38.第三章 第八話




「いや、まさかアシュトンらと戦う羽目になるとは思いもしなかったな」
「そうですね。勝てたのが驚きですよ」

 選手の控え室から少し離れたところ、トイレを済ませたエルネストとクロードは仲間たちの待つ控え室と戻る途中だった。武具大会の初戦でかつての戦友たちと戦ったことについて、今なお興奮が冷めやらない様子である。

 次の戦いまでは、まだ少し時間があった。トーナメントに参加したチームは累計14チームという正式発表があった。2チームがシードになるとして、一回戦は計8回行われることになる。一回の試合で30分ほどを要するので、次の試合は午後3時くらいになると連絡があった。

「ほんとにディアスのおかげだったな。あいつがセリーヌの紋章術を受け止めなければ、今おれたちはここには居れなかっただろう」
「守るための強さだって、言ってましたしね」
「ああ。よかったよ。ディアスもちょっとは自分の戦いに意味を見出しつつあるんじゃないか?」
「……そうだとしたら、嬉しいんですけどね」
「ま、次も頑張ろうじゃないか………ん?」

 エルネストはクロードとの会話の途中、突然眉を寄せた。

「どうかしました?」

 エルネストの様子が変わったことに気がついたクロードがそう訊ねる。

「今なにか聞こえなかったか、クロード?」
「いえ、別になんとも……。どんな音ですか?」
「何かこう、地響きというか、外が揺れる感じがしてな」
「揺れる感じ? 大会の観客が結構騒いでいますし、それかもしれませんね」

 武具大会の観客は相変わらず高いテンションを維持していた。勝負が決まったときに思わずジャンプをする者も少なくなく、クロードはそういった類の行為によって会場全体が揺れたのではないかとエルネストに言った。

「そうなのか? いや……」

 それでもエルネストの表情がすっきりすることはなかった。遺跡調査の専門家である彼にとって、聞こえてきた音が遺跡内のギミック作動によるものか、それとも建物外の騒音なのかを判別することは難しくなかった。そして今回の音は後者、闘技場の外から響いたものだと、彼の直勘がそう呼びかけていたようだった。

「すまんクロード。ちょっとあそこの窓を見に行かないか?」
「え、別にいいですけど……」

 やはりしっかりと確認しておきたいという思いもあったのだろうか、エルネストとクロードは廊壁に散りじりに開けられた鉄格子の窓を覗き込んだ。

 するとエルネストの予想通り、なんとその向こうにはとんでもない光景が広がっていたのだった。

「な、なんだあれは……!?」
「あれは……レオンのディープフリーズ……?」

 快晴の空に似つかわぬ、大きな氷の塊が郊外に見えた。それは紛れもなく、標的を鋭利な氷の刃で攻撃するレオンの得意技、ディープフリーズに違いなかった。

「……おい、これは緊急事態だな」

 驚くクロードとは対称的にエルネストは冷静だった。もしレオンが仲間と一緒ならば、セリーヌやノエルの魔法も一緒に見えるはずである。それが無いということは、レオンは他の仲間たちと離れ単独で戦っている可能性が高いということだ。

「クロード。俺は向こうの非常口からレオンの元に急ぐ。お前は一刻も早く大会の関係者にこのことを伝えて武具大会を中止させろ。その後でレナ達を連れて来てくれ!」
「……大会中止ですか?」
「ここにいる大勢の人間は外での事態に気が付いていない。最悪のケースを考えると、こんなところで悠長に戦っている暇なんかないぞ!」

 街中まで被害が及ぶと、当然近隣の住民は緊急避難をしなければならない。その場所は4年前のソーサリーグローブ騒動のときと同じ、ラクール城内ということになるだろう。城の関係者はただちに町の治安維持に赴かなくてはならず、こんな大会で油を売っている場合ではなくなるに違いない。

「……わかりました」

 状況が掴めたクロードはエルネストに力強く返事をする。

「エルネストさん、本当に気をつけてくださいね!」
「ああ。クロードも頼んだぞ!」

 エルネストはクロードに向けて手のひらを掲げながら、颯爽と非常口目がけて走り去って行くのだった。緊迫な顔持ちで駆け抜ける彼に対し、その場付近にたまたま居合わせていた人達はこの男の邪魔しないようにと、自然に通路を開けてくれたのであった。





 晴れていた上空にうっすらと灰色の雲が差し込みはじめる。だんだんと薄暗くなっていくラクール城下町が、微かな重低音と共にまた揺れた。民家の軒下の植木鉢などがカタカタと振動し、それを見た住人達は、「いやだ、久しぶりに地震でもおきたかねぇ」と口々にぼやく。

「くっ……またか! レオンの奴、やっぱり苦戦していやがるな……」

 闘技場をクロードに託し、全力疾走のエルネストは城下町の住居密集地帯に差し掛かっていた。自分の目が正しければ、ここを少し抜けた場所からレオンの魔法が解き放たれていた。

 額からぽたぽたと汗が滴り落ちる。それほどまでにエルネストは真剣にレオンの元へと急いでいた。これだけ戦闘を長引かせているということは、手こずっているに違いないと考えていた。

 眼前に細い十字路が見える。ここを直角に左折しようと体重を左へ寄せる。

「うわっ!?」

 だが、曲がりきる前にエルネストは同じくこちらに曲がってきた誰かと正面衝突してしまった。その勢いそのままにパタンと後ろに倒れ落ちる。ここに来るまでほとんど誰ともすれ違わなかったので、エルネストは前方注意というものをすっかり忘れていた。

「す、すまない。急いでいたもんで……」
「あいたたた。こ、こちらこそ申し訳ありま………って、エルじゃありませんの!?」
「お、お前はセリーヌ!?」

 しりもちをついた患部をさすりながら起き上がったエルネストは、今し方ぶつかった人間の顔をみて唖然とした。そこには自分と同じように倒れていたセリーヌの姿があったからだ。

 セリーヌの方も同様の表情でエルネストを眺めていた。本来なら闘技場で次の試合に備えているはずの人物が、今どうして目の前にいるのか? とても驚いたのだろう。

「怪我はないか、セリーヌ? ……って、おいおい!?」

 そう言って手を差し伸べたエルネストは、セリーヌの体を見てぎょっとした。相変わらず露出の激しいその華奢な肩からは、滲み出る血液が腕のほうへと垂れていたのだった。

「ひ、酷い出血じゃないか!? 大丈夫か!?」

 自分がぶつかったせいで大怪我をさせてしまったと思い、エルネストは慌ててセリーヌを抱えあげようとした。

「大丈夫ですわ。それにこの傷はあなたとぶつかる前からあったものですし……」

 セリーヌはエルネストの腕につかまり、ぐいっと上体を起こした。

「どういうことだ? 前からあったって……」
「……私のことは構いませんの。それよりも早くレオンを助けに行ってください!」

 自分の身を気遣うエルネストに、セリーヌは必至の眼差しで懇願した。その真剣な眼差しを受け、大きく頷いたエルネストはぐいっと顔の汗を拭う。

「やっぱりレオンが危ないんだな……?」
「ええ……」

 セリーヌは怪我をしていないほうの手で後ろを指差すと、

「詳しいことは後で話しますけど、とりあえずこの先にいるレオンは、謎の男二人と戦闘状態にありますの!」

 と、さらに声を引きつらせてそう言った。彼女の様子からして、どうやら事態はかなり深刻らしい。

「私はレオンを連れてテレポートで逃げようと思ったのですけれど、向こうの攻撃が激しくてなかなか詠唱が完成できなかったんですの。そのうち魔力が限界にきて……それで闘技場にいるプリシスやボーマンに直接助けを呼びに行こうかと思いまして………」

 ここまで続けると、セリーヌはふうっと息をついて傍にあった壁に手をついた。

「レオンは自分一人で持ちこたえられると言っておりましたけど、敵は二人ですの。あの様子じゃ長くは……」
「わかった、もういい。無理はするな」

 エルネストはそう言ってセリーヌの背を叩いた。

「この異変については俺がクロードに言いつけてあるから、今頃プリシス達の耳にも入っているはずだ。セリーヌはこれで傷と魔力を回復して、テレポートで闘技場へ向かえ。そして行き違いにならなければ、みんなをもう一度テレポートで戦場に運んでくれ」

 エルネストは腰に下げた袋から液体の入った瓶を二種類出すと、セリーヌの傍にそっとそれを置いた。彼にとっては旅の必需品、体力回復用のフレッシュシロップと魔力回復用のマーリンドリンクだ。

 セリーヌは「すまないわね」と小さく呟くと、ゆっくりとそれを開栓し、ビンの縁をそっと唇になぞらせたのだった。

「ここをまっすぐ行けばいいのか?」
「ええ。とりあえず行けば分かりますわ」
「……わかった。後は任せておけ」

 エルネストはその言葉を最後に、セリーヌを残して路地の奥へと消えていった。

「頼みましたわよ……」

 祈るような気持ちでセリーヌはそれを見送ると、痛む肩を抑えながら魔力の回復を待った。いまレオンが戦っている相手、イーヴとグレッグの二人はセリーヌの予想を上回る強さを誇っていた。レオンにエルネストが加わったところで、無事でいられるかどうか分らない。

「はやくみんなを呼びませんと……エルネストまでもが危ないですわね……」





「な、なんだこれは!?」

 エルネストがたどり着いた先には、瓦礫と木片で足の踏み場も無いような、なにかの建物の倒壊現場だった。煙と埃が交じり合って胸のむかつくような匂いがし、野次馬に来た地元住民は馬鹿みたいに騒ぎ立てている。

「酷いな。誰がこんなことを……」

 エルネストは感情をほとんど伴わないような声で言った。

「いきなり煙があがったかと思えば、この宿の上のほうから爆発したよ」
「ほんとに突然の出来事だったねぇ……」

 野次馬たちの会話からエルネストは、ここがもともと宿屋であり、突如として原因不明の爆発事故に巻き込まれたことが分かった。はたしてここがセリーヌの言う、「行けば分かる」場所だったのだろうか?

 しかし、ここにはレオンの姿がない。

「レオンは一体どこに……」
「レオン博士をお探しですか?」

 エルネストの独り言に、一人の中年男性がそっと声をかけた。

「なに!? お前、レオンがどこにいるか知っているのか!?」

 エルネストはその男を問い詰めるかのようにぐいっと詰め寄った。その形相にエルネストに語りかけた男は委縮してしまう。

「は、はいっ。私はこの崩れ落ちた宿屋のオーナーでして……」
「宿屋……これか?」
「ええ。当時わたしは一階のフロントで業務をしておりました。しかし上の方の階があるとき突然騒がしくなり、その次の瞬間には爆発音とともに宿屋の崩壊が始まったというわけです。幸い従業員はみな生きて脱出できましたが……」
「……それはよかった。それでレオンはどこだ?」
「はい。レオン博士は上の階で爆発に巻き込まれたようで、若い女性と一緒にあちらの郊外へと走り去られて行きました。そしてその後を追うように、客として泊まっていた二人の男が……」

 敵は二人。先ほどセリーヌが言っていた証言と一致する。そして彼女の言う「逃げ出そうとした」というのは、この状況からの脱出を意味していたのであろう。



――――ゴゴゴゴ………――――



 また地鳴りのような音が再び聞こえた。今までとは違い、かなり近い場所だ。

「う、うひゃあ!? 今度はなんだ!?」

 腹まで響いてくるその音に、ついつい腰を抜かしてしまう宿屋の主人。だがエルネストは冷静に音のする方へと目を向けていた。

「今度はデモンズゲートか」

 レオンとセリーヌが去ったという方向から、大きな闇世界への扉が見えた。雷鳴と共に紫のローブを纏った死神がそこから現れ、大きな鎌で召喚主の敵となるものを粉砕する。レオンの最も得意とする魔法のひとつ、デモンズゲートだ。発動しているのはここからかなり近い。距離にして300メートルくらいだろうか。

「……あそこだな」

 エルネストはそう言うと静かに起き上がり、先ほどまで見せることのなかった闘争心あふれる瞳で、静かに荒れ狂う死神のほうへと駆け出していった。

「あ、あ、あ、あんた、あんな魔物の傍へ……!?」

 その地獄絵図にあちこちから悲鳴が聞こえる中、宿屋の主人はエルネストを正気かと言わんばかりの眼差しで指さした。だが再び夜空で死神が吼えると、そのショックで気を失いパタンとその場に倒れてしまった。

「目立つ呪紋ばかり唱えてやがる。レオンめ、考えたな……」

 おそらくレオンはあえて派手な呪紋を連発することで、仲間の誰かが気づくのを待っているのであろう。そう思うと拳を握る力がいっそう強くなる。

 仲間のピンチともあらば、すぐにでも助け出さなくてはならない。エルネストは腰に備え付けられたバインダーをパチンと外すと、そこに装備されていた強化ワイヤー製の鞭を右手に握りしめた。

「今行くからな。待ってろよ、レオン!」

 デモンズゲートの死神の誘うがまま、エルネストはさらに走る速度を上げたのだった。