連載長編小説
37.第三章 第7話
セリーヌのテレポートを用いてバルコニーから宿屋の4階に侵入した二人は、汚れた床上で慎重に足を滑らせていた。
「ちょうどこの下に、まだ居るみたいですわね?」
埃がもわもわと舞うこの場所の床には所々に隙間があり、そこから下の階の光と声が漏れ出している。
セリーヌとレオンが今いる部屋は、その差し込む光によってうっすらと照らされていた。そこはどうやら客間ではなく、屋根裏にある物置部屋のようだった。滅多に人が訪れることはない様子で、塵と蜘蛛の巣まみれの家具や木箱がそれを生臭く物語っていた。
「気をつけてね。床板はけっこう薄いみたいだから」
レオンは埃を嫌うかのように自分の衣服を顔まで手繰り寄せ、マスクの代わりにするようにそれで口元を覆っている。
「ええ、かなり簡素な造りの部屋みたいですわね。下から声がよく聞こえるのは良いのですけど、ちょっと下手をすれば簡単に軋む音がしそうですし……」
セリーヌは四つん這いになりながらも、床に開いた隙間の中でもひときわ大きなものを見つけ出すと、そこまでゆっくりと慎重に移動していった。レオンも違う隙間を見つけ、その場所へと移動していく。
そして二人ともほぼ同時に、指一本くらいの太さのその隙間から下の部屋の様子を覗き込んだ。
「うーん……ここはベッドの上かしら?」
しかしセリーヌは選んだ場所が悪かったらしく、隙間を通して見えたものは少しシワの寄ったシーツくらいなものだった。肝心な人の姿らしきものは死角に入っており見当たらない。ただ、声はここから確実に聞こえてきていた。
相手の姿は見えないが、それは逆に言うと相手からも視覚的に気付かれないということである。そういう意味でもこの穴から盗聴したほうが安全かもしれないと思ったセリーヌは床の上に寝そべると、聞き逃しのないようその隙間にぴたりと耳を当てた。
「よく聞こえますわね……」
隙間に当てていない側の耳を指で防ぎ、セリーヌは会話を拾うことのみに集中した。どうやら今、床下では男が何かを食べながら話をしているようだ。酒瓶が机に置かれるような音がする。
目の前に見えるレオンも同様に大きな耳を床に当ててじっとしていた。こちらに気づいたレオンが、“下の様子は見えた?”と尋ねるようなサインを送ってきたので、セリーヌは顔の前で手を振って“NO”の合図を送り、再び聴覚を研ぎ澄ます。
『んで結局よぉ、なんでこの惑星は今も残ってんだ?』
しばらくした後、再び会話が始まったようだ。セリーヌとレオンは同時にはっと息を呑み込む。
『それが分からないから我々は此処に来たのであろう』
『でもよぉ、信じられるか!? クラス9ものエネルギーが衝突したんだぜ? これは紛れもない事実だろうが』
『……分からんな。なにせ我々はクォドラティック・スフィアがこの惑星に墜落したという事。そしてエナジーネーデがそれに引き寄せられたという事。それだけしか聞かされていない』
『普通ならそれでドッカンだろ?』
『さぁな。実際にその現場を見た奴が居ない限り、100%そうだとは言い切れん』
「本当に一体何者なんだ? こいつらは……」
レオンは真下で起こっていることが信じられないような、ある種の恐怖感のようなものを感じていた。ネーデとエクスペルの衝突。こんな事実を知っているのはごく一部の限られた人間のみである。
「連邦の軍人が再調査に来ている? ……いや、それはない。そんな報告は受けてない……」
レオンの頭に、ある一つの可能性が浮かび上がる。
「……まさか、反銀河連邦の人間がエクスペルに干渉しているのか?」
反銀河連邦団体。それは今の地球を中心とした銀河連邦に反抗する勢力である。どんな統治国家にも反旗を翻す者が必ずいるように、銀河連邦内でもそういった組織による反乱がたびたび発生していた。そしてこの連中をしっかりと取り押さえる事も、クロードたち連邦の平和を守る軍人の役目の一部である。
「奴ら、どこで聞いたかは知らないけど、エナジーネーデや十賢者の異常事変について嗅ぎつけたということか?」
惑星一つを消滅させるようなエネルギーを生み出す技術は、場合によっては凶悪な兵器を生み出す原動力になりかねない。そのため連邦は十賢者による一連の事件を最重要機密という事で隠し通してきたはずだった。
つまり、下で話をしている彼らがそれを知っているということは、連邦内部の誰かが情報を漏らした、もしくは向こうがこっそりとデータを盗んだ、などといったことが行われてきたということである。
いずれにしても、もう少しじっくりと彼らの話を聞き、場合によっては取り押さえることも念頭に入れなくてはいけない。レオンはいつでも戦闘できるよう、そしてどんな言葉も聞き逃さないように精神をよりいっそう集中させた。
一方のセリーヌは、この下の輩たちがどのような人間かということを、声や口調から分析していた。レオンとは違い宇宙の情勢などとは一切無縁な彼女は、階下で繰り広げられている話には正直あまりついていけなかった。
そのため会話の詳しい理解に関してはレオンに任せるとして、自分はできることをしっかり遂げようと考えていた。
「どうやら男二人ってところかしら? 年は……そう若くはないでしょう。30前後ってところですわね。 ちょっとおバカっぽいのと、頭の切れそうなのが居ますわ」
長年のトレジャーハントの経験は伊達ではない。お宝の情報はだいたい男が握っている。それゆえ一癖二癖ある男性と接する機会の多かったセリーヌだからこそ為せる分析業である。
「おバカさんの方は絶対に紋章術師ではありませんわね。あんなガラガラ声で詠唱などできませんし。逆に頭の良さそうな方は術師臭いですわね。とても流暢に話していらっしゃいますし、滑舌もいいですもの……」
声だけでここまで淡々と戦力分析できるとは、恐るべきセリーヌである。
こうしてレオンとセリーヌは互いに得意とする分野で作業を分担しながら、男二人の会話調査をさらに進めるのだった。
『ったくもう、訳分かんねぇぜ!』
『まぁ落ち着け。それなりに考えはある……』
セリーヌが「おバカ」と形容した、荒くれ声の男が苛立たしそうにしている。それに対してもう片方の男が抑揚の無い声で言った。
『考え?』
『ああ……』
「考え? 反銀河連邦レベルの技術力で何を言うんだ?」
話を聞いたレオンは少し疑問に思った。今のところ反銀河連邦が使用してきた武器に対し、地球の技術力を超えたオーバーテクノロジーが使用されていた例は無い。つまり連邦の技術力に比べると、反銀河連邦のそれは大きく劣ることになる。
連邦でさえ破ることのできなかったネーデの軍事技術に対して、彼らが対抗できる術を持ち合わせいるのかと言うと、答えはノーである可能性が高い。
だからこそ逆に言えば、ネーデの技術が向こうに渡ることで銀河連邦と対等の軍事力を備えられることは、何としてでも防がなくてはならないことなのだ。
『私が思うに、エクスペルは実際に一回崩壊しているよ。エナジーネーデと衝突してな』
『だからよぉ、それならなんで今俺達が、その崩壊したはずのエクスペルの宿に泊まれているんだ!?』
『まぁ最後までよく聞け。私はエクスペルが崩壊したとは言ったが、消滅したとは言ってない。今ここにあるんだからな』
『……相変わらずくどい奴だなぁ。だから………』
『くどいのはそっちだ、最後まで聞けと言っている』
その一声に、荒ぶる声の男は途端に大人しくなった。
『一つ疑問に思うところがある。肝心なエナジーネーデが今ここに実存していないという点だ。普通に考えれば逆じゃないか? エナジーネーデが残ってエクスペルが存在しない、というのが……』
『エナジーネーデは崩壊紋章のエネルギーを全て引き受けたがら消滅したんだろ?』
『私達が掴んだ情報ではそうなっているが、しかし……』
男の唸る声が聞こえる。
『崩壊紋章といえば無限の重力場を生みだす、宇宙そのものを消滅させるようなエネルギーを秘めたものだ。果たしてその全エネルギーを、エナジーネーデだけで引き受けられると思うか?』
『う……確かにそれは言えてるぜ。間違いなく周りも巻き添えを食らっているだろうな……』
『そういうことだ。だが、ある手法を用いればこの矛盾を完全に説明することができる』
ここで男は一息置いた。
『時空転移シールドだ』
「んなっ……!?」
レオンの体全体に衝撃が走った。ついうっかりと声を漏らしてしまったが、寸でのところで口を塞いだおかげで、なんとか自分たちの存在に気づかれることを防いだ。
「時空転移シールドだって!? そんなばかな!?」
いま彼らが口にした時空転移シールド。これはかつてエナジーネーデが開発した技術の一つである。この言葉の意味することはレオンにとって非常に大きく、また信じられないものだった。なぜなら……
「この技術はまだ地球の銀河連邦も知らないはずだぞ!? なんで反銀河連邦のやつらが知ってるんだよ!?」
レオン達は十賢者を倒した後、地球の軍人にネーデで起こった出来事の経緯などは詳しく話したが、ネーデが持っていた科学技術に関してはほとんど報告しなかった。自分達にも理解し難いことばかりだったため、下手にあいまいな知識を教えてしまっては混乱を招きかねないと考えたからである。
先ほどまで、レオンは彼らが連邦の機密を盗んでいたと考えていた。だがこの発言はこの考えを大きく覆すものだった。
『時空転移シールド?』
『ああ。かつてネーデが数億年前に開発した技術。巨大な重力場によって時空間に穴を開け、あらゆるエネルギーを異なる時空に送り込んで遮断する防衛システムのことだ』
知的な声の男は丁寧にそう説明する。
『へえ……。要はどんな大きなエネルギーが来ても、異次元空間のほうに全部転移させられるのか』
『ああ。これは銀河連邦の航宙艦シールドとは比べ物にならんくらいの性能だ』
この連中は銀河連邦の技術レベルについても知っているようだ。不安に揺れる心を必死に抑えながら、レオンは話を聞き続けた。
『実はこの技術は色々と応用が効いてな。理論上、これを使えば一定空間内での時間の流れを自由にコントロールすることが可能になる』
『時間の流れを操作するって……タイムマシンのようのものか?』
『そうだ。ただ、これには色々とクリアしなけりゃいけない問題があってな。特にブラックホールを超える重力場を必要とする点がかなり難しい。それゆえ実用化は結局のところ叶わなかったと聞いたが……』
『おいおい、それってもしかして!?』
知的な男の話を聞いていたもう一人のほうが、ひらめいたような声でそう叫ぶ声が聞こえた。
『そうだ。一点に無限大の質量を生み出す崩壊紋章の力を逆手に取れば、この時空転移は可能になる。崩壊紋章による無限大の重力を使って時空間に大きな穴を開け、過去のエクスペルを時空転移させる。そしてエナジーネーデと崩壊紋章は別次元の空間へと移動させる。そうすれば……』
『今みたいに消滅したはずのエクスペルがここに現存して、エナジーネーデだけが跡形もなく無くなるって状況が完成するってわけだな!』
「こいつら……詳しすぎる………」
レオンは耐え切れないくらいの恐怖と、自分でも聞こえるくらいに早く高鳴った心臓音で呼吸が乱れかけていた。
多くの謎がうずめく。こいつらが何者かも分からない。なぜ消滅したはずの文明についてこれほどまでに詳しいのか。
ただ一つはっきりしたことは、この連中は銀河連邦を脅かす脅威の集団である可能性が極めて高いということだ。連邦の誰もが知らないことを、彼らは知りすぎている。それも恐ろしいほどに正確にだ。それはまるでエナジーネーデのノースシティにある図書館の情報をそのまま運び出したかのようだった。
『さっすが、イーヴの考えることは違うぜ!』
『勘違いするなよ、グレッグ。これはあくまでも私の推察だ』
「イーヴ。グレッグ……」
「あいつらの名前みたいですわね」
耳を床に当てるレオンの目の前に、セリーヌがぬっと横から顔を出した。
「わわっ!?」
その突然の出来事に、レオンは思わず大声を上げてしまう。あまりの恐怖と緊張で、周りに対して無警戒すぎたのがたたってしまった。
「お、おバカ!? 気付かれたらどうしますの!?」
セリーヌは顔を青ざめさせる。いくらなんでも今のレオンの声なら下の階にまで響いたであろう。
「そ、そっちこそ余計なことするからだろ!?」
声を殺しながら、レオンも血の気の引いた表情でセリーヌを指差した。
「はっ!? そういえば!」
レオンは慌てて覗き穴から下の様子を再度確認する。
「声がしない……」
先ほどまで聞こえていた声も、そして下にいた二人の男の気配も、残り香一つなく完全に消え去っていた。嫌な予感は的中していたようだった。
「盗み聞きとは趣味が悪ぃなぁ、おい?」
同時に、二人の後方から大きな声が聞こえた。レオンとセリーヌがぎょっとして振り返ると、そこには二人の男が階段伝いに登ってくる姿が見えた。
銀色で肩にかかるくらいの長さの髪をした、知的そうな男性のイーヴ。その隣には少し小柄だががっしりとした体つきをしたスキンヘッドの男グレッグが、首や指をポキポキと鳴らしていた。
「聞かれた以上、貴様らを逃がすわけにはいかんな」
「やっぱり、なんか気配がすると思っていたぜ……」
そう言う両者の顔の左右からは、長く尖った耳が伸びていた。それを見たレオンとセリーヌは信じられないものを見たかのように体が凍りつく。
彼らは紛れもなく、四年前に絶滅したはずのネーデ人そのものだった。
「お前達、ネーデ人なのか……?」
「……さぁ、どうだかな!?」
失われた文明の秘密を語っていたのは、皮肉なことにもその文明の住人そのものだった。そして頭が真っ白になったレオンとセリーヌに向かって、その二人のネーデ人は勢いよく襲いかかってくるのであった。
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