照り焼き地鶏サンド

短編 その他 3



「……おい」
「はい? なんでしょう」
「……照り焼き地鶏サンド、4つだ」

 ここは惑星エクスペルの、とある小さな町。その外れにある小さなパン屋の店の中では、深い藍色の髪の男が睨みつけるような目つきで店員を威圧していた。

「お、お待たせしました。照り焼き地鶏サンド4つで400フォルになりま……」

 店を一人で切り盛りしている店主の女性が男にそう言い終える前に、男はカウンターに500フォル札を叩き出した。そして購入品を手に取るやいなやクルリと180°体の向きを変え、長髪をなびかせながら店を立ち去ろうとしたのだった。

「お客様!? お釣りは……」

 店主の女性が慌ててそう声をかける。

「……ふん、くれてやる」

 しかし男は彼女の言葉に聞く耳持たず、つかつかと店を出て行ってしまった。

 それを黙って見届けた店主。その手には男から貰った500フォル札。クシャクシャとしわだらけの、そんな500フォル札である。それを見ると彼女は苛立ちが込み上げてきた。

「……なによ、感じ悪い人ね!」

 彼女はそう呟きながら、500フォル札をポイッと引き出しの中に投げ入れた。その不満気な顔にはまだまだ若さが残っている。年にして16〜17才。まだまだ色々と物思うであろう年頃の少女だった。

「……顔もまあまあだったし背も高かったから、はじめはいい男だと思ったのにな………」

 彼女はムカムカしながらも、さっきの男は一体何物なのか? といった疑問を頭の中に浮かべた。話し口調からして悪いごろつきなのかもしれないが、不思議と彼はそういった類の人間には見えなかった。

 それでも、何か問題点を抱えているような、それも問題と呼んでいいほど軽いものではないものを背負っているような。とにかく、彼の瞳は一般人のように透き通ってはおらず、濁った眼光をぎらつかせているような感じがした。

「すみませーん……」

 彼女はふと聞こえてきた声にはっと我に返る。カウンターには新しい客が来ていた。

「このクロワッサンと、それからここに置いてあるラスクを5つづつくださいな」
「あ、はいっ!!」

 それを聞いた彼女は瞬時に表情を変え、新しい客に笑顔を振りまいたのだった。





 時刻は正午過ぎ。町の中央にある石造りの噴水が青空に向かって虹を作るような、そんな広場。この街の象徴とも呼べる場所の一番隅、城壁沿いの日陰に作られた石造りのベンチに、自分は腰を下ろしていた。

 薄目を覗かせながら、買ったばかりの照り焼き地鶏サンドを少しずつたいらげる。

「……………」

 ひゅうっと風が通り抜け、地面の草くずが地を舞う。春の風というものは肌に突き刺さるように冷たい。そんな事を感じながら、地鶏サンドの最後の一かけらを口へと運んだ

「……………ん?」

 ふと視線を少し前にやると、噴水の近くで幼い男の子と女の子が追いかけ合いっこをしている光景が目に入ってきた。

「お兄ちゃん! 待ってよー!」
「へっ、やだよーだ!」

 その言葉と同時に自分の裏手にあるぼろぼろの城壁からは、カラカラと音を立てて石片が転がり落ちた。

 日溜まりの中で戯れる、幸せそうな兄妹。かたや日の当たらない場所で、一人パンをほおばり佇む自分という存在。

「弧高」という言葉を望んだ自分にとっては、当たり前のことになったことだったはずなのに……

「……………っ!」

 荷物を乱雑に片付けて、その場からすぐに離れた。離させられた、と言った方がいいのかもしれない。なにせさきほどの兄妹の、妹のほうが……

「セシル………」

 その姿は、かつて自分の妹だった少女の小さい頃と瓜二つだった。それと同時に忘れもしないあの悪夢が襲いかかってくる。目に見えない、得体の知れない「何か」が脳内を支配しようとする。必死でそれに屈服しないよう、崩れかけの壁に力無くもたれかかった。

「………くっ…」

 もう、あの場所からは離れたはずだ。なのに……

「はぁ……はぁ……」

 こみ上げるような冷たい血液の逆流が、呼吸を乱す。

「なんなんだ、これは。俺は、俺はっ……」

 混沌とする意識のなか、ただ小声でそう呟いていた。






「ばっかやろう! ふざけんじゃねえぞ!?」

 そんなとき突然、町中に響きわたるかのような罵声が轟いた。それを聞いて、遠のきかかった意識がふっと現実に帰る。

「この俺様を誰だと思っているんだよ!?」
「逆らったりしたらどうなるか……分かっているんだろうな?」

 乱れた呼吸を整わせながら、耳に入ってくる空気の振動を聞き取る。いったいどこから聞こえてくるのか、無意識にそれを嗅ぎ分ける。

「……酒場か?」

 そう呟き自分の足に重心を置いて立ち上がると、少し向こうの方に見える酒場へと目をやった。

「俺の名を知らないなんて言わせやしないぜ!」

 暴言がそこから次々と飛び出てくる。どうやら有名な人物が、自分の権威をいいことにやりたい放題している様子だ。

 完全に意識は取り戻した。そして軽蔑を含む眼差しをそこへ向けてみる。

「……ふん。やはり人間というものは、愚かなものだな…………」

 いちいちこんなくだらない事に反応してしまう自分を馬鹿馬鹿しいと思う。同族嫌悪はもうこりごりだ。

「さて、行くか……」

 不愉快な気分のままではあったが、そろそろ宿屋に戻ることにした。ポタリ、と垂れた冷や汗が地面を潤したが、そのことには気づかないフリをした。





 宿で剣の手入れを済ませた時、外はすでに夕焼けに包まれていた。その景色を眺めながら、輝きを増した長い大剣を手に取ってみる。

 今まで数々の命を奪ってきた、自分の一部。この剣こそが自分の存在の意味だった。そしてその剣を手にしたまま、無表情で黄昏の大空を見つめる。

「美しい夕日だな……」

 自分はこの夕日のように美しくはなれないのか。それを映す自分の剣は美しいが、これとはまた違う美しさを……

「………無理だな。それが俺の生きる道だ……」

 戦うこと。それだけが自分を認めてくれる唯一の拠り所なのだから。



『うわーーん……誰か……ううっ…助けてぇ………』



 そんなとき、窓の外から小さな声がどこからともなく聞こえてきた。

「……なんだ?」

 しかも、どこかで聞いたような声だ。はじめは人間同士のつまらない揉め事だろうと思ったが、何か不思議な胸騒ぎがする……

 そう。今日の午後、あの兄妹を見たときのような。

「……………」

 気がつけば、剣を片手に扉のノブを握っていた。






「いったい俺は何をしているんだ。さっきから……」

 夕日が照らす道に移るくっきりとした黒い影も、自分と共に駆けて行く。声の聞こえたであろう場所に着いたとき、その涙の主が目に映った。

「………お前は!?」

 一瞬、心臓が跳ね上がった。町のはずれの誰も居ない路地にいたのは、今日の昼過ぎに噴水広場で見かけたあの兄妹の兄の方だった。

 弱々しそうに震えながら、手を目に当てて泣いている。何があったのだろうか?

「おい、坊主!」

 そう言って少年の隣へと向かう。

「何を泣いている?」

 少年はびくっと体を反応させた。夕焼けに照らされた自分の身に少し怯えているようだった。

「話してくれないと分からない。心配するな、俺は敵じゃない」
「お……お兄さんは…剣士…なの?」

 か弱い声で尋ねてきた。恐らく相当な勇気を振り絞ったのだろう。逃げ腰になりながらも、必死で助けを請う姿にどこか心が動かされた。

 今まで自分を見た人々は皆、その形相の怖さから自然と自分から離れていった。そんなことにはもう慣れていたが、この小さな男の子というか弱い存在から助けを求められるシチュエーションというものには、どこか心にくるものがあった。そして、それとは別に何かを思い出したような、そんな気も……

「………もし俺が剣士だとしたら、どうするつもりだ?」

 そう聞き返してみた。今まで以上に声に力を入れて、自分を怖い存在に見せつけるように。

「………姉ちゃんと妹を………助けてほしいんだ……今すぐ」

 男の子は再び泣きそうな顔で、しかし強い目つきで訴えてきた。

「妹……だと…?」

 その一言に、昼間襲ってきた動悸が、再びやって来そうになる。

「お兄さんお願い………いきなり僕の家に、ディアスっていうとても名高い剣豪のおじちゃんが入ってきて、姉ちゃんと妹を………」

 壊れてしまいそうな表情で、男の子はそう呟いた。その声に、深淵へと落ちかけた自分の心が我に返った。

 いや、正確には“声”というより、男の子の言葉の中にあった“名前”に反応したからであろう。

 普段は決して感じないような焦り。どういうことだか訳が分からない。

「……わかった。今すぐ行くから案内しろ………」

 とりあえず低い声でそう返事をした。

 妹。そしてその剣豪の名前。動揺を感じるが、まずは状況の把握だ。とりあえず現場に行かないことには話にならない。そしてなにより妹の助けを請うその少年を目の前で泣かせることが、自分にはこれ以上耐えられなかった。

 震えていた少年の耳にその言葉が入った途端、彼の目に光が灯る。

「ほんとに!? ………ありがとう、こっち!」

 その少年は今までの弱腰がウソのように力強く駆けだしていった。

「……やれやれ」

 急いで少年の跡を走らなければならない。そう思いヒラリと服をひるがえす。

「この俺が人助けとはな……」

 自分は人間を見限ったはずだ。何も信じないと心に決めたはず。だが何故だ?

 ただ、今は深く考える余裕など無かった。言えることは一つ。自分はここで動かなければ後悔するだろう。そんな直感がしたからだ……

 ただひたすら男の子は走っていく。とりあえずは追いかけなければ……



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「……っ!!」

 町外れのパン屋では、一人の少女が2人の男を睨みつけている。

「へへっ、俺たちについて来いって言ってんだよー」
「そうそう、俺たちがもっとおもしろい事を教えてやるよ」

 2人の男がその少女の妹の腕を握りしめている。2人のうち片方は小柄で太った男。もう片方は背が高くて痩せている男だ。

「おいおい、この剣豪ディアス様に逆らってもいいのかな?」

 背の高い方の男が、自分の短い金髪を手でなびかせながら問い詰めた。

「そうだぜ。もし俺たちの言うことに反抗すれば、嬢ちゃんの妹はどうなるか………分かるよなぁ?」

 それに続くよう、もう片方の小柄な男がニヤニヤと笑いながら見つめる。

「だめよ!! 私は弟と妹を一人で養っていかなきゃならないのよ! 私がいなくなったらこの子たちは生きていけないの!」

 少女は拳を握りしめる。その目には涙が滲んでいた。

「だーかーらー、君を高く買ってくれる人が居るんだよ。こんなチンケな店やってるよりはよっぽど金になるぜ?」
「そうだ。それともまさか、ディアスの旦那に逆らう気かい……?」

 そう言って小柄な男は人質の妹の首もとに手をやった。

「………くっ!」

 少女は唇を噛みしめた。

「どうすれば………誰か……助けて………」








「そこまでだ!!」

 突然、店の扉がバタンと開かれた。

「なっ………!?」
「誰だ、貴様!?」

 その音に、店に侵入していた2人組は何事かと慌てて振り返る。

「………あなたは!?」

 その姿を見た店主の少女は潤んだ瞳を丸くした。片手に大きな剣を持った長身の男。それは今日の昼間、ここに照り焼き地鶏サンドを買っていった、あの無愛想な男だったからだ。そしてその傍らには、少女の弟が寄り添うようにくっついていたのだった。






「き、貴様何者だ!? ディアスの旦那に逆らうとは、この身の程知らずめ!!」

 小柄な男は自分に向けて大きな声で怒鳴った。だがその隣に居る金髪の背の高い男は、こちらを見ながらガタガタと硬直している。

「あ…あ……。な、なんでお前がここに!?」

 “ディアス”と自らを名乗ったその男は震える指で自分を指さしていた。

 そんな二人を見据えながら、さらりと剣を抜く。研ぎ澄まされたオーラを放ち、2人組の男を威圧した。

(……ふん。こいつが俺の名を偽った男か……)

 そう思いながら、長身金髪の男をもう一度よく見てみた。間抜けな顔に痩せ細った体。

(ぜ、全然似てないではないか……)

 ニセモノの外観が自分と全く異なる事に、なぜだかふつふつと怒りがこみ上げてきた。

「貴様ら、昼間から酒場でずいぶんと暴れてくれたそうだな」

 そう言い放ってすっと剣先を2人に向ける。昼間酒場から聞こえてきた声と、今聞いたこの2人の声は一致していた。きっと自分の名を偽ってやりたい放題していたに違いない。こういう輩が居るということは前々から聞かされていたが……

「旦那、どうしたんすか? こんな奴、倒しちまいましょうぜ!」

 小柄な男が“ディアス”に呼びかける。が……

「ひ、ひえっ……」

 その“ディアス”は消え入りそうな悲鳴と共に、パン屋の外へと逃げていったのだった。

「あ………だ、旦那!! 待ってくだせぇ!!」

 手下と思われる小柄な男も、慌てた様子で“ディアス”の跡を追って逃げていった。

「……逃がすか!!」

 すかさずニセモノと手下を追って店の外へと出た。2つの影が夕焼けに照らされて遠ざかっている。こうも簡単に敵に背を向けるとは、身の程が知れる。

「フン。無駄だ、愚か者め」

 剣を地面に向けた。

「弧月閃!!」

 刹那、剣先を掬い上げるように振り上げた。それと同時に三日月型の衝撃波がギュンと音を上げ、逃げゆく2人に向かっていく。



――――ズガァン……――――



 数秒後、2人をその衝撃波が直撃した。

「あ〜〜〜れ〜〜〜〜〜〜…………」

 もうもうと砂煙が上がる中、2人は夕焼け空の彼方へと飛んでいき、キラリと星になって見えなくなった。

 自分の名を借りるくらいなのだから、どれほどの奴かと思えばこの程度か。

「ふう……」

 呆れながらも軽く息をついて、剣を鞘にしまった。

「これは俺の名誉を守っただけだ……」

 そしてそう自分に言い聞かせる。なにもこいつ達を助けるためにやった訳じゃない。

「あのぅ…」

 するとその“こいつ達”が後ろから自分に話しかけてきた。その声からして恐らくは姉。昼間パンを売っていた、あの女だろう。

 振り向いてみると、案の定彼女は恥ずかしそうにこちらにやって来た。泣いている妹と弟の頭を撫でながら。

 それを見ると少し寂しい気持ちがしたような、しなかったような。そんな複雑な気持ちが心に湧いた。

「本当に……本当にありがとうございました………」

 少女はそう言いながら、ペコペコと自分に頭を下げ続けていた。

「……勘違いするな。俺は好き勝手に暴れる奴に虫酸が走っただけだ………」

 そう言ってしらばっくれる。こうも感謝を述べられると、逆に胃に障った。

 少女と妹と弟。特にセシルに似た妹が姉の手をぐっと握りしめている姿を見ると、なんだかこの姉が憎いというか、助けなければ良かったというか、そういった感情まで沸き起こってきた。どこまで自分は心が汚れてしまったんだか……

「でも……剣豪ディアス様ってすごく有名な方なのに、こんな事するような人だったなんて、幻滅だわ……」

 そんな自分の複雑な心境な自分をよそに、少女はうなだれるようにそんなことを呟いた。

「……なにも剣豪が皆、良い人だなんて限らんがな」

 ひねくれるようにそう言ってやった。今少女の目の前にいる男が、まさしくそうであるように。

「………でも、あなたは私たちを救ってくださいました!! あなたこそ………」
「フン。俺は剣豪でも何でもないただの旅人だ。そろそろ失礼させてもらうぞ……」

 少女を遮るように言葉を発すると、3人兄弟に背を向けてつかつかと歩き出す。もう見るに堪えない。早く視界からこの幸せな少女を消したい。今夜はこの街に泊まる予定だったが、それもやめにした。

「……あの、せめてお名前だけでも………」

 少女が名を尋ねようとして自分を追いかけようとしてきた。

 恐らく、彼女の目には夕日に移る自分の姿が見えているのだろう。服や装備品のあちこちにある金属が太陽の光を反射して、キラキラと輝いていていることだろう。

 そんな自分が美しく見えるのだろうか? もしそう見えるのなら、それは単なる虚像だ。少なくとも自分はそんな存在ではない。

 そしてやはり少女はそれ以上、自分に近づいてくることは無かった。





「ふう……」

 街を出てからも、ゆっくりと歩みを進める。空は赤々と燃え上がっている。

「俺は……あいつらが羨ましかっただけなのかもしれないな………」

 そんな空を見上げながらすっと息を吐いた。

 昔あの時、さっきみたいに誰かが自分達を助けてくれていたら……

「戯言だな……」

 確かに自分は、日溜まりで生きる事を諦めた。だが本当にそうなのだろうか? 今は大きな太陽がほんのりと自分を照らしてくれているではないか。

 恐らくさっきの三兄弟も、今頃同じような夕日を見ながら、騒動の後片付けをしているのだろう。そんな彼らと同じ日溜まりに、今自分は居る。

 彼等の満面の笑みを想像してみても、不思議と今となっては憎くは無かった。むしろ悲しい。ただひたすらに悲しかった。

「照り焼き地鶏サンド……か。うまかったな……」

 そう小さく呟き、次の街へと向かっていく。

 俺の名は、剣豪ディアス・フラック。もうすぐ生まれて24年になる。

 俺は一体、なんのために生きているのだろうか……


fin.





あとがき

読んで下さいまして、ありがとうございました。
クロード達に出会う1年前のディアスです。

セシルもろとも家族が殺され、深い傷を心に負ったディアス。
彼は人の道を捨て、ただ力のためだけに生きようと決意しますが、
心の奥底に眠る良心が何度も何度もそれを邪魔しています。
ふと出る彼の本音、本当になりたかった自分の姿は、
この話の中で頻繁に行動や心境に現れています。
彼の生に対する悲しみが伝わってくればと思います。

これからもよろしくお願いいたします。

2008/11/15
ぷりん