21.第二章 第一話




 カリカリカリ……

 ペンがひたすらに走る音が部屋に淡々と響き続けている。

 ここは衛星国家テトラジェネシス。4つの人工衛星から成るこの国家の第一衛星ル・ソレイユにある、とある大きな部屋の中。年代物の古机に向かいながら、一人の中年男性がつらつらと書き物をしていた。

「ふぅ……」

 男の名前はエルネスト。彼は作業に一段落ついたのか、今まで書類と睨み合いをしていた額を宙へ向けると、だらりと椅子にもたれかかった。

 伸びきった金髪の頭をぽりぽりと掻きながら、傍らに置いてあった煙草に火をつける。

「今日も平和だな……」

 そう独り言を呟くとフーッと口を細め、一筋の青白い煙を吹き出したのだった。



――――トントントン…――――



 ガラス越しに見える無機質なテトラジェネシスの景色と睨めっこしながら、ぼうっと緩やかな一時を過ごしていたエルネストの耳に、部屋のドアがノックされる軽い音が入ってくる。

「……何だ? 入ってもかまわんぞ」

 はっとして我に返ったエルネストは、ドア越しに部屋を叩いた人物に言葉をやった。

「失礼します。エルネスト様……」

 カチャリとドアノブが回されると、廊下から一人のメイドが姿を現した。彼女は礼儀正しくエルネストにお辞儀をすると、丁寧な口調で用件を告げる。

「今し方、連邦の関係者から伝言を承りました」
「ほう、連邦か……」

 エルネストは再び煙草を口にくわえ、メイドを見つめながらすうっと煙を吸い込む。彼女から言われなくとも、その連邦の人物が誰であるかは分かっていた。なぜならその人物は、自分からここに来るよう呼び寄せた男だからである。

「はい。クロード少尉と名乗っておられます」
「そうか、分かった」

 エルネストはそう返事をすると、通信書をメイドから受け取り、その内容を確認し始める。驚いたことに、クロード以外に二人の名前が訪問者としてリストアップされてあった。

 一人はクロードの恋人レナ、そしてもう一人は何故かチサトである。

「レナはまあいいとして、なんでチサトがいるんだ? 別に記事になるほどのことじゃないだろ……」
「……それでは失礼します、エルネスト様」
「ん? ああ、ご苦労だった……」

 再び礼をして部屋を出ていくメイドを確認した後、エルネストはもう少し細やかに文章へと目を通す。そこには自分が予想していた通りの内容が記されていた。

――――――――

エルネストさんへ

先ほどこちらに到着いたしました。現在は入船検査を行っているところです。

第一衛星の空港にエルネストさん名義で宇宙船の停泊スペースを確保してくださったようで、誠にありがとうございました。ぜひそちらに停めさせていただこうと思います。

今から二時間後くらいに入国審査が終わる予定です。その頃合いに、空港ターミナルのロビーで待ち合わせということで、よろしくお願いいたします。

P.S 軍にはお忍びで来ていますので、このことはどうか内密にお願いします。

クロード・C・ケニー

――――――――


「お忍びも何も、この連絡をチェックされれば絶対にバレるだろ……」

 このような入国者からの通信は、全て検閲を取り締まる銀河連邦テトラジェネシス支部のデータベースに保管される。エルネストはクロードの詰めの甘さに苦笑いを浮かべるのだった。

「ま、ようやく来たということか。待ちくたびれたもんだ……」

 ガタッと席を立つと、エルネストはクローゼットから外出用のジャケットを取り出した。仲間との再会にどことなくワクワクする。娘の姿のお披露目も楽しみだ。遺跡探索以外の件でここまで気分が高鳴るのも久しぶりだった。

「さてと、また忙しくなるな……」

 エルネストは煙草を灰皿に擦り付けると、空港へと赴くために部屋を後にしたのだった。





「よしよし、見えてきたぞ……」

 一方、ロザリスからのワープを終えたクロード達の宇宙船は、無事テトラジェネシスの宙域に入っていた。

 モニターには一つの惑星が映し出されている。惑星テトラジェネシスだ。だが、遠くから見るにその惑星は赤褐色の岩肌で覆われており、とてもじゃないが知的生命体が住めるような感じではない。

 さらにその惑星の向こう側には、赤々しく燃える一つの恒星があった。表面のあちこちでエネルギーが激しく対流しているのが、遠く離れたこの宇宙船からでも見て取れる。

 昔、まだ銀河連邦とテトラジェネシスのコンタクトも無かった時代、この恒星が今のように活動を活発化したため、環境を破壊された惑星テトラジェネシスは"死の星"と化してしまった。

 そこから逃れるためにテトラジェネス人が移り住んだのが、この死の星を周回している人工衛星テトラジェネシスだ。高い技術を結集したこの宇宙の要塞。ここがエルネストとオペラの暮らす場所である。

「ねぇ、人工衛星が4つ見えるけど、私達はどの衛星に行けばいいのかしら?」

 チサトがモニターを指し示しながらクロードに尋ねた。衛生国家テトラジェネシスには、計4つの人工衛星から成り立っている。

 エルネストがどの衛星に居るかは、当のクロードには何も知らされていなかったが、それでも彼には前調べしてきていた情報があった。

「そろそろ向こうの管制官から通信があると思うから、その指示に従えばいいんだよ。聞いた話によると、4つの衛星間はトランスポーターでリンクされていて、誰もが自由に移動できるらしいしね」

 要はどの衛星に降りようとも、トランスポーターで移動してしまえば問題なくエルネストに会えるということである。


――――ピー、ピー――――



 そんな時、操縦室にアラーム音が鳴り響く。

「お、向こうの管制官から連絡が来たみたいだね」

 クロードは通信回線を開くためにコンピュータの元へ歩きながら、同時に自分の服装を整える。既にロザリスでの農夫姿ではなく、カジュアルなシャツへと着替え終えていた。

 ブゥンという音と共に、モニターの画面が切り替わる。そこには、連邦着を着た女性が一人映っていた。

 彼女は、いわゆる宇宙船の離着陸に関する管制官である。眼鏡をかけ、いかにも真面目そうな風貌。それを見たチサトは苦手そうな顔をする。

「こちらテトラジェネシス宇宙船管制管理本部です。お手数ですが、お名前をお願いいたします」

 モニター上の管制官は、クロードにそう尋ねてきた。

「こちらクロード・C・ケニーです。エルネスト・レヴィート氏から招かれてやって参りました」

 クロードがそう答えると、管制官の女性は手元のコンピュータをカタカタと動かしはじめる。やがてその手が止まると、再びクロード達にいくつかの質問を問いかけてきた。

「今回はどちらからですか?」
「セクターθ、地球からです」
「何名様で入国されますか?」
「ここに居る三人です」
「では、そちら三人分のパスポートデータの転送をお願い致します」
「わかりました」

 クロードは操縦機器に隣接しているスキャナーのスイッチをオンにし、鞄から自分のパスポートを取りだす。

 このパスポートは銀河連邦所属国家の住人であることを証明するものであり、入国出国の際には必ず提示を求められる大切なものだ。薄い灰色の電子媒体であり、内部メモリに個人情報などが暗号化されて組み込まれている。

 先ほど仮眠から起きてきたチサトとレナもクロード同様にパスポートを取りだすと、クロードから順に一人ずつスキャナーにそれをタッチしていった。このスキャナーでパスポートのデータを読み取り、相手の管制官にそれが転送される仕組みである。

 このとき、同時に宇宙船の識別コードも送信されるようになっている。すべての宇宙船には銀河連邦発行の識別コードが割り振られており、入国の際にはパスポートデータと宇宙船識別コードをチェックすることで、“誰がどの宇宙船で来たか”という情報を管理するシステムになっている。

「……確認、終わりました。それではこれから、エルネスト様が用意された発着場へと誘導いたします。画面を宇宙へと切り替えてください」
「あ、はい。わかりました」

 管制官の指示にクロードは従う。すると再び、衛星テトラジェネシスが映った画面がモニターに現れた。さっきまでに比べ、かなり距離が縮まったのだろうか。数隻の宇宙艦が衛星の周囲を飛び交う姿が見える。

「それでは画面をご覧ください」

 管制官の声がした直後、目の前に赤い光のレールのような物が映し出される。それはクロード達の居る場所からテトラジェネシスまで続く、モニター上のナビゲーションシステムだった。画面に表示された経路をなぞるように操縦するだけで、着陸場まで誘導してくれる優れものだ。

「今からあなた方を、第一衛星R-076着陸場に誘導致します。このレールに沿って、徐行しながら衛星に近づいて下さい」
「わかりました。あと、もうひとつだけお願いがあるのですが」
「はい? 何でしょうか?」
「後ほどそちらに文章を送るので、それをエルネスト氏に転送して頂けないでしょうか?」
「ええ、承知いたしました」

 クロードはここに到着したことをエルネストに一旦報告しておきたかった。宇宙船停泊場所まで確保してくれた、そのお礼も兼ねてだ。

「ありがとうございます。それではよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。ようこそテトラジェネシスへ」

 最後にその言葉を残し、あっけなく通信は一旦終了となった。

 テトラジェネシスは銀河連邦内でも中枢国家の地位を確立しており、それゆえ入出国を行う宇宙船の数も山ほどあった。そのため管制官はこれらを捌き続けなければならず、一機一機に対する通信は簡素で最小限に済ませようとしているのだろう。

「……ふふっ」

 管制官の言うとおり赤いレールに沿って操舵するクロードの後ろから、何やらチサトの笑い声が聞こえた。

「……何か面白いことでもあったんですか?」

 クロードが表情そのままにモニターを眺めながら、チサトに問いかける。

「ん、なーんにも!」
「……変なの、チサトさんったら」

 レナはそう言うと、不思議そうにチサトを眺めるのだった。





 それから数十分後、クロード達の宇宙船はテトラジェネシスの側面にぽっかり開いた、宇宙船トンネルの目の前に到着した。

 衛星の表面は常に高エネルギーフィールドに覆われており、クロード達が通り抜けるホール付近の側壁には様々な機械が所狭しと密集している。何かの観測機やエネルギー発生装置などが複雑に組み込まれたテトラジェネシス表面は、数多ある連邦の宇宙軍用基地と何の遜色もないくらい似たものだった。

 この外郭フィールドと衛星内部を結ぶトンネルを誘導通りに抜け、途中幾重にも張り巡らされたゲートを潜り抜けると、やがてビルが立ち並ぶ大都市が姿を現した。

 巨大カプセル状の衛星内部全体に広がるメガロポリス。ここがテトラジェネシスの首都、第一衛星ル・ソレイユだ。真下には500機ほどの宇宙船が停泊している空港も見え、クロード達の宇宙船はそこに誘導されている。

「そろそろ着陸するから、みんなそろそろ降りる準備をして!」

 着陸地点へ降下を始めると同時に、クロードはチサトとレナにそう声をかけた。






――――プシュー……――――



 ハッチが開く音と共に、クロード、レナ、チサトの三人は空港に姿を現した。

 着陸は無事に終わり、次はエルネストとの待ち合わせ場所へと一行は向かおうとしていた。出迎えの人々に挨拶をし、ついでに機体の整備や燃料補充などをお願いしておいた。これらのサービスも全てエルネストが用意してくれたものらしい。

 空港の敷地が広大であるにもかかわらず、ガラス張りのメインターミナルは歩いてすぐの場所に建っていた。そして辺りを見渡すと、そこには高級宇宙船がずらりと並んでいる。さすがオペラとエルネストの財力というべきか、かなり良い停泊スペースを確保してくれたようだ。

「外見も内部もごちゃごちゃしてるのねー」

 チサトの言うように、周囲には自然というものが一切見当たらず、空の代わりに灰色の壁がそり立っているように見えた。

 人工衛星なので仕方がないことだが、太陽や雲、月といったものはここには存在しない。何から何まで人工物でできており、チサトにはそれが珍しかったようだ。

「チサトさんはテトラジェネシスに来たことは無かったんですか?」
 レナがチサトに尋ねる。

「実は私も初めてなのよ。特に取材することも今まで無かったしね。しっかし、人工衛星の中にこれだけの街があるなんて驚きだわ」
「ほんと、科学技術の進歩ってすごいですね」
「ねー。これだと、人間って頑張ればどこにでも住めるんじゃないかって思っちゃうわよね?」

 ターミナルに向けて歩きながら、レナとチサトがそんな話を繰り広げる。

「でも、エナジーネーデはもっと凄かったですよね?」

 そんな二人の会話にクロードも加わった。

「技術の力だけで大陸を切り取ってくるなんて、銀河連邦の技術でもあと1000年はかかりますよ」
「そういえば、ネーデは凄かったわよね。雪が降ってるところがあったり。動物も普通に暮らしていたし」
「そ、そうね……」

 クロードとレナに、チサトはどこか口調を乱しながら返事をしたのだった。そのとき、少し遠い場所から聞き覚えのある声が聞こえる。

「おーい、こっちだみんな!」
「エルネストさん!」

 三人が声に反応して振り向いた先には、ターミナルの入り口、自動ドアのそばに設けられた喫煙コーナーで一服しているエルネストの姿があった。早くこっちに来いと手で合図しているので、クロード達は駆け足で彼の元に向かった。

「お久しぶりです! エルネストさん!」
「おおレナ、久しぶりだな。まさかお前とチサトまで来るとは思ってなかったぞ!」
「ちょっと色々ありまして! それより久しぶり、エル!」
「ああ。相変わらず忙しいらしいな? チサト」

 レナとチサトに笑顔で応えるエルネストの姿は、2年前となにも変わっていなかった。

「エルネストさん……」
「クロードか。わざわざすまんな」

 続いてクロードが挨拶をすると、はじめにエルネストは、突然ここに呼び出してしまったことを申し訳なさげに謝るのだった。

「いえ。むしろエルネストさんと会う機会ができて、とても嬉しいです」
「そうか、ならよかった。……ロビーでの待ち合わせという話だったが、俺も早くお前たちの顔を見たくて、ついつい外で待ってしまったよ」
「またまたー。たまたまタバコ吸いに来てただけでしょ?」
「お、バレちまったか」

 チサトの突っ込みに、一同は声を出して笑うのだった。

 改めて紹介するが、ここに居るエルネスト・レヴィートはかつてクロード達と共に神の十賢者を倒し、惑星エディフィスの文明を救った宇宙の英雄の一人である。

 もともとは考古学者として宇宙中を駆け廻るという、なんともロマン溢れる日々を過ごしていた彼だが、昨年恋人のオペラとの間に子供ができてしまったため彼女と結婚した。

 今はテトラジェネシスの屋敷にて今までの研究結果をまとめたり、考古学会に出席することが主な仕事であり、危険が伴う探検に赴くことはほとんどないらしい。

 ちなみにオペラはテトラジェネシスの名家令嬢ということもあり、エルネストが養子という形で籍を入れている。つまりエルネストの現在の本名はエルネスト・ベクトラとなるのだが、過去の自著に記されたレヴィート姓との混乱を避けるため、本当にオフィシャルなケースを除いては旧姓を用いている。

「そういえばお前達は、テトラジェネシスは初めてだったな?」
「はい。凄いとこですね、ここは」
「だろ? 俺ん家に行くついでに色々教えてやるよ」

 エルネストは意気揚々そう言うと、クロード達を空港の出口へと案内していった。





 クロード、レナ、チサト、そしてエルネストの4人は、テトラジェネシスの都市街を歩き続けていた。

 地球と同じような高層ビル街だが、大きく違う点は都市の立体的な広がりだった。道路は地上だけでなく、ビルの合間を縫うよう何階層にも渡ってクロード達の頭上に設置されている。地球と違って限られたスペースを有効活用しなければならず、その結果がこれなのだろう。

 クロードたち三人は物珍しげな顔できょろきょろと周囲を見渡しながら、エルネストについて行く。そしておのおの気になることがあれば、すかさず彼に質問をしていた。

「あの地面に描かれた矢印は何ですか?」
「ああ、あれは北を示す路上表示だ。ここには太陽が無いからな、あれで方角を確認するのさ」
「それじゃあ、さっきからよく見かける黒色のロボットは?」
「あれはポリスロボといってな、まぁ公安警察みたいなもんさ。一応空も飛べるんだぞ」

 クロードとチサトは何かが目につく度にらんらんと興味を示す。一方でレナも最初はクロード達と同様この街に関心を示していたが、だんだんと口数が少なくなり、まるで何か考え事をしているかのような表情を浮かべながら、てくてくとエルネストの後をついて歩くようになっていた。

「レナ、お前だけやけに大人しいな?」

 それに気づいたエルネストがレナに声をかける。

「あ、いえ……」

 レナは少し躊躇いがちにそう答える。

「テトラジェネスの人たちは、ずっとこんな場所に住んでいたんだなぁって、だんだん可哀そうに思えてきて……」
「おいおい、こんな場所とはどういうことだ?」
「なんだか日も風もなくて、凄く違和感があるんです」
「……違和感、か」

 四方八方を見渡しても、空や太陽という物は無く、ただただ遠くの方に灰色の壁が見えるだけだった。その壁の表面にも多くの窓らしきものがついており、エルネストの話だとそこは貧困層の居住区になっているとのことだった。

 人々はまるで押し込められるように、この空間で生きているのだ。

「ま、住んでみりゃ都ってやつだな。俺やオペラはここでの暮らしが当たり前だったから、初めて他の惑星に行ったときには逆に驚いたもんだよ。雨が降るなんて不便だ、とかな。だが、それで多くの生命が育まれていることを知ったときには、逆に雨もいいもんだなって思ったぞ」

 エルネストは笑いながらそう答えた。

「住む場所はどこが一番かって聞かれたら、そりゃその人が生きて育った場所と答えるに決まっているさ。宇宙歴で見ても、戦争で勝った国は自国の文化を敗戦国に根付けるだろ? つまり自分の基準が絶対でそれ以外はおかしいと思うのが人の性というものさ。今のレナもそうじゃないか?」
「……たしかに、地球に来たときも思いました。けど今はちょっと見方も変わりましたし……」
「だろ? そうやって広い文化を客観的に受け入れることも大切なことなのさ」

 エルネストがレナに言う通り、この衛星では自然災害などとは無縁だ。非常に安全で快適な生活が保障されており、その住人からすれば天候の変化著しい惑星は不便に思えるのだろう。

 こういった考え方はそれ自体が文化であり、多くの文化圏を抱える銀河連邦の諸国家を転々とするには、そういった文化を認め合う姿勢が必要なのである。

「いや、説教じみた話になってしまった。すまない」
「そんな。とてもためになりましたよ」
「そうか。ま、辛気臭い話はこのへんにしてだな……」

 街を歩き続けていたエルネストがピタリと足を止める。

「ついたぞ。ここが俺とオペラの住んでる家だ」
「え、ええーーーーーーっ!?」

 クロード、レナ、チサトは驚嘆の声を上げた。それも無理はない。エルネストが自宅と称したその場所は、この衛星の天井にも届きそうな超高層タワーだった。入り口だけで警備員が5人ほど配備されている段階で、ただならぬ建物だと感じ取れる。

「こ、ここが自宅って……?」
「あ、ちなみに全部じゃないぞ。6階より上の階は全てベクトラ家の所有物だがな」
「ちょ、ちょっと待って。一旦落ち着きましょう……」

 チサトは軽く頭を押さえながらそう言った。エクスペルはおろか地球でも見たことが無いようなそのスケールに圧倒され、ついつい言葉を失ってしまう。

「豪邸に突撃取材……って、これは新聞じゃなくてテレビでやるべきね、残念……」
「ん、何か言ったか?」
「いえ、えっと……そう! 凄―く立派な家ね、エル!」

 チサトはそう言うと、わざとらしくエルネストの背中をポンポンと叩くのだった。挙動不審な彼女をエルネストは不思議そうに眺めるが、クロードとレナはそんなチサトの気持ちがよく分かる。

「やっぱりお金持ちって凄いわね……」
「ああ、連邦の軍人なんかじゃ一生こんなとこ住めないぞ……」

 貴族と庶民の決定的な差を痛感し、複雑な気分になるクロードとレナ。だがエルネストは、そんな彼らにさらに追い打ちをかける。

「ちなみにベクトラ家の本家は、これの比じゃないぞ」

 あっさりとそう言いのけるエルネストに、クロードたちはこれ以上現実を知ることが怖くなってしまい、これ以上の言及はしないことにしたのだった。





 クロード達はエルネストに案内されるがままエレベーターに乗り、そのままタワーの84階までやって来ていた。話によると80階代は全てオペラの住居であり、他の階層にもベクトラ家の親戚が住んでいるらしい。

「まぁ、みんな遠慮せずに入ってくれ!」

 わくわくする三人を迎え入れるため、エルネストは自室の扉を開けた。

「うわぁ、凄い景色!」
「ほんとだ! ル・ソレイユ全部を見渡せそうだね!」

 クロードとレナはガラス張りの部屋から見える景色に目を見開いた。他の建物と比べても一段と高いその場所からは、この街の上下左右、あらゆる場所が一望できた。

「あの天井にたくさん埋め込まれているのが、この街の照明ですね?」
「ああ、そうだ」

 たくさんの電灯が、規則正しく宙を占めている。この光のおかげで、この衛星はこれほどまでに明るい環境を維持することが可能となっている。

「あれが、この国での“空”だ」

 そんなエルネストの言葉を聞きながら、クロードはじっとその“空”を眺めていた。普段は当たり前と思っていた青い大空が、ここには無い。そんな物を見ると、彼は少し父親の事を思い出してしまった。毎日口うるさかった、父ロニキスのことである。

 心の中では尊敬していながらも自分の事にいちいち干渉してくる事に、恨めしい気持ちを抱いたこともあった。そんな、自分にとって“当たり前”な存在だった物が、突然あっさりと無くなってしまう。空虚なこの衛星国家の雰囲気は、クロードの心をもまた空虚な方向へと誘うようなものだった

「クロード? さっきからぼーっとしてるけど、大丈夫?」

 突然、クロードの心の中に、レナの声が割り込んできた。

「あっ、いや、うん。ちょっと考え事してただけさ……」

 そう言って意識を現実へと戻す。皆に心配されないよう、少し笑顔を繕った。

「まぁ、任務で色々と疲れたんだろうな。しばらくはゆっくりと休むがいいさ。二つ下の階にベッドや風呂が用意してあるから、自由に使うといい」
「そんな……いいんですか?」
「まぁ、無理言って来てもらったのはこっちだ。それに今日はオペラも娘と一緒に実家に居て、ここに帰ってくるのは夕方より遅くなるらしいからな」
「……それじゃあ、お言葉に甘えさせて頂きます」

 クロードはロザリスで丸一日移動をした後、休むことなく宇宙船を操縦していたため、ここに来て疲れが津波のように押し寄せてくるのを感じていた。レナとチサトも僅かな仮眠しかとっておらず、正直三人は今すぐにでも眠りに就きたかった。

 そんなわけで一行はとりあえずエルネストの好意を受け取り、この高級住居で贅沢な一休みすることにしたのだった。