣筋のような生と死の分かれ目。この先にはこの場所とは違う世界があるようにアシュトンは感じた。

 何となくそんなことを考えていたとき、アシュトンは海の向こうになにやら島のようなものがあることに気がついた。それも小さな島ではなく、大陸といっても過言ではないくらいの大きな岩島だ。絶壁に囲まれた黒い島。そしてそこには人工的に作られたように見える、綺麗な四角錐状の建造物があることに気がついた。

「あれれ、あの建物はなんだろ? あれはたぶんエル大陸の一部だと思うんだけど……」
「あれはクロス大陸ではないぞ」

 突然、アシュトンの隣から低い男の声が聞こえる。

「う、うわっ!? だ、誰だ!?」
「フギャ!?」

 ギョロとウルルンも全くその気配に気がつかなかったようで、珍しく喉の奥から叫び声を上げた。

 一人と二匹が驚いて振り返り見ると、そこには肩まで伸びた金髪をなびかせる長身の男が、海を眺めながら佇んでいた。

 全身を黒色のヒラヒラとした衣装で纏い、大きくはっきりと開いた緋色の目をしている。その風貌とくれば、老けているとも若々しいとも形容できる。

 不思議なことに、アシュトンはこの男を見ることに対して何の違和感もなかったのだった。どこかで会ったような、見たことがあるような、そんな人物のような気がしてならなかった。

「あの場所はエル大陸ではない。よく見ろ。エル大陸はここから南東の方向だが、あの島が見えるのは真東だ」
「は、はぁ……」
「あれもちゃんとした一つの大陸だ。人は住んでいないがな」

 男は話を続けた。

「このあたりは潮が激しく対流していて、人間はあの大陸に近づけないのだ」

 男はただその大陸を眺めながらそう語った。いや、語りかけると言うよりは独り言に近い感じだ。表情も何一つ変えることなく、なおも男は淡々と喋り続ける。

「絶壁に囲まれた大陸。その存在は人間の地図にもほとんど記されていない。無論、辿り着いた者もいない……」
「で、でも、あの大陸には人が作った遺跡みたいなものが見えるよね……?」
「ああ、あれか…………」

 一方的だったこの男が、はじめて返事をした。そしてこのあと少し間を置いたのち、彼はこんなことを口にしたのだった。

「あれは“試練の洞窟”という場所だ………」

 “試練の洞窟”。ここ何年かエクスペルを放浪していたアシュトンではあるが、そんな名前の洞窟など聞いたこともなかった。

「試練の……洞窟………?」
「試練の洞窟。それは堕天使によってはるか昔この地に作られた、その名の通り試練を生なる者に与える場所………」
「へぇ………」

 そう返事をすると、アシュトンはもう一度じっと目を凝らして彼の言う“試練の洞窟”とやらを見た。あの遺跡にはそんな名前がついていたことに、とても好奇心が揺り動かされた。

 一体その試練とはどんなものなのか? 伝承の類はどちらかといえば信じてしまうタイプだが、それでも堕天使が作ったなど言われるとアシュトンは少し胡散臭く感じてしまう。

「そんな場所があったんですね。でもなぜあなたは……」

 そう言ってアシュトンが再び横を向いたとき、もう男の姿は無かった。

 浜風がバサバサとマントを舞い上がらせる。彼の隣に人が居たという気配や痕跡は全く残っていなかった。アシュトンは急いで辺りを見回してみたが、男はどこにも見当たらない。

「不思議な人だなぁ。どこかに行くなら一言くれてもいいのに……」

 きっと自分が目を離したうちに立ち去ったのだろう。せめて何か一声かけてほしかったと文句をぶつぶつ言いながら、彼もこの場を立ち去ろうとする。だがここでふと、自分の荷物入れの中から通信機のブザー音が鳴っていることにアシュトンは気づいたのだった。

「あれ……?」

 その通信機を見ると、差出人の名前が画面にでかでかと表示されている。その名前とは……

「…………クロード?」





「まっ、こんなところだろうな」

 ボーマンは肩から下げた布袋をパンパンと叩き、その内容物が容量の限界に達したことを確認した。

 袋の中からは何ともいえないハーブの香りがむんむんと漂う。ここリンガの聖地は別名“薬草の宝庫”とも呼ばれ、一見不毛に見える岩肌だらけの山岳地帯の中にも、その隙間からは太陽の光を求めるよう、様々な種類の薬草がぽつりぽつりと顔を出していた。

 中にはここでしか取れないような珍しい薬草も数多く知られており、それゆえこの聖地から半時間もかからないような場所に位置しているリンガは、薬草科学が非常に発達していた。

 ボーマンもかつてはリンガの研究機関にお世話になっていた時期もあり、その頃からここ地にはよく足を踏み入れていた。

 今日も薬草の調達に足を一運びしてきたところだ。魔物を倒しながら、ひとつひとつ岩陰を覗き込んで薬草を採取する。そう聞くと単純作業のように思うかもしれないが、如何せんここのモンスターはなかなか強いため、一般人が簡単に行えることではない。

 武術に精通しているボーマンでさえも、この作業はなかなか精神を削られる。一度に大量を取ることが出来ず、今回のようにほどほどな量を見つけたら帰る、というのが彼のいつもの薬草採取だった。

「……さてと。んじゃ帰ってこいつを調合するか」

 泥と草液まみれの手をゴシゴシと白衣に擦り付ける。こんなに汚すとまたニーネがうるさいだろうなと思いながら、ボーマンは軽い足取りで山を下りはじめたのだった。





「ん?」

 聖地を抜け出し、リンガへ続く道をてくてくと歩くボーマンの前に、茂みから一人の男が現れた。

 誰だ、と思ったボーマンだったが、その男が見たことのあるような風貌をしていることに気づく。茶色の髪に、背中には2匹の龍。

「おい、アシュトン!」

 反射的にボーマンはその人物を呼んだ。

「あれ、ボーマンさん?」

 突然名前を呼ばれたことに驚いた様子のアシュトンもボーマンの名を呼び返すと、駆け足で彼の元へと駆け寄る。

「ボーマンさん、こんなところで一体何を?」
「そりゃあこっちのセリフだ。茂みからゴソゴソでてきたお前こそ、いったい何やってたんだよ?」

 まさかこんな所でこの男に出くわすなど思いもしていなかったボーマンは、目を細めてアシュトンに尋ね返す。

「えっと、魔物退治をしていたら、ついつい海辺のほうまで来ちゃって……」

 アシュトンは頭を掻きながらそう答えたとき、ふと先ほどの出来事が彼の頭をよぎったのだった。

「あっ、そういえば」

 彼は出会い頭のボーマンに対し、突然ある話題を振った。

「ボーマンさんは、試練の洞窟って知ってますか?」

 謎の男から聞かされた不思議な話。ラクール大陸南東の海岸から見えた試練の洞窟と呼ばれる不思議な遺跡について、昔からこの地に住んでいるボーマンなら何か知っているかもしれない。アシュトンはそう思ったのだった。

「ん……なんだそりゃ? そんなものを探してあんな場所に居たのか?」

 だがそれを聞いたボーマンは、全く知らないぞといった態度でアシュトンをしらっと見つめた。いきなり何を話し出すんだと、逆に彼はアシュトンに問い返すのだった。

 そんなボーマンの態度を見て、アシュトンはやっぱり知らないか、と残念そうに肩を落とした。気を改め事情を話し始める。

「いや、そういうわけじゃなくて……たまたまさっき近くの海岸を通りかかったんだけど、そのずっと東、海の向こうに不思議な大陸と遺跡が見えてね。そしたらそこに居た男の人が教えてくれたんだ。その遺跡は試練の洞窟っていって、大昔に堕天使がつくったんだよって……」
「ああ、なんだ。あの大陸のことか……」

 だが、話はしてみるものである。今度は知っているぞとばかりに、ボーマンは得意気な顔でふふんと喉を鳴らした。

「確かに、あそこは未踏の地として知られている。ラクールから何回も探検隊が送られたそうだが、結局は海流に阻まれて辿り着けないんだとよ。実際に遺跡みたいなものがあることも分かっているらしいぜ。俺は見たことねぇけど……」

 少し時間をかけ、ボーマンは知っている限りのことをアシュトンに話した。前々から大陸の存在については知られていたらしいが、実際に行った人はまだ誰も居ないらしい。先ほどアシュトンが出会った男の言うとおりだ。

 さらに話を聞くところによると、ボーマンの地元リンガにはあの島に関する様々な神話や伝記が残されているとのことだ。ラクールアカデミーの大図書館にもそれについて綴られた書物がいくつもあるが、大陸の内部に関しては書物によって全く違った記述がなされているらしい。

「たぶん、お前が聞いた話も伝説のうちの一つなんじゃねぇか? 俺も昔は結構聞かされたもんだよ、近所の爺ちゃんとかからな。でも普通信じられるか? 天使だぜ?」

 ボーマンは笑い飛ばすようアシュトンにそう言う。だがアシュトンはというと、神妙な顔つきで彼を眺めていた。

「……でもさ、ここ何年かで僕達の身の回りに起こったことは信じられないことばっかりだったよね? 宇宙とかタイムスリップとか……」
「ま、まぁ確かにな………」

 苦笑いしながら短髪を掻くボーマン。言われてみればアシュトンの言う通りだった。夜空の星々には様々な生物が住んでいて、しかもその場所へ空を越えて行くことになるなんてこと、4年前の自分に言っても絶対に信じないであろう。

 実際にネーデに行くことで、初めてそれらのことを真実として受け止めたわけである。“百聞は一見にしかず”という諺にもある通り、リンガ南東の大陸遺跡についても実際に行った人がいない故に、様々な諸説が飛び交っているのだろう。

「あ、そうそう。宇宙で思い出したんだけどさ」

 アシュトンはここで人差し指を立て、新たな話をボーマンに振った。

「クロードから連絡が来なかったかい? ほら、だいぶ昔に貰った通信機にさ」
「ん、わからねぇな。あの通信機ならずっと家に置きっぱなしだ」

 アシュトンはクロードから送られてきた連絡について、ボーマンにも同じようなことがきていないか、確認の意味合いも込めて尋ねてみた。しかし彼はまだそのことを知らないらしい。ディアスと同じくボーマンも機械には疎いため、通信機はリンガの自宅に放置中なのだそうだ。

 所持していないのならば仕方が無いと思ったアシュトンは、とりあえずその旨を伝えようと通信機を取り出してみせた。そして先ほどのメールを開き、そのままそれをボーマンに渡す。

「ほら。これなんだけどさ……」
「ん、どれどれ……?」

 腕を組みながらアシュトンの差し出した通信機に目を通したボーマンは、たちまち目の色が変わっていった。

「なんだなんだ? 面白そうなことになってんじゃねぇか?」
「でしょ? またみんなと旅ができるね!」

 二人はそう言いながら、笑顔で顔を見合わせるのであった。