35.第三章 第五話




「くそー、もう少しだったのになー」

 ディアスたちとのまさかの死闘に敗れたアシュトン一行は、搬送された医務室を後にしてぞろぞろと闘技場のエントランスに姿を現した。

 敗退した選手は傷が回復したら直ちに控え室を去らなければならなかったので、あの後はクロード達と顔を合わせる機会もなく戦場を去ることになってしまった。

 ノエルが試合後にかけてくれたフェアリーライトのおかげもあり短時間で傷は全快した一行だったが、おのおのが敗北の悔しさを噛みしめていた。途中までは互角以上に戦えていただけに、もう少し戦術を見直していれば勝てる可能性は十分あったと感じていた。

「補助呪紋を重ねるってのは良かった。ただ、長期戦に持ち込んだのは間違いだったかもな」

 ボーマンは片隅に佇む銅像に寄り掛かると、煙草に火をつけてそう言った。

「結局、俺がさっさとレナを倒せなかったのが敗因だったよ」
「そんなことないさ。それを言うなら僕だって、エルネストさんの相手を悠長にしていたのはまずかったよ」
「わたくしも、少し油断していましたわ……」

 自分を責めるボーマンをノエルとセリーヌがフォローする。誰もがあのとき心の中で“自分たちは優位に戦いを進めている”という慢心が生まれていたことに間違いはなく、それぞれが自責の念にかられていた。

 少しばかりの静寂が流れる。いつもは元気なギョロとウルルンさえも、お互い黙って俯いてしまっていた。

「おっつかれー!」
「みなさん、お疲れさまでした」
「パパー。負けちゃったねー」

 そんなお通夜ムードを払拭したのは、観客席側の廊下からやってきたエリスとニーネ、そして白い歯を見せてにこりと笑うプリシスだった。無人くんを連れてひょこひょこと笑顔を振り巻くその姿は、アシュトン達の雰囲気とは全く対称的なものだった。

「わっ、プリシス!?」
「もー、なにみんな暗い顔してんのさ? すっごい惜しかったじゃん! あたしずっとハラハラしながら見ていたよー!」
「そ、そう?」

 アシュトンは困惑した表情でプリシスにそう答える。

「アシュトンだって、あのディアスをもうちょっとのところまで追いつめてたじゃん?」
「それは色々とレオンたちの助けがあったから……」
「それでも剣の腕はすっごい上達してたよ! あたし久しぶりにびっくりしちゃった!」
「ほ、ほんとに?」
「ほんとほんと! アシュトンのこと、また見直したんだからさー!」
「い、いやー。そんなに言われると照れるなー……」

 そう何度もプリシスにおだてられたアシュトンの表情は、先ほどまでとは一変してみるみる明るくなっていく。

「ほんとに、分かりやすい奴だこと……」

 プリシスを前にすると一瞬で笑顔になるアシュトンに、セリーヌは呆れたようにそう呟いた。その隣ではレオンもうんうんと首を縦に振る。ただ、彼女の登場によって全員が少し元気になったことも間違いはなかった。

「えっと……みんな、今回は僕のために力を貸してくれてありがとう! 残念な結果になったけど、それでも久しぶりにみんなと一緒に闘えて楽しかったよ!」

 武術の腕前が格段に上がっているとプリシスに褒められたことが、アシュトンにとってはとても嬉しかった。敗北という辛い出来事の後でも、彼女のそんな言葉にとても元気づけられる。そして心に安らぎが戻ると他の仲間に対する感謝の気持ちもすんなり言葉となり、アシュトンは自然とそれを表現することができたのだった。

「そうだね、本当に僕たちは善戦したよ。来年また頑張ってこっちに来るからさ、その時には汚名挽回しようさ!」
「そうですね。みなさんお疲れさまでした。僕も時間があればまた参加したいですね」

 レオンとノエルも仲間たちとの共闘を称えると共に、一年後の大会出場までここで宣言した。研究ばかりの生活では感じることのない刺激を覚えたこと、そして大切な仲間たちと触れ合える貴重な時間を手にしたことが、すごく幸せなことだとレオンは今になって痛感させられた。

「ああ。今度こそあいつらに一発見せつけてやろうぜ!」
「もう……あなたったら、懲りないんだから……」

 エリスを片手に乗せていたボーマンもリベンジを誓う。その隣では妻のニーネが苦笑いを浮かべていた。

 ちょうどそのとき、裏手のコロシアムからはわぁっと一際大きな歓声が聞こえ、来年は自分も目の前にいる仲間と一緒にこの喝采を浴びることができればいいなと思うボーマンであった。

「それにしてもディアスの奴、かっこいいとこ持っていきやがったな」
「そうだね。あれも勝負の分かれ目だったよ」

 ボーマンとノエルが思い出すかのように話をはじめる。その話題の中心になっていたのは、自分を犠牲にしてまでもレナのことを庇い、味方の勝利に拘ったディアスのことだった。

 正直なところ、彼の勇気ある行動が無ければアシュトンはディアスを倒すことができたであろうし、ボーマンがクロードとチサトに倒されることも無かっただろう。

「まさかディアスさんが、あんな無茶なことするとは思いもしなかった……って、いてててて……」

 ボーマンの腕の中から伸ばされたエリスの右手が、ノエルの猫耳をぷにぷにと握り、それに反応するようノエルは痛がるよう声を上げた。エリスは楽しそうな様子で耳を握る手を離さず、そんな光景にボーマンはじめ他の仲間たちからも笑いが巻き起こるのであった。

「あそこまでしてレナを守るなんて、ディアスのシスコンも治ってませんのね……」
「ううん、そういうわけではないのよ?」

 セリーヌが呟いた直後、また一行に誰かからの声が掛けられる。一斉に皆がその声が聞こえた先を向くと、エントランスに溜まる人ごみの中からゆっくりとオペラが姿を現したのだった。

「オペラ!」
「みんな、久しぶりね」

 彼女の登場にアシュトン達がこぞってその周りに集まった。

 戦いの中で唯一目にしていなかったオペラとの再会に皆が湧きかえる。そんな彼女の腕の中では娘のローラが抱きかかえられていた。ボーマンとセリーヌは早速その赤ん坊の存在に気がつく。

「おお! こいつがもしかして……?」
「ええ。私とエルの娘、ローラよ」
「まーっ! なんて可愛らしいこと!」

 ローラとの初対面を果たしたセリーヌはきらきらと目を輝かし、そのつぶらな瞳に感嘆の声を漏らす。だが、彼女がくいっと額を近づけたところ、それに驚いたローラの顔は一瞬でぐしゃぐしゃになり、たちまち大きな泣き声が上がるのだった。

「ふええぇぇぇぇぇぇ……!」
「あ、あらまぁ。よーしよし、ごめんなさいねー」
「びえぇぇぇぇええええぇぇぇぇ!」

 鳴き声に気づいた人たちの視線が一点に集まる中、セリーヌは必死にローラをあやす。だが一度火のついた泣き声はなかなか治まることはなく、むしろ火に油を注いだかのように一段と大きなものになるのだった。

「へーっ、さっきあたしと初めて会った時には、ローラちゃんすっごい笑顔だったのに。それがセリーヌの顔を見ただけでこんなに泣き出すんだねー」
「な……そ、そうですの? わたくしだけ?」
「そゆこと。ほらほら、ちょっとかして?」

 ショックを受けるセリーヌをよそに、プリシスはオペラからローラを受け取る。すると不思議なことに、今まで泣き叫んでいたローラがプリシスの腕の中でぴたりと大人しくなった。機嫌が良さそうに自分の指をしゃぶるローラを抱きながら、どうだと言わんばかりの顔でプリシスはセリーヌのほうを向く。

「やっぱりあの変な格好したおばちゃんが怖かったんだよねー? よしよーし……」

 プリシスは見せつけるかのようにローラをゆさゆさと揺すった。

「ちょっと、今何て言いまして?」
「ほら、セリーヌったら、そんな怖い顔するから泣かれるんだって。怒ってばっかじゃ老けるのも早いよー」
「プリシス……」

 確かに昔から子供は苦手なほうだという自負はあったセリーヌだったが、それでも母性であのプリシスに負けることは屈辱だったらしい。

「……覚えていなさいよ?」

 セリーヌは物静かにそう呟きながら、自分を「おばちゃん」と呼ぶプリシスにわなわなと睨みを利かせたのであった。

「………」
「おいアシュトン。なにぼーっとプリシスのこと見てんだよ?」

 その一方では、ローラを抱くプリシスに見とれていたアシュトンに対し、ボーマンがにやにやと笑みを浮かべながら声をかける。

「うわっ、ボーマン!? ななな、なんでもないよ!」
「どうせお前、プリシスとの間に将来子供ができた時のこと妄想してたんだろ?」
「ちょっ……だから違うって言ってるだろ!?」
「ほー。ならなんでそんなに顔赤くしてんだよ?」
「べ、別にそんなことないって! ただローラちゃんが可愛いなーって……」

 完全に心を見透かされ、なんとか言い訳を試みるアシュトン。そんな彼の様子に気付いたレオンがボーマンに便乗してくる。

「うわ、出た出た! アシュトンのロリコン!」
「おいお前まさか、プリシスでは飽き足らずに今度は20歳以上も年下の赤ちゃんに色目使ってんのか!?」
「だーかーらー、やめてくれよー、そういうの!」

 両手をばたばたと振りつかせながら必死に抵抗するアシュトンは、昔と変わらずボーマンやレオンにとって絶好のいじり相手なのであった。

「ふふ。みんな面白いわね……」

 セリーヌとプリシスがいがみ合い、アシュトンがレオンとボーマンにおちょくられ、それをほのぼのと眺めているノエル。自分の娘が登場しただけで仲間たちの懐かしい構図が蘇るのを実感し、ついつい笑いがこぼれてしまうオペラなのであった。

 そしてそんな彼らのほとぼりが冷めるのを待った後、そろそろ自分が彼らに言いたかったことを伝えようと、皆に聞こえるくらいの大きさでふっと声を出す。

「そうそう。ちょっとみんな聞いて。ディアスのことなんだけど……」

 その言葉に、今まで和気あいあいと騒がしかった仲間たちがみんなオペラのほうを向いた。それを確認すると、オペラはさらに話を続ける。

「彼がレナを庇ったのには理由があるの」
「理由?」
「フツーにただ勝つためにやったんじゃねぇのか?」

 アシュトンとボーマンがオペラにそう聞き返した。

「いえ。確かにそれもあるかもしれないけど、私たちがアーリアで彼に会ったとき言ってたのよ。孤独な戦いばかりだったから、大切なものを見失っている気がする。だからこの大会では仲間を守るための大切さを知りたい。ってね」

 オペラがそう言い終えると、セリーヌたちは互いに顔を見合わせた。戦いが終わった後に各々浮かび上がったディアスに対する違和感が、彼女の言葉によって納得へと変わっていったようである。

「そういうことでしたのね。どうりでわたくしの術の前にせせり出てきたディアスの気迫に、いつもと違うものを感じたわけですわ」
「守るため……か、アイツらしい理由だな。シオンに負けて、久々に何か思いつめるところがあったんだろな」

 ボーマンはつい先日の武具大会でアシュトンだけでなくディアスの敗北も見届けてきたため、彼の心境がなんとなく理解できたようであった。

「そ。クロードやレナ、チサトとエルネストもこの大会を本気で勝ちにいってるの。ディアスのためにね。だから負かされたこと、みんな悪く思わないで応援してあげてね?」

 そう言うオペラの表情からは、申し訳なさと懇願の思いがいっぱいいっぱいに伝わってくる。それはこれから戦いが続くディアス達と、彼らに敗れたアシュトン達がひとつになってほしいと願う気持ちから湧いてきたものなのだろう。この場にいた誰もが、そんな彼女の気配りに心を打たれるのだった。

「そんなの当たり前じゃん!」

 プリシスが即答する。

「そうですわ。言われなくても、私たちはそのつもりでしたわよ。オペラ」
「ええ。僕たちのぶんも頑張ってもらいませんとね」

 セリーヌはぽん、とオペラの肩を叩き、ノエルは何度も彼女に頷く。かつて戦いを共にした12人の絆は、離れていてもしっかりと繋ぎ止められていたとオペラは嬉しく思い、いらぬ心配に駆られていた自分を改めて馬鹿らしく感じるのであった。

「そうと決まりゃ、さっそく応援しに行こうぜ!」
「そうだな。でも……こんな満員だと座れないかもしれなくないか?」

 誰よりもノリノリで観客席に行こうと声を上げたボーマンに対し、ノエルが不安げに呟く。するとそんな彼の言葉に、プリシスは待ってましたとばかりに反応したのだった。

「ふふふ、そんなこともあろうかと思って。ちゃーんと10人分くらい、無人君に席を陣取らせているんだよねー」
「おおっマジか! でかしたぞ、プリシス!」
「チキュウはどこいっても人多いからね。こんなの常識だよ!」
「うーん、よくわからんが偉い、偉いぞ!」

 ボーマンにわしゃわしゃと頭を撫でられるプリシス。ただ普通の感覚からすれば、これは非常に迷惑な行為であり、堂々と誇らしげに話すようなことではない。願わくば彼女の腕に抱かれているローラには、こういう大人にはなってほしくないものである。

「あの……悪いですけれども、わたくしはちょっと一旦宿屋に帰りますわ。ちょっと服がボロボロになってしまったので、とりあえずこれを着替えたくって」
「僕も。この杖持ったままだと邪魔になるしね」

 セリーヌは戦いによってあちこち破けてしまった服を先ほどから少し気にしていた。ただでさえ体を覆う部分が少ない衣装なのに、それがさらに露出度を増した形で不特定多数の人に見られるのは、さすがのセリーヌと言えども恥ずかしいのだろう。そしてそんなセリーヌにレオンもついて行きたいと言い出したのだった。

「僕もちょっとマックスさんの所に行ってくるよ。みんなプリシスと先に行ってて」

 アシュトンも後から応援に駆けつけたいと言った。彼の双剣を造ってくれた鍛冶師マックスに何か話したいことがあるようである。

「なんだ。みんな闘技場の外に出ちまうのか……」

 思っていたような一致団結をして応援する流れにはならず、ボーマンはつまらなさそうにそう呟く。

「ま、仕方ねぇな。どうする、ニーネ?」
「え? そうねー……」

 ボーマンに聞かれ、隣にいた妻のニーネはうーんと指で唇をなぞる。

「とりあえずそろそろお昼だし、みんなでご飯に行くのはどうかしら? ディアスさんたちの試合まではまだ時間がありそうじゃない?」
「お、そりゃ名案だ!」

 ニーネの案にボーマンは相槌をうつ。朝から試合が始まり、気がつけばもう昼もだいぶ近づいていた。観客席でいろいろと食べ物をむさぼっていたプリシスとは違い、ボーマンたちはしばらく何も口にしていない。

 戦いの疲労とオペラに会えた興奮のため今まで感じていなかった空腹感が、ニーネの一言により試合に参加した仲間全てに降りかかったのだった。

「そーいやもうこんな時間だ。僕もうお腹ぺこぺこだよ」

 アシュトンはお腹をさすりながらニーネの案に同意する。どうやらここに居る全員が同じことを思っているらしい。

「そんじゃ、みんなメシ食いにいくか!」
「わーい。もちろんここは最年長者のおごりだよね、ね?」

 プリシスは指を組み、笑顔でボーマンに首をかしげてみせる。

「はぁ? んなわけねーだろ? お前もいい歳なんだから自分で払え」
「えーっ、ボーマンのケチー!」
「ばか野郎! 俺だって子育てのために色々と我慢してんだよ!」

 ボーマンはわざとらしくプリシスにそう言うのだった。

「へーっ? 今の言葉、しっかりと覚えておくわね。あなた」
「げっ、ニーネ……」

 だが、その言葉を聞いたニーネがにやりと笑ってそう言うと、ボーマンは一転して焦ったように口をごもらせるのだった。

 そんな尻に敷かれる父親に抱かれ、エリスもけらけらと笑う。今年で三歳になるこの子供は、自分の両親の力関係というものを十分理解しているのかもしれない。

「さ。早く行きますわよー」

 既にセリーヌは闘技場の出口前まで行っており、早く来るようボーマン達を急かした。アシュトン、プリシス、ボーマン、セリーヌ、レオン、オペラ、ニーネ、エリス、そしてローラ。こうして大人7名に子供2名の大所帯は、やいやいと楽しそうにラクール城から市街地へと向かっていくのであった。