Star Ocean
Graceful Universe

連載長編小説

58.第五章 第6話

 深青の光を放つ湖。そしてその向こうには東西に長く連なる崖。淵からは水しぶきが唸るように鳴り上がり、大きな滝となってその崖を埋め尽くしながら、水圧の力を湖へと叩きつけている。

 そんな滝の中に、この自然の要衝を突破するための唯一の洞窟がある。そしてその目の前には、崖沿いに長大な砦が延々と続いている。




 それはクロードたちが今朝、ジルハルトを発つ2時間ほど前の出来事だった。

 ここはジルハルトから北東方向にある、フーラル共和国とキーサイド王国間における事実上唯一の正式な国境、通称「ノースフォールの門」と呼ばれる要衝である。

 フーラル王国からキーサイド王国へと向かう旅人は、湖に掛かる吊り橋を渡り、崖の麓からその砦を登っていき、途中で検問を済ましてから洞窟へと入っていく。

 だが、今はそういった人の流れは全く見当たらない。ミント姫誘拐事件のためフーラル王国内の全ての関所が封鎖されており、ここノースフォールの門も例外ではなかったからである。砦内部に設けられた宿場や食堂もガラガラ、たまに見張りの兵士が利用するくらいである。

「おい! ちょっと止まれ! 今ここは通行止めだぞ!」

 しかし今、一人の男が砦へと繋がる吊り橋を渡ろうとしている。そしてその光景を、入り口で見張りを続けていた兵士が発見した。

「お前も聞いてるだろ? 今は誘拐事件でキーサイド王国に渡ることは禁止されているんだ。犯人がみつかれば規制も解除されるだろうから、諦めてさっさと帰れ帰れ!」

 不審に思った兵士はそう警告したものの、この紫のフードを深々とかぶった男は従う気配を見せなかった。そのまま砦に向かって堂々と吊り橋を歩いてくる。

 兵士は取り急ぎ、砦の奥からさらに2~3人の兵士を呼び出した。まだ朝も早いため起きている兵士も少なかったが、これだけ居れば一人の男に対処するのに十分だろう。

「いいか、これが最後だ! 今すぐに引き返せ! もし聞かなければ直ちにお前を連行する!」

 しかしこの男はそれでも態度を変えなかった。何も聞こえないかのように、すたすたとこちらに歩いてくる。

 呼びかけに応える意思は無し。そう判断した兵士はこの男を捕らえるため、駆けつけた3人の兵士と共に橋へと向かっていった。いざ戦闘になっても大丈夫なように、きちんと武器も装備していた。

「お前はこちらの忠告を無視し続けた。よって今から……」

 だが兵士がここまで言い終えたところで、ここにいた全員の目の前が真っ黒になり、そして急に意識が朦朧としていくのだった。

 いつの間にか、ここに駆け付けた兵士全員が橋の上に倒れた。それは一瞬の出来事。吊り橋の軋む音が、静かにその場に響いていた。

 兵士達の周りには、薄白い色をした煙が漂っている。そしてその煙はフードの男がなにやらぶつぶつ言葉を呟くと、フッと音も無く消滅したのだった。

 男は兵士たち全員に意識が無いことを確認すると後ろを振り返り、そして誰かを呼ぶようにこう言った。

「さあ、早く!」

 すると橋の向こう側にある草陰からカサカサと擦るような物音が聞こえ、そこから白い人影が姿を現した。

「もう大丈夫だ、行こう!」

「……ええ」

 ひょっこりと現れた人影は、大きな白色のローブを見に纏った女だった。彼女はひょこひょこ男のほうへと駆けつける。その女がきょろきょろ辺りを警戒する様子に、男は

「大丈夫だよ」

 と、不気味な見た目からは想像もつかないような優しい口調で囁いた。

「ここはもう、みんな眠らしてあるから」

「……確かにここは大丈夫かもしれませんけれど、砦の中はどうしますの?」

「それはこれから眠らせる」

 焦りを隠せない女性とは対照的に、男は落ち着いていた。彼が手のひらを広げると、先ほどと同じ煙がもくもくとそこから発生する。そしてそれは、まるで滝に濃霧がかかっていくかのように砦全体を覆っていく。

「吸わないように気をつけてよ。一回作用してしまうと、まる一日は目が覚めないような代物だからね」

「はい………」

「……どうしたの? 心配?」

「いえ、そういうわけじゃありませんけど………」

 女はそう言って男から顔を逸らした。

「なら早く行かなきゃ。もたもたしてると誰かに見つかってしまうよ」

 男は彼女の手をとると、再び砦の中へと足を進めていく。

「ま、待って……!?」

「え?」

 だが、彼女はそんな男を慌てたように再び呼び止める。

「何かあるの?」

 不安がる女に対し、男は優しくそう聞き返した。

「いえ……………」

 女は少し後ろめたげな様子であったが、それを振り払うように男の手を両手で握り締める。それはまるで、彼女がこの男の全てを信頼しているかのようであった。

「……行きましょう!」

「ああ、そうだね………」

 力強い返事を聞いた男は彼女の頭を静かに撫でると、煙立ち込める砦へと静かに姿を眩まして行くのだった。





「た、大変だ……!」

 しかし、偶然にもこのやりとりの一部始終を目撃していた人物が一人だけいた。吊り橋の真下にある滝つぼへと水を汲みに行っていた一人の兵士が、たまたまこの現場にかち合わせてしまったのだ。

 彼が砦の近くまで戻って来たとき、ちょうど3~4人ほどの仲間が謎の男に眠らされている場面に出くわした。

 そのときその兵士は動揺したが、見つかっては大変だと咄嗟に近くの茂みに駆け込んだ。このことが幸いし、彼は最後まであのフード男に気づかれずに済んだのである。

 男と女が砦の中に消えていくのを確認すると、兵士は物音を立てないよう慎重に橋へと近づいていった。眠らされた仲間を起こそうかとも考えたが、音をたててしまうと自分の存在がバレてしまう。

 自分一人ではあの男に太刀打ち出来そうに無いことは、遠目からでも見て取れた。恐らく砦内部の仲間も同じように眠らされている。今から立ち向かったとしても、それは無駄な足掻きに終わるだろう。

 だが、彼には砦を突破されたこと以上にショックな事があった。なぜならその男に寄り添う女性、白のローブを纏ったその姿は、幾度も見覚えのあるものだったからだ。

「ほ、報告しなければ……」

 今の彼にできること。それは本国のフーラル王国へ、ここで起こったことをありのままに伝えることだった。

「謎の男とミント姫がノースフォールの門を通って行った、と………」





「これから先、どっちに向かおうか?」

 クロードは旅館の売店で購入した地図を見ながらそう言った。彼らはセリーヌのテレポートで城下町を抜け出した後、街の外を警備する兵士に見つからないよう注意を払いながら、街から少し離れた場所まで移動してきていた。

 このあたりは宇宙船を停めた場所と同じく、辺り一体がうっそうとした森林となっていた。これなら身を隠すのにはもってこいである。

 ここからどちらに向かおうかと考えたとき、この周辺の地図を見る限りでは、その進路として3パターンほどのルートが考えられた。

「この地図を見たところ、城下町ジルハルトからは東西2方向に道が伸びているみたいなんだ。そして僕たちはその西側の道から少し逸れた、この森の中に居るんだけど……」

 これは宿泊した宿屋“Moonlight Blues”が市街地の西部に位置していたため、東よりも西から城下を出る方が容易であったからだ。

「あと、ここから反対にある東側の道の先は、さらに南北の2方向に分岐しているんだ」

 クロードは地図をなぞりながら仲間たちにそう説明したのだった。

「つまり、あの誘拐犯が道筋に沿って逃げたとすれば、その3方向のうちのどれかになる……ってことよね?」

 チサトもクロードと同じように地図と睨み合いながらそう呟く。話をまとめると、ジルハルトから逃げるルートは東と西の二通り。さらに東に逃げた場合、その先では南北に二つの道が伸びている。つまり犯人はジルハルトの西・東北・東南のいずれかを逃走中と考えられるのだ。

「そりゃ困ったな。なんの手がかりもねぇんだろ?」

「どうするのさ? また3手にもわかれちゃうの? 流石にそれは危険だと思うんだけど……」

 同じく地図を見ていたボーマンとレオンが口々にする。だがクロードはそんな二人の言葉を否定するように首を振った。

「いや。そんなにバラバラになる必要はないよ。僕が思うに、多分奴はこの西側の経路をとっていないはずだから」

 クロードはきっぱりとそう言った。

「この西側の道の先はクク峠っていって、標高3000mほどの渓谷が延々と続いている場所なんだ。とてもじゃないけど、お姫様の足でここを乗り切れるとは思えない。大掛かりな馬車か人力車でもないと無理だけど、そんなもので動くと峠の目の前にある検問所で引っかかってしまうに違いないしね」

 彼の言うとおり、確かに西側の道の先には大きな峠が一つあると地図には書かれてある。その先にはここフーラル共和国と隣国メル王国との国境があるらしいが、記された等高線や地図記号から判断するに、相当な交通の難所らしい。

「ほうほう。んじゃ、この西側に逃げた可能性ってのは低そうだってことだな?」

 ボーマンはクロードの説明にふむふむと頷いた。その隣ではレナも納得したような表情で両手を頬に当てている。

「そういえば、城下街に来る人は東からがほとんどで、西からはあまり来ないって話も聞いたわよね? やっぱりこのクク峠を越えるのは大変だからなのかしら……?」

「多分そういうことだと思うよ、レナ。それに比べると東にはミント姫の本国であるキーサイド王国をはじめとして、行き来しやすそうな外国もたくさんある。人の流れが活発なほうが、犯人としても逃げやすそうだよね」

 西には険しい道のりの先に小国のメル王国があるだけだが、東に進めば北東方向にキーサイド王国、南東方向にザックル神国といった大国へたどり着くことができる。

 ミント姫は女性でしかも王族。体力には自信がないと考えられる。そんな彼女を連れてどこかに逃げるためには、後者のほうが都合がよさそうなことは明らかだった。

「まあ、あの誘拐犯がどこに逃げ込もうとしているのか、っていうことも重要にはなってきますけれどね………」

 ここでクロードとレナの横から地図を覗いていたセリーヌがぽつりと呟いた。

「ふつう、一国のお姫様を誘拐する犯人の目的といえば、大体は脅迫の人質として利用するためですわ」

「そうだね。よくある話だけれども……」

「けれども、今回の事件にはネーデ人も噛んでいると仮定していますでしょ。なら、あまり常識の範疇に捉われすぎるのもよろしくないと思いますの」

 セリーヌの言うことも一理ある。こちらが思いつきもしないような、とんでもない手段で彼らは逃走したのかもしれないのだ。

「……とりあえず、今のところは決め打ちでいいんじゃないか?」

 意見がなかなかまとまらないなか、今まで腰を降ろしていたディアスがふと立ち上がり、そして仲間たち全員へ向けてそう言った。

「もし犯人が西に逃げたと判明したら、そのときはジルハルトで待機しているプリシス達に任せればいい。俺たちは可能性に忠実に、東へ向かうで問題はないと思う。ここでああだこうだ言っていても仕方がないだろう。別の場所で情報を得ることが先決だ」

 ディアスの言うように、今ここであれこれ悩んでいても仕方がない。西側に逃げた可能性は低いのだと今は断定し、さっさと次へ進まないことには何も始まりはしないのだ。なにせ今は一分一秒が惜しい状況なのである。

「……よし、そうするか。ここから街を迂回することになるけど、みんなで東へ行こう」

 そう全員に告げ、クロードは地図をしまう。ディアスはじめ他の仲間たちは彼の呼びかけに「わかった」と声をあげながら、下ろしていた腰を一人ずつ起こしていった

「あら? それならわたくしのテレポートで移動すれば早いですわ。一昨日ジルハルトに東側から入りましたわよね?」

 そんなとき、ふとセリーヌが呟いた。

「農夫の方に出会った場所、よく覚えていますわ。あのあたりの森の中なら、うろついている兵隊さんも少ないでしょうし……」

「そうか、そう言えばそうだったな」

 クロードは宇宙船を停泊させた場所が、ちょうどジルハルトの東側だったこと、そしてその方向から街に入っていったことを思い出した。わざわざ歩いて行かなくても、一度訪れたことのある場所ならばセリーヌのテレポートで一瞬にして移動できる。

「それじゃあお願いできるかな、セリーヌ?」

「もう……仕方ありませんわね………」

 そう言うセリーヌは面倒くさそうではありつつも、仲間に頼られどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。彼女が杖を振りかざすと今日二度目のテレポートが発動し、これにより一行はこの場を静かに立ち去ったのであった。





 幅は広いのに人気の無い、寂しい街道。クロードたち一行はジルハルト東部をさらにまっすぐ進んでいた。

 巡回している兵士を上手く避けながら先へと進むというのも、なかなか神経を使うものである。こちらは7人という大集団であるため、誰か一人でも見つかってしまえば終わりだ。こうしてただ移動するだけでも大きな集中力を要される。

「これならモンスターが居たほうが楽だよ」

 レオンはそう愚痴ったが、確かにその通りかもしれない。人間から逃げまとうことに比べれば、魔物達を退治しながら進むほうがストレスも溜まらないだろう。

 しかし仲間の中でただ一人だけ、そんなストレスすら感じさせないくらい清々しい顔で歩いている男が居た。

「くはーっ!! やっぱあの街は俺には無理だわ!」

 煙草の煙を吐き出す動作と共に、ボーマンは爽やかな笑顔でそう言った。ジルハルトを出た瞬間から彼はもぞもぞ落ち着きがなかったが、その原因はどうやらこれのようである。

「なーにがタバコ禁止だよ? 料理に使う火はよくてこれはダメなんて、筋は通せよって話だよな!」

 先ほどまで滞在していたジルハルトは、生活に必要な場面以外において一切の火気が厳禁されていた。ヘビースモーカーであるボーマンにとって、それはいつ発狂してもおかしくない環境だったのだろう。

 その制約が無くなった今、我慢してきた分まで思う存分吸ってやろうと思っているのだろうか、ペースがいつもよりも格段に速い。

「……ったく、医者の不養生とはこのことですわね。リンガの子供達には真似しないように伝えておきませんと……」

「おいおいセリーヌ。俺は医者じゃなくて薬剤師だからな。それに仕事中や診察のときは絶対に吸わねえよ」

「結局どこかで吸ってるんなら根本的には変わらないよ、ボーマン」

 そんなレオンの言葉にボーマンは「なにおぅ!?」と反論しようとしたが、その瞬間レナが咄嗟に小声で仲間に何かを呼び掛けた。

「みんな! 急いで隠れて!」

 率先して彼女が近くの看板の裏に隠れると、他の仲間達もそれに続いてささっと身を寄せ合った。

 ゆっくり看板に空いた穴から外の様子を伺ってみると、自分達が来た方向とは反対側から、一人の兵士が走ってくるのが見えた。隠れるのがもう少し遅ければ見つかるところだった。

「ったく。いちいちヒヤヒヤさせやがるぜ」

 ボーマンは携帯灰皿にぐりぐりと煙草を押し付けながら文句を垂れた。

「あの兵士、どうしてあんなに一生懸命走っているのかしら?」

「焦ってんじゃないの? 遅刻とか?」

「二人とも静かにしろ! 来るぞ!」

「は、はいっ……!」

 ディアスが乾いた声で鋭くそう言うと、レナとチサトはピタッと口を閉じた。



――――ザッザッザッザッ………――――



 兵士は砂埃を巻き上げながら、レナ達が居る場所を気に止めさえせずに通り過ぎていった。彼が地平線から見えなくなったことを確認すると、7人は隠れていた場所からぞろぞろと表に出る。

 なんとかやり過ごせたことに、とりあえず全員がホッとする。しかし兵士の様子や挙動が今までとは何か異なっていたことが、妙に気がかりだった。

「なんだかさっきの兵士、引きつった顔してたよね……?」

「私も同感。すごく急いでいるように見えたけれど……」

 レオンとレナの目には、少なくともこう映ったようだ。さらにここでチサトが口を開く。

「だから何か時間に間に合わなさそうとか、そういう理由で急いでたんだってば。だって、明らかにジルハルトで巡回してた兵士とは身なりが違ったでしょ?」

「それだ………」

 クロードも何か違和感を覚えていたが、今のチサトの言葉ですっきりした。あの兵士と今まで会ってきた兵士との、決定的な相違点に気がついたからだ。

「さっきの兵士は何も武器を装備していなかったよ。今までだったら短剣なり槍なり、何かしらの武装をしていたのにね」

「そういうこと。きっともともとは他の街かどこかにいたんでしょうけれど、何か急用が発生して王都まで全力疾走していたとか、そんなところじゃないかしら?」

 チサトの洞察力に、全員が「おおぉ!」と感心しながら納得した。ただ一人の男を覗いては……

「……普通ならば誰でも気づくことだがな」

「あーら。ディアスったら、あなた本当に気づいていたのかしら?」

「ああ、当然だ」

 ディアスはふん、と鼻を鳴らしながらチサトにそう答えた。

「ついでに言うと、あの兵士は荷物すら何も持っていなかった。ジルハルトに用事があるにしては、少し軽装すぎる気もするがな……」

「み、みなさん、そんなところまで見ていらっしゃったのですわね……」

 仲間の観察力に驚き、ついつい声を漏らすセリーヌ。そんな彼女をよそに、ディアスはクロードにこれからの行動について問いかけた。

「どうするクロード。俺はさっきの奴も十分怪しいと思うが、あいつを追うか? それともこのまま進むか?」

「決まってるだろ。このまま進むさ」

 クロードはノータイムでそう答えた。

「ジルハルトにはアシュトンたちが居る。もし向こうで何かあったとしても、あの三人で十分対処できるさ」

 ここでパーティを二手に分けた効果がさっそく発揮された。ジルハルトに仲間が待機していることで、クロードたちは後ろを気にすることなく前へと進み続けることができる。

 もしアシュトンたちに何かあれば、その時は通信機越しに連絡が入るだろう。事態が深刻そうならば、その時はこちらから何人かをセリーヌのテレポートで送ればいい話である。

「それよりも、今は仮面の男とミント姫を探さなきゃ。それが一番の優先事項だよ」

 クロードの言葉に誰も反対はしなかった。小さなことでぐずぐずしている暇はないのだ。

 全員は揃ってこくりと頷くと、今まで同じように東へ向かう足取りを再開させたのであった。


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