Star Ocean
Short Stories

短編小説

rossoblu

――――ぺたり、ぺたり………――――

 バケツに刷毛をぶっこんで、ドロドロの赤い液体をじんわり染みこませる。

 それを壁に叩きつけると、その液体は大小様々な飛沫をまき散らす。その感触が、なんだか子供の頃によくやった泥遊びみたいで面白い。

 けれど彼女の話によると、それは一回服に付いたら二度と取れないらしい。いわゆる“汚れ作業”ってやつだ。

「アシュトーン。まだそっちは終わんないのーっ?」

 僕の頭上、立てかけられたハシゴの上からプリシスの声がする。見上げるとちょうど太陽が逆光になっていて、まるで影絵のようなシルエットムービーが僕に話しかけてきてくれているようだった。

「はやく終わらせて、ウチでゆっくりお茶飲もーよ!」

 そんな嬉しくなるようなことを言いながら、僕と同じ作業を、僕の上で繰り返す彼女。束ねられた髪と飛び散る泡飛沫が、僕の視線の先で踊っていた。





「もーっ!! アシュトンってば、ほんっとペンキ塗りのセンスないんだからさーっ!」

 腕を組んだプリシスは、僕が塗った壁を見ながら文句を垂れている。

「下から順に塗ったら、上に塗ったヤツが垂れてきちゃうじゃん!?」

「は、はい………」

「それに薄い色から塗らないと。いきなり濃く塗ったら、後でやり直しできないし……」

「ご、ごめんなさい………」

 気に入らない部分を一つひとつ指さされながら、僕は事細かくダメだしを告げられる。そしてそんなプリシスに僕はただ「はい」としか答えようがなかった。だって僕が下手なのは事実だし、プリシスが怒るのも当然だと思うから。そしてなにより、ここで下手に言い訳をして彼女に嫌われることが、僕は一番怖かったから。

「んーー……でもまぁ、これでいっか」

 それでもプリシスはそう言うと、ペンキまみれになった作業着の袖で自分の頬を拭った。どうやら彼女は僕の仕事に納得してくれたようで、僕はそれだけでも嬉しかった。



 僕達二人は今、プリシスの家のペンキを塗り替えている。ボロボロになってしまった彼女の自宅を、プリシス曰くオシャレでカラフルなお屋敷へと生まれ変わらせたいらしい。

 僕は壁全面を柔らかな黄土色に、そしてプリシスは円筒状の屋根を赤い色に染め上げたところだった。あとは細かい部分の色付けをすれば、おおよそ作業は完了する予定だ。

「それじゃ、あとはアタシがガレージを水色に塗るから、アシュトンはベランダのサッシとかを赤で塗って」

「うん、わかった!」

 とりあえず、次に僕は赤色のペンキを塗ればいいらしい。今度は今まで以上に丁寧な仕事が求められる。けれど細かい作業はどっちかというと得意なほうだ。なにせ僕は裁縫が得意だし、料理だって上手に作ることができる。ここはプリシスにいいところを見せるチャンスだ。

「よし、がんばるぞー!」

 僕は気合を入れてそう声を上げると、プリシスが屋根の上に置いたままの赤ペンキが入ったバケツを取りにいくため、屋上までかかるハシゴの麓へと歩いていこうとした。


――――びゅうっ………――――


 そのとき、リンガの街をいきなり突風が襲った。プリシスの家は街外れ。森のほうからはバサバサと木の葉が揺れる音が、あちらこちらから耳に入ってきた。

「うひゃーーっ……!!」

 プリシスの髪も風で舞いあがり、それが乱れないよう彼女は両手で前髪を押さえている。僕も男の中ではかなり髪が長いほうだったから、バンダナで留めていない部分が激しく靡くのを感じた。

 けれど、ここで僕は思った。だいたい何かこういうことが起こるとき、最も不幸な思いをするのは決まって僕なんだと。

 そしてそれは空中から注ぎ落ちてきた赤色の液体とバケツによって、やはり予想通り実現することとなった。





「あはははははは………!!」

「ちょ、ちょっと………」

「あーっはっはっはっ………あー、アシュトンってば最っ高に面白いねー……!!」

「プ、プリシスってば、いくらなんでも笑いすぎだよー!」

 僕のことを見ながら、プリシスはずっと腹をかかえて笑い転げている。

「あははははっ……あー、笑いすぎてお腹いたいよー……!」

「これって、そんなに笑うところ?」

「だ、だってさ………」

 プリシスは笑い涙を浮かべながら、僕のことを指さすと再び吹き出した。

「みーんな真っ赤っ赤になっちゃって、どれがギョロだかわかんないんだもん! あは、あははは……」

「そ、そんなー……」

 そう。僕はさっきの突風で屋根から落ちてきた赤ペンキをまるで滝に打たれるかのように浴びたせいで、いまや全身がギョロのように真っ赤に染まり上がっていた。つーんとした凄い臭いが鼻をつく。作業しているときからペンキって臭いんだなと感じていたけど、まさかここまでだとは思ってもいなかった。

 そしてそんな僕のことを、プリシスはさっきから延々と笑いものにしていた。その理由はさっき彼女が語ってくれたように、ウルルンと僕が赤色のせいでギョロに見えてしまうかららしい。

「せ、せめて僕は人間なんだから、区別してくれよー!」

「えーっ? ギョロったら、そんなこと言われても分かんないものは分かんないよー!」

「ぼ、僕はギョロじゃないっ!!」

 これは冗談で言っているのか、それとも本当に僕がギョロに見えているのか。もし後者だったら、ちょっと傷ついちゃいそうだ……

「ギャフー!!!」

「グル……グルグル………」

 背中のギョロとウルルンも困ったようにお互いを見合わせている。

「ね、ねぇプリシス?」

「えっ……なーに、ギョロ?」

「だから違………まあいいや。もしかして、これって本当にずっと取れないの?」

 恐る恐るそう尋ねてみる。彼女は“ペンキは服についたら一生とれないよ”と話していた。これも冗談なのか、それとも本当なのか。返答次第では一生このままなのかもしれない。それだけは絶対嫌だ。

「あ、大丈夫だよ。きちんとペンキを落とす液があるから」

「ほ、ほんとに……!?」

「うん。さすがにかわいそうだから、今から取ってきてあげるね。あはははは………」

 よかった、どうやら一安心。再びプリシスにきちんと僕の名を呼んでもらえそうだ。

 これで一見落着。まだ笑われているけれども、細かいことは気にしちゃだめだ。



――――がらんっ………――――


 バケツの底が鳴る音と甲高いプリシスの叫び声が聞こえたのは、僕がそんなことを考えていた時だった。

「どっひゃーーー!?」

 屋内へと向かう際、笑い疲れて足取りもふらふらだったプリシスがぶつかったのは、これから塗る予定だった水色のペンキが頂上に置かれたハシゴ。そしてもちろん上から落ちてきたのは……


――――バシャッ………――――


 一瞬のうちに、プリシスは全身に水色のペンキを浴び終えていたのであった。

「う、うひゃーーーー!!」

 顔を引き攣らせながら、プリシスは自分の変わり果てた姿を唖然と眺めた。なんだか凄い光景だ。茶髪のポニーテールの、黄色のベルトも、健康的に日焼けしていた肌も、全部ドロドロの水色に覆われている。

「うえー、ペンキまみれだよー、気持ち悪いーーー……」

「プリシス!」

 僕はペンキまみれのプリシスのもとへ駆けつけた。落ちてきたバケツで怪我していないかどうか、それが心配だった。

「大丈夫かい?」

「んなわけないでしょー! 見てみなさいよーーっ!」

 涙声で彼女はそう言うと、ベトベトになった体をアピールするかのように両腕を上げてみせた。顎先や指先、胸元からは水色のペンキの雫が、ボタボタと音を立てて垂れ落ちている。まるで全身が溶けているように見えて、それはおそらく僕よりたくさんの量を被ったんじゃないかと思えるぐらい酷い有り様だった。

「ううーー……くさいー………」

「プリシス。僕が色を落とす液を取ってくるよ。どこにあるの?」

「あ、あそこのガレージの中………」

 そう言ってプリシスがガレージへと指を向け、僕も一緒にその方向を向く。そこには銀色の光沢を放つ、小さなドラム缶があった。

「あの中に………」

 プリシスがそう言いかけたとき、僕とプリシスはそのドラム缶に映しだされた自分たちの姿に気が付き、つい互いに言葉を失ってしまった。

 鏡のような金属表面に映しだされたのは、屈曲した赤と青の男女が立ち並ぶ姿だった。色の対比が面白い。赤い男と青い女。まるでおもちゃやゲームの駒みたいに、二人は呆然と一緒に隣あっていた。

「ぷっ………あはははは………」

 いきなりプリシスは頬を緩めて吹き出した。これは今日何回目なのだろうか。

「……これ、アタシ達おそろいだねー」

「えっ……!?」

「ほら、どっちも一色じゃん!」

「あっ、そ、そうだね……!」

「あはははは……」

「あは、あはは…………」

 気がつけば、二人で互いに爆笑していた。

 二人ともおんなじ。二人とも、バカみたいだ。

「なんだかさー」

「ん?」

「ギョロとウルルンって赤と青、二匹で一匹だったじゃん?」

 そしてしばらくすると水色のプリシスはそんなことを呟き、真っ赤なギョロと真っ赤なウルルンに目をやった。そして次に僕のほうを向き、まじまじと僕の顔を眺めてきた。

「アタシたちもこーして見ると、なんだかギョロとウルルンみたいに“にこいち”って感じじゃない?」

 そう言って彼女は白い歯を見せ、肩をすくめて笑ったのだった。

「あはは、確かにね……」

 僕は小さく笑った。

「僕もそんな気がするよ」

「あっ、やっぱアシュトンもそう思うー?」

 僕が肯定すると、プリシスは嬉しそうに首を傾けた。こんなに心の底から楽しそうなプリシスを見たのは初めてだった。

 プリシスにいいところを見せてやろうと意気込んでいたけど、でもそんなこと全然必要なかった。カッコつけなくても、飾らなくても、ヘコヘコしなくてもいい。ただありのままの、素直でバカでツイてない自分でいれば、それだけでプリシスは笑顔になってくれたのだから。

「せっかくだし、しばらくこのままの色でいようよ、アシュトン」

 プリシスはなおもそんなことを聞いてくる。やっぱり面白くて、そして可愛い。

「……そうだね」

「よーっし、それじゃ、頑張って続きやるよー!」

 改めてペンキ塗りの続きに取り掛かろうと、拳を突き上げるプリシス。僕と彼女は新しい刷毛を手にして、二人で一緒にガレージの外に出たのだった。





「あら………?」

 そんなとき、突然僕たち二人に声がかけられた。それも聞き覚えのある、女性の声。プリシスは咄嗟にその女の人の名を叫んだ。

「………レ、レナ!?」

 その声の正体は、たまたまこの近くを通りかかったレナだった。彼女も僕とプリシスに気がついたようで、てくてくと軽い足取りでこっちに近づいてきた。

「あら、アシュトンじゃない!?」

「や、やあレナ。散歩かい?」

「ええ。いい天気だし、こういう日にはついつい外をぶらぶらしちゃうの」

 そう言うとレナは僕の隣にいるプリシスに目をやった。

「あら、これは誰かしら………?」

 レナはそんなこと言いながら水色まみれになったプリシスをまじまじと眺める。だがすぐにニコッと大きく笑みを浮かべると、彼女はプリシスにむけてこう言ったのだった。

「あっ、これは無人くんね! プリシスったら、また新しいキカイ作ったんだ!」

「へっ!? ちょ、レナってば違………」

「まぁ、しかもちゃんと喋れるのね! すごーい、早速クロードたちを呼んで見てもらおーっと」

「ち、ちがうってば、こらレナ! 待てーー!」

 プリシスがどう言い返そうとも、レナは態度を変えなかった。そしてそのままレナはそう言い残すと、スキップで僕達のもとから離れていったのだった。

 鈍い僕でもわかる。あのレナの笑顔は、間違いなくワザと作られたものだ。水色のプリシスを馬鹿にするつもりで浮かべた表情に違いない。

「ちょっと、アシュトン!」

 プリシスはばっと僕の方を振り返ると、そう鋭い声を投げかけた。

「は、はいっ!?」

「ほら、レナをぶっ飛ばしに行くよっ!!」

 そう言うとプリシスは僕の腕をぎゅっと掴み、てくてくとレナの後を追いかけはじめたのだった。

 その表情はよくわからないけれど、僕のためにもプリシスのためにも、おそらく今は見ないほうがいいのだろう。地団駄を踏んで怒った顔も可愛いんだろうけど、今はおあずけってことにしておく。

 そんな僕の腕には水色が、そしてプリシスの掌には赤色が混ざり、薄い紫色が出来上がった。こうやって溶け合った僕ら二人はプリシスの雪辱(?)を晴らすべく、レナ目掛け二人三脚で走りだした。


fin.



あとがき

ちょうどマンションのリニューアル工事で、
ペンキの塗り替えが行われているとき、
思いついたこの話。またまたアシュプリです。

本サイトではこの二人に関して、
SO2から数年後という設定が多いですが、
今回の話は旅の途中に起こった出来事です。
古文書を解読してもらう前後ですかねー。

個人的に、あんまりこの時期のアシュトンとプリシスは、
恋人関係と呼べるようなイメージがないもので……(笑)
アシュトンはプリシスをただの可愛い女の子だと思っていて、
プリシスはクロード一筋って感じなんだろうなと想像しています。

そんな中で起こった、何気ない日常の一コマ。
やっぱりなんだかんだ、この二人にはドタバタがお似合いです。
あと、レナが腹黒いっていうのも、管理人の脳内におけるイメージです。
(レナ好きのみなさんごめんなさい!(笑))

今後ともよろしくお願いいたします

2014/12/23
ぷりん