連載長編小説
70.第五章 第18話
城の地下ともなると、その様相は地上の空間とはまるで異なっている。単純に土を掘り出し粘土のようなもので塗り固められただけの壁は、古びた地下遺跡のそれと何の遜色も無かった。ところどころ刳り貫かれた穴が燭台代わりとなり、ジジっと音を立てる蝋燭(ろうそく)がここに居る人間にとって唯一の灯だった。
部屋の中心には円筒形に組まれた石ができている井戸が一つあった。それ以外の地面は湿った土でできており、捕らえられた国王メンテンをはじめとする穏健派の人間はこの場所で互いに身を寄せ合っていた。あまり外気と触れることもなく、太陽光も差さないこの地下室は少し肌寒いのだ。
「……ライゼル様はどうしているのかしら?」
「わからない。そんなことより、我々はこの先どうなってしまうのだろうか……?」
いつまでこの状況が続くのか分からない。ここにいる全員がそんな不安と戦っている。彼らの希望はヘイデンの起こしたクーデターの犠牲にならず、どこかに身を隠しているであろうメンテン王のもう一人の息子ライゼルだった。
彼ならなんとかしてくれるはず。ここにいる全員がそう信じてきたものの、先ほどから一向に事態は進展する様子を見せていない。そのせいか彼らはライゼルに縋る思いと同時に、諦めの気持ちもまた徐々に脳裏で交錯するようになっていたのだった。
「……あら?」
そんなとき、この中にいる一人、国王夫人の付き人である若い女性が妙な物音に気づいた。パキッというような軽い音が、どこかしら聞こえたような気がしたようだった。
「あら、どうしたの?」
「えっ? ううん、なんでもないけど……」
隣に居た同期のメイドに声をかけられた彼女は、つい誤魔化すような返事をする。辺りを見渡してみても、その光景には何も変化もない。彼女の周りには不安に取り憑かれた自分の主や同僚たち。薄暗いせいでその顔もよく見えなかった。
――――カラカラカラッ………――――
だが、次第にその音は激しくなっていく。
――――ガガガガガ………――――
しかも、それはだんだんと激しく。
――――バキッ!――――
次の瞬間、地下室の出口とは反対側の壁が崩落した。そしてその瓦礫を突き破るかのように、巨大な青色の物体が姿を現したのだった。
「わ、わわわわわっ………!?」
「きゃーーーっ!!」
その巨大な物体の出現は場を壮観させるものだった。ある者は腰を抜かし、またある者は金切り声で叫喚している。地下から現れたその悍ましい物体に、一同はみな涙目で息を呑む。
すると、プシューという空気の抜けるような音と同時に、上方にある透明なカバーのようなものが滑らかに開かれた。ここにいる人間はみな、物体の中心に描かれた人型模様、ちょうど黄色い楕円形をした目と長方形の口に対して目を向けていたが、その注視は一斉に瓦礫を落とすカバーへと変わっていった。
「ぷはぁーっ! ついたついた!」
するとなんと、そこからは4人ほどの人間が続々と身を乗り出してきたのだった。そして最もよく見える位置にいたのは小柄な少女。なにやらきょろきょろと部屋の中を見渡している。そしてそんな彼女の後ろには……
「え? あれは……」
「ラ、ライゼル様!?」
城を抜けだしているはずの最後の希望、誰もが心に描いていたであろう国王メンテンの第二王子ライゼル本人が、謎の三人の男女と共に見参したのだった。
「……ではプリシス殿。あなたがたがこれを使ってこの地下へ………」
「そ! ライゼルに教えられたとおりに来ただけだけどね」
プリシスやライゼルらからひと通りの事情を聞き終えたメンテン国王は、彼女にこれまで起こった幾つかの事件についての質問を投げかけており、プリシスもそれに対してはきはきとした声で答えていた。
幸いこの場所にアギ配下の兵士はおらず、また無人くんが地下室を掘り当てたときに鳴らしてしまった轟音、およびそれを見た人々の悲鳴も、閉ざされたドアと長い階段の先にいる見張りの兵士には届かなかったようである。四人がこの場所に来ていることは、今のところここに居る人間だけが知るところとなっているのだ。
無人くんもモールの状態からは解除され、いつものボール大ほどの大きさに戻っていた。生き物のように動くその姿を、閉じ込められている人々はみな興味津々な様子で眺めている。
突き破ってしまった壁は、アシュトンとノエルがせっせと瓦礫を戻しながら塞いでいる。綺麗に修復することはできないが、この暗い空間だと遠目に見れば違和感はない。もし見張りの兵士たちがここに降りてきたとしても、これならバレずに済むであろう。
はじめは驚いていた人々も、外部からの助けが来たこともあり落ち着きを取り戻しつつあった。危険が伴うため、さすがに掘ってきた穴を戻って外にでることはできない。それでも味方が増えたという事実は彼らの大きな励みになったようだった。ただ、相変わらずアシュトンの背中にいるギョロとウルルンは怯えられてはいたが。
「みんなも、よくこれまで王の側で危機を凌いでくれた」
「ライゼル様………」
「あとは俺たちがなんとかする、心配するな」
ライゼルはそんな家臣たちに向けて心強い言葉を送った。その姿はさながら指導者そのもののようであり、彼は続いて凛とした表情でメンテン王のほうを向いた。
「父上、ヘイデン兄様とアギ将軍はキーサイド王国を侵攻するつもりです。一刻も早く止めなくては……」
「ああ………」
この部屋唯一の腐りかけた椅子に座っていたメンテン王はそう呟くと、少し罪悪感を含んだように視線を落とした。
「ヘイデンの儂に対する反抗心から生じたクーデターかと思っていたが、もっと深刻なことになっていたとはな………」
「父上……」
「全ては儂の責任だ。軍にこれだけ権力を与えてしまったばかりに………」
「そ、そんなことはありません!」
ライゼルは力強い口調でそう言った。
「それに、兄上だけではございません。どうやら今回の反乱には、キーサイド王国のラム軍師も暗躍しています」
「ああ、それは先ほどお前から聞いた。どうやら事件は我が国だけの問題というわけでもないようだな」
「ええ。ここにいるアシュトン、プリシス、ノエルが掴んだ情報なので本当かどうかは分かりませんが、これだけ異変が起きていれば、原因は兄上だけではないと考えるのも妥当かと……」
「……いったいそこまでして、ヘイデンは何を企んでいるというのだ……?」
「それがわかればいいのですが………」
「そうか……。ヘイデン、お前はなぜ乱心なんてしてしまったのだ………」
王が苦悩するのも最もだった。なにせ自分の愛する息子であるヘイデンが、今やフーラル共和国の平和を揺がす脅威となっているのである。将来を約束された彼に、一体何があったというのだろうか。その気持ちを察すると、側にいるプリシスたちもついつい胸が痛むのだった。
「父上、ひとつ相談したいことがあります……」
「なんだ、ライゼルよ?」
そう申し出るライゼルの瞳には、ある決意と覚悟が宿っていた。
「私に、アギ将軍を討伐する許可をいただけないでしょうか?」
「なっ………!?」
その言葉を聞いたメンテンは狼狽したかのような声を漏らした。
「何を言っておる! そんなこと誰が許すものか!?」
「しかし!」
だがライゼルは怖気づくことなく、父に迫るよう自身の訴えを投げかけた。
「ここでじっとしていても、このさき何も変わりません。兄上とアギをこのまま野放してしまうと、本当に取り返しのつかないことになってしまいます!」
ライゼルの直訴はもっともなものだった。今こうしている間にも、クロードたちが居るノースフォールの門では数多くの兵士たちが傷ついている。それだけではない。キーサイド王国との間に埋めようのない亀裂が生じようとしているのだ。今は一刻も早く彼らを止めなくてはならない。そのことはメンテン王も十分理解していた。
「しかし、それは………」
だが彼が息子にアギ討伐をなかなか託せず、渋る理由も頷ける。ほとんどの軍隊はノースフォールの門に向かったとはいえ、まだ多くの見張りによって城は乗っ取られている。そこにみすみすライゼルを一人で送り込んでも、結果は火を見るより明らかだからだ。
「お願いします! 父上!」
「だが、お前一人で何ができるというのだ? 城は今やアギの配下なのだぞ?」
「いえ、一人ではございません」
ライゼルはそう言うと、プリシスたち三人のほうへちらりと目をやった。
「彼らの協力があれば、あるいは……」
「彼ら!? 彼らだと!?」
「はい。彼らは腕に自信があると言っております。そしてこのクーデター解決にも協力してくれると………」
「ふむ………」
メンテンは探るような視線をプリシスらに向けた。
「彼ら三人がいれば、勝算があると?」
「……い、いえ。そういうわけではありませんが………」
ライゼルはメンテンの質問に小言でそう答えた。どうやら勢い任せに言っただけで、具体的な作戦は考えていなかったらしい。
「それなら心配ないわよ、王様!」
だがそんなとき、プリシスが得意げな様子でそう言葉を発すると、そのままつかつかとメンテンの前に進み出た。アシュトンとノエルも彼女の後ろに続く。メンテンとライゼルだけでなく、この場にいる全員の眼差しが三人に釘付けになった。
「こう見えてもあたしたち、戦いには自信がありますから!」
「うん! 僕は剣と魔法の両方が使えるし、成功させる自身はあるよ」
「私も格闘技と紋章術を得意としています。実戦になれば負ける気はしません」
三人はそう言うと、各々の武器をガシャガシャと取り出してみせた。プリシスはこの地下室を掘り当てた“無人くん”。アシュトンは惑星エディフィスで見つけた対魔用の聖なる双剣“パスティオン”。そしてノエルは魔力を大幅に増加する鋭利なナックル“サーペントトゥース”だ。
当然ながらこの部屋に武器はない。だがこの三人がいれば十分アギの兵士にも対抗できる。プリシスはそれを強くメンテンに訴えかけたのだった。
「……どう、これならいけそうじゃない?」
「ううむ、しかしそなた達が本当に強いのかどうか、実際に確かめた者はおらんのじゃろう……?」
それでもメンテンはまだ躊躇した態度のままでいた。
「……父上! あなたは………」
そんな父をライゼルは必死に説得しようとする。
「今やらなければ、いつやるのですか!? ここでただ無駄な時間を過ごすのですか? こんな状況まで来てしまっては、確実に成功させるなど無理なことぐらい父上も分かっておられるはずです!」
「ライゼル………」
「王様、ぼくもライゼルの言うとおりだと思います」
親子の横からアシュトンが口を挟んだ。
「ここは賭けるしかないと思うんです。この国の平和のためにも………」
「そうです父上! アシュトンの言うとおり、やるしかありません! 私に彼らを案内する役目を!」
「むむ…………」
メンテンはそれでもなお顔を曇らせたままだった。
「別にお前が行かなくとも、道案内なら他の者でも……」
「いえ、これは兄上という王家の者が引き起こした問題です。それならば我々で責任をとるのが筋というものでしょう」
「ライゼル………」
ライゼルの責任感。それがメンテン王だけでなくプリシスらにもひしひしと伝わってくる。彼は兄の起こした不祥事を、なんとしてでも自分で精算したいという思いが強いように感じられる。
「……王様、ここはあんたの息子を信頼してあげたら?」
プリシスはそんなライゼルの肩を持つようにそう言った。
「結局、あんたは子供のことを理解していなかった。だからヘイデンはこんなことを起こしちゃうことにも気付かなかったんじゃない? 実際のとこはよく分かんないけどさ……」
「プリシス殿……」
「今はライゼルの思いを大切にして、やりたいようにしてあげようよ」
親の心子知らずとはよく言ったものであるが、その逆もまたしかりである。いい意味でも悪い意味でも心配性すぎるメンテンの決断がよいものになるように後押しするべく、プリシスは思ったことを素直に述べたのだった。
「………ライゼルよ」
プリシスが言い終えると、メンテンは重かった口をゆっくりと開いた。
「はい、父上」
「必ず生きて返ってこい」
「ち、父上…………」
その言葉を聞いたライゼルの表情が緩む。
「わかりました。このライゼル、必ずアギを捕えて戻ります!」
「うむ、頼んだぞ」
「はい!」
はっきりとそうメンテンに返事したライゼル。プリシスとアシュトンは「よかったね」と囁きながらその背中をポンと叩くと、彼は「ありがとう」と笑顔でそれに応じたのだった。
これで城内へ出撃する下地は整った。あとはどのようにしてアギの部屋まで辿り着くかを考えなければならない。強行突破をしてもプリシスたちなら負けはしないだろうが、あまり騒ぎを大きくしすぎるとアギに逃げられてしまう恐れがある。できれば誰にも気付かれないよう、アギのいる場所まで進みたい。
だが、そのことに関しては後から策を練っても遅くはない。それよりもライゼルを含めた4人には、まずはじめに片付けなければならない問題があった。
「さて、そうなるとまずは、この地下室の入り口を見張ってる奴らをどうするか、よね?」
「そうだね。そこを抜ければ、あとは隠れながらちょっとずつ上の階へ行けばいいんだろうけど……」
プリシスとアシュトンは二人とも、うーんと唸りながら腕を組んだ。はじめにこの地下室から地上に戻らなくてはいけないのだが、そのためにはそこで待ち受ける見張りの衛兵を如何にしてかわすのか、その方法を考える必要があった。
「そのことに関してですが、僕にいい案があります」
だが考えふける仲間たちの傍ら、ノエルは自らそんなことを言い出したのだった。
「入り口の衛兵は何人ですか?」
「ええと、たしか………」
「三人だった。間違いない」
ノエルの問いに、地べたに座るメンテン王の側近たちからは、ちらほらとそんな答えが返ってくる。すると彼は「なるほど」と呟き、そして少しのあいだ考え込んだのち再び口を開いた。
「でしたら、僕がその三人を紋章術で気絶させます。そしてその隙に鎧を奪いましょう」
「へー、なーるほどね!」
それを聞いたプリシスはポンと手を叩いた。
「それをあたし達が着れば、バレずに上まで進めるってわけね!」
「いえ、僕たちが着るのではありません。3着ある鎧のうち2着はここに居る方々の誰かが、そして残りの1着をライゼルさんに着てもらいます」
「へ?」
「お、俺が!?」
ライゼルは驚いた表情で自分自身を指さした。
「はい。僕たちと違って、ライゼルさんは追われている身です。できれば姿を隠しておいたほうがいいでしょう。それにあなたは僕たちを誘導するために先頭を行くわけですから、見つかってしまう可能性も高いですしね」
「で、でも残りの2着をここに居る人間に着せるってのは……」
「急に見張りが居なくなってしまうと怪しまれます。それを防ぐため、誰かに見張りの兵士の“ふり”を地下室の入り口でしてもらうわけです」
「そっか。ヨロイさえ着ていれば、遠目に見ても中身が誰だか分かんないもんね」
プリシスは感心したように頷いた。いくらライゼルに覚悟があるとはいえ、そのまま生身で城内に放り出すわけにはいかないのだ。それに見張りの兵士役も残す必要だってある。城内を巡回する衛兵に、“地下への軟禁は異常なし”と思わせなければいけない。
「それじゃ、作戦はそれくらいにしてさっさと行こう!」
アシュトンは先ほど取り出した双剣“パスティオン”を改めて両手で握りしめた。
「こうしている間にも、ノースフォールの門ではたくさんの兵士が傷ついているんだ。急がないと」
「だね。あとは出たとこ勝負ってことで!」
「はい」
「ああ!」
プリシス、ノエル、ライゼルも彼に続いて声を上げた。この地下室を無事に抜け出たあとは、状況次第で判断しながら進んでいく。もといプリシスがリーダーの時点で、綿密な計画を建てるなど不可能なことは分かりきっていた。そのためどちらかと言えば慎重派であるノエルも、今回はあっさりと出撃の合図を承諾したのだった。
そしてそんな彼らに、メンテンからも最後の激励の言葉が添えられる。
「それじゃ、頼んだぞ、ライゼル」
「はい、父上」
「うむ。プリシス殿たちも気をつけて進むのだぞ」
「はーい! まかせといて、王様!」
少しでも心配を和らげるよう、プリシスは明るく振る舞いながらそう返事をする。するとメンテン王はきゅっと唇を結びながら、信頼を露わにするように一度だけ深く大きく頷いた。
こうしてノエルを先頭にアシュトン、プリシス、ライゼル、そして見張りの兵士役を志願した二人の若い男の六人はジルハルト城の解放を目指し、地上へと続く暗い階段を一歩ずつ静かに昇り始めたのであった。
「………ブラッドスキュラー!」
ノエルが小言でそう呟くと、光の漏れる扉の向こう側でバタバタと何かが倒れる音が立て続けにした。そっとその扉を開いてみると、木造の廊下で兵士が三人、膝もつかず地面にうつ伏して倒れていたのだった。ノエルは加減して体力を吸収したのだが、それでも彼らがしばらく起き上がることはないだろう。
この場所は廊下の一番奥、しかも目の前は曲がり角なので、誰にもこの一部始終を目撃されずに済んだ。だが、いつ誰がこの場所に現れるか分からない。ノエルたちは手早く倒れた三人の兵士を扉の内側へ引きずり込むと、てきぱきと情況証拠の隠滅を急いだ。
「さて、それじゃライゼルはこれを」
「ああ」
兵士から剥ぎ取った鎧をアシュトンから受け取ると、ライゼルはガシャガシャと音を立てながらそれを装着した。ここまでついてきた見張り役の二人も同様にそれを身につける。装備し慣れない鎧の重量で少し足がおぼつかないものの、立っているだけなら大丈夫そうだと彼らは言った。
「そんじゃ、この三人を地下室に運んでちゃんと縛ってから、見張り役をお願いね」
「はい! わかりました!」
「よっしゃ、頑張るぞ!」
プリシスの言付けに、二人の見張り役は大きな声でそう返事をした。ここはもう大丈夫。あとは自分たちがうまくいくことを祈るだけ。プリシスはそんな思いを胸に、これから自分たちが向かうべき方向の指示をライゼルに仰いだ。
「さあ行くぞ。まずはこっちだ……」
ライゼルはプリシスたちにそう言いながら地下室の扉を再び開いた。ジルハルト城の黄土色の空間こそが戦いの本番、そしてプリシスたちにとってはロイド・モダイ2号星に来て以来、初めての任務らしい任務だった。
ライゼルの誘導がこの作戦の鍵を握っているため、この先プリシスたちは彼を信頼し続けるしかない。今の堂々とした態度から王の前で見せた覚悟は本物だと感じた三人は、武器を手にしたことを確認するとライゼルのあとを追うように続いていったのであった。
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