44.第三章 第十四話




 グレッグとイーヴは取り逃がしてしまったものの、その欝憤を晴らすかのようなクロードたちの宴会は無事に終わりを告げ、ラクールでの愉快な夜を仲間たちは大いに楽しんだ。

 しかし、この日ラクールでおきた出来事は、実はもう一つあった。

 話は宴の終わりから遡ること数時間前、主役はもちろんこの男、先ほどまで仲間内では名前が挙がることすらなかった不幸な剣士である。





「やっぱり。こんな時間だと、さすがに武具大会も終わっちゃったみたいだね。とほほ……」

 アシュトンはプリシスたちと昼食をとった後、マックスの鍛冶屋に立ち寄ってからクロードたちの応援に駆け付けると約束していた。

 だが、そのマックスとの会話は想像以上に長引いてしまい、鍛冶屋を後にしたときには既に日が暮れかけていたのだった。

 慌てて武具大会の会場まで走ってきたアシュトンだったが、到着したときには闘技場はもぬけの殻であり、あたりを見渡しても人っ子ひとりとして居なかった。あれだけ人でごった返していたエントランスも、今では紙コップやビラなどのゴミが散乱しており、風が吹くたびにそれらはアシュトンの目の前で舞い散っていた。

 それもそのはずで、アシュトンがここに来る数時間前からレオンたちはイーヴとの戦いへと赴き、クロードたちは武具大会の中止と観客全員の避難を済ませていた。

 この誰もが気づいたラクールの異変を、ただ一人アシュトンだけは気づくことができなかった。レオンたちがイーヴやグレッグと戦っていた郊外の草原は、そのときアシュトンが居たマックスの鍛冶屋から見て城を挟んで対角線の方向、つまり真逆に位置していた。

 ゆえにレオンのデモンズゲートが放たれた時もアシュトンはそれに気づくことができず、戦闘時の騒音も鍛冶屋までは届いていなかったのだ。そのためアシュトンは仲間たちが謎のネーデ人と死闘を繰り広げているなどとは露知らず、彼らは今もこの闘技場の近くに居るものだと思い込んでいた。

 そしてアシュトンはこれからその仲間たちを探すべく、真っ暗になった闘技場の中へとゆっくりと足を進めていくのであった。

「ここで会うって約束してたんだし、まさかみんな僕をおいていくようなことはしないよね……?」

 そのまさかが現実となったわけである。

「おーい、誰かー! プリシスー! レオンー! 誰も居ないのー?」

 アシュトンは誰か自分を待ってくれている人が居ないのかと思い、何度も何度も彼らの名前を呼び掛けた。だがそれは暗い闘技場内にこだまするだけで、静まりかえった空間からは何の反応も返ってこなかった。

「さすがにこんな真っ暗なところに人が居るわけないよね。たぶん僕を待ちくたびれて、先に宿に帰っちゃったんだ。みんなに悪いことしたなぁ……」

 さすがにアシュトンもそう気がついたらしく、みんなを探すことをやめて宿屋へと引き返そうと思った。


――――パチンッ!――――


 だが闘技場の出口へ戻ろうとしたとき、何かを弾いたかのような軽い音がコロシアム奥のほうから鳴り響いたことにアシュトンは気がついた。常人ならば聞き逃してしまいそうなほんの些細な音だったが、アシュトンはそれを聞き逃さなかった。

「な、なんの音!?」

 振り返れば、戦闘会場のほうからうっすらと暗闇に白い光が差し込んでいた。誰かがコロシアムの照明を点灯させたようである。

「光……? もしかして、誰かが僕を待っててくれたのかな?」

 先ほどの自分の声を仲間の誰かが聞きつけ、明かりをつけてくれた。そう思ったアシュトンは、自分は見捨てられなかったんだと感極まる。とりあえず、その誰かが居るであろうコロシアムの中心へと、アシュトンは駆け足で向かうことにしたのだった。





 コロシアムのど真ん中、選手用の入り口を潜り抜けたその先では、観客席の遥か上に取り付けられたカクテルライトの一つが真っ白な輝きを放っており、暗闇に包まれるコロシアムの床には円形のスポットライト領域が形成されていた。

 誰がこんなことをしたのだろうか。不思議に思ったアシュトンはきょろきょろ辺りを見渡したが、なぜか人の気配は一切しなかった。

「おっかしいなー、誰も居ないのに、なんで明かりがついたんだ?」

 そう呟きながらアシュトンは腕を組んで考え込む。そのときだった、肩から生えている二匹の竜の片方、ギョロが突然何かに気がついたようで、ギャフギャフと大きな鳴き声を上げた。

「ど、どうしたギョロ!?」

 ギョロとウルルンが憑依してから4年の歳月がたつが、未だにこの二匹が何を言っているのかは分からない。だが彼らの喜怒哀楽の気持ちは、アシュトンには手に取るように分かるようになっていた。そして今、ギョロは酷く怒ったような感情を湧きあがらせている。

 それに気がついたアシュトンは何かよからぬことが起こっているのではないかと、全身に緊張が駆け巡るのだった。

「……ここで待っていれば来ると思っていたよ」

 突然、アシュトンの左側から男の声がした。体中に電流が走り、反射的に両手で剣を引き抜くと、アシュトンはそれを声のする方向へと向けた。

「だ、誰だっ!?」

 さきほど聞こえてきたのは仲間の声ではない。聞き覚えのない口調だった。

「ごめん、驚かせてしまったね。そんなつもりはなかったんだ」

 だが、これは決して敵意のある口調でもないようにアシュトンは感じた。

 そして今度はコロシアム全体に薄い照明が灯される。開けた視界の先には、一人の青年が闘技場の隅で壁にもたれかかっていたのだった。

「ずっと明かりをつけていたらラクール兵にばれちゃうからね。こっそりと君を待っていたんだ、アシュトン」
「君は……シオン……!?」

 つんつんと立て上げられた短い金髪の青年。それはアシュトンが先週のラクール武具大会で敗北を喫した剣士、シオンだった。

 大会のときには防具を身に纏っていたため気付かなかったが、意外にも彼はアシュトンと同じく華奢な体つきをしている。チャコールグレーの衣服に身を包んだその姿は、街で出会っても一般の市民としか思わないような風貌であった。

 シオンは手のひらを上げてこちらに挨拶をすると、ゆっくりとアシュトンのほうに近づいてきた。それを見てアシュトンは剣を握る腕にさらに力を込める。

「そんな、別に戦おうっていうわけじゃないんだ」

 隙の無い眼差しで剣を構えるアシュトンに、シオンは困ったように笑った。

「ちょっと二人で話をしたいだけだよ」
「話……?」
「ああ。ほら、別にこっちは武器も何も持ってないだろ?」

 シオンはそう言って両手をあげてみせた。見たところ武器のようなものは装備されておらず、どうやら害を加えるつもりはないという話は本当らしい。

 ただ武器がなくとも油断はできない。武具大会で受けたエクスプロードに代表されるよう、彼は紋章術師としても非常に優秀なことをアシュトンは十分認知していた。

 だが、いくらいきなり現れたからといって、何も話す前から拒絶することもないだろう。もしかしたら本当に自分と喋りたいだけなのかもしれない。そう思ったアシュトンは、最低限の警戒心だけを維持したまま彼の話に応じることにした。

「わかったよ」

 そう返事をして、アシュトンは構えていた双剣を鞘に納めた。それを見たシオンは、ほっと胸を撫で下ろしながら安堵の溜め息を漏らしたのだった。

「よかった。嫌われちゃったんじゃないかと思ったよ……」

 彼は意外と臆病なのか。アシュトンは彼の口調から、少し自分に近い何かを感じ取った。

「それで、話って何だい?」
「ありがとう、聞いてくれるんだね」

 そう言うと、シオンは話を始めたのだった。

「実は、少し君にお礼を言いたくて」
「……お礼?」
「ああ。俺はエルリア出身でね。ソーサリーグローブで滅茶苦茶にされた故郷をなんとか復興しようと頑張っているんだ」
「へぇ、そうなんだ……」
「それで噂じゃ、君もよくエル大陸に来て魔物退治をしてくれているって話じゃないか。こっちじゃ凄い有名人なんだぜ」
「えっ、ほ、本当に?」

 確かにアシュトンはエル大陸の地をよく訪れていた。エル王国の首都エルリアは、未だ十賢者によって建造されたエルリアタワーが聳え立っている。ここはオーバーテクノロジーを用いた強固な造りに加え、モンスターを凶暴化させるソーサリーグローブが安置されているということから、現在では完全に封鎖された“禁断の場所”として地元民からは恐れられていた。

 以上の理由からエル王国は首都変更を余儀なくされており、エルリアから東に離れた場所にある、比較的ソーサリーグローブの被害が少なかった港町テヌーに移転先として白羽の矢が立てられたのだった。

 だがそれでも、エルリア大陸には依然クロスやラクールとは比べ物にならないくらい強い魔物たちが蔓延っていた。それはテヌー周辺でも同じであり、首都復興の一環として付近のモンスターを倒すという仕事を、アシュトンはここ最近よく引き受けていたのだった。

「君のおかげでエル王国は少しずつ平和を取り戻しつつある。本当に感謝しているよ。俺一人じゃ、あの魔物の群れにはとても対処できないからね」
「……君ほどの実力でも大変なのかい?」
「強さはあんまり関係ないな。魔物の数が多い以上、協力してくれる人が居ると居ないとでは大違いなのさ」
「……それを伝えるために、君はわざわざ………」
「武具大会に参加したのは君に会いたかったから、っていうのもあったんだぜ。もちろん優勝したいとも思っていたけどね。ほんとにアシュトンは強かったよ。一歩間違えていれば僕がやられるところだったしね」

 アシュトンにとっては全くそんな気はしなかった。この一見すると優男風にしか見えないシオンの実力は、自らと比べても圧倒的なものであることは武具大会で十分に痛感した。

「……ありがとう。そう言ってもらえるとこっちも凄くうれしいよ。ぼくのおかげで助かる人が一人でも居るのなら……」
「あはは、一人どころじゃないよ。エルリアの人はみんな君に助けられている。少なくともね」
「シオン………」

 お世辞を真に受けるつもりはないが、思っていたよりも彼は悪い人ではないらしい。とても礼儀正しい好青年だと感じたアシュトンは、はじめ彼に剣を向けてしまったことを恥じたのだった。

「僕も君と戦えてよかったよ。同じ思いの人が近くに居ることって、悪くはないよね」
「ああ、俺もだ。……そしてこれからもアシュトン、無理のない範疇でエルリアの復興を支援してほしいと思っているんだ……」
「ああ……もちろんさ!」

 アシュトンは頷きながらそう二つ返事をした。

「ありがとう……本当に………」

 その返事を聞いたシオンは嬉しそうに笑った。

「俺は今テヌーに住んでいる。またこっちに来ることがあったら、是非うちに来てくれよ。王様に話してくれれば、すぐに俺の家まで連れて行ってくれるからさ。こう見えても一応、俺はエル王国に雇われた傭兵って扱いなんだ」
「わかったよ。それじゃあそっちに行くときには立ち寄るようにするね」
「待ってるぜ。忙しくて家に居ないことも多いけど、もし暇な時だったら一緒に酒でも飲もうな」
「うん!」

 二人はそう言うと、互いにしっかりと握手を交わしたのであった。昔に比べれば増えたものの友達の少なかったアシュトンは、こうして仲良くなれそうな人に巡り合えたことを心から嬉しく思うのであった。

 それからしばらく、シオンとアシュトンは互いの過去について語り明かしたのだった。シオンの故郷の村がソーサリーグローブによって凶暴化した魔物に壊滅させられたこと、一人ぼっちでエルリア大陸を逃げ回ったこと、親戚はみんな殺されてしまったことなどを聞いたアシュトンは、過去に孤独を抱えていたという点でシオンに大いに共感するものを感じたのだった。

 そしてアシュトンもまた腹を割り、自身がこれまで歩んできた道に関して、順を追って一つづつ話したのであった。

「……へぇ。それじゃあこのエクスペルは一回滅んじゃったんだね」
「うん。でもエナジーネーデっていう星が消滅するときのエネルギーで、滅びる前のエクスペルを過去からタイムスリップさせたんだって」
「それじゃあ、俺は一回死んだってことになるのか。不思議だな……」
「はは……僕にもよくわかんない。あ、このことは他の人には言わないでね」

 アシュトンが付け加えるかのように念を押すと、シオンは声を出して笑った。

「あっはっは。そりゃ、そんなことをみんなに言っても信じてもらえないさ」
「……君は信じてくれるの、シオン?」
「うーん、正直……俺にも信じられない。でも急にソーサリーグローブが沈静化したのは不自然に思っていたし。それもアシュトンの話で説明がつくからね」

 シオンはそう言うと、今度はギョロとウルルンに目を向けた。

「ところで、君の肩から生えているこの二匹の龍はなんだい?」
「ああ、これはね……」

 ここ数年で飽きるほど浴びせられた質問に、アシュトンは苦笑いしながら答えた。

「4年ほど前の話なんだけど、リンガの坑道でドラゴンが暴れているって話をハーリーで聞きつけて、僕は意気揚々とそれを退治しに行こうと思ったんだ。そしてそこに居たのが、こいつらだったんだよ」
「……へぇ。でもなんで君の背中なんかに?」
「……ちょっと色々事情があって、取り憑かれちゃったんだ。あ、こっちの赤いのがギョロで、青いのがウルルンって名前なんだよ」
「それはそれは……大変じゃないのかい?」
「うーん……確かに寝るとき邪魔だなって思うこともあったけど、今はもう慣れちゃったかな。別に憑依しているだけだから重さも無いし、むしろ敵と戦うときなんかは炎や吹雪を吐いて援護してくれるから助かってるよ」

 得意気に語るアシュトンの一方で、ギョロとウルルンは自分たちが便利な道具のよう語られたことに不満気な様子だった。だがシオンは深刻そうな顔で、その二匹の龍をまじまじと見つめる。

「でも、いつまでもこのままって訳にはいかないんだろ?」
「うん、そうなんだよね……」

 その言葉にアシュトンは複雑な表情をした。

「僕とこいつらが無事に別れることができる方法を見つけるのが、旅をしている理由の一つなんだ。でもなかなか難しいらしくて……」
「……だろうね」

 シオンは何かを考えるかのよう、手で口を覆いながらそう言った。

「それ、よければ俺も協力してあげようか?」
「えっ?」
「魔物が憑依した人間を無事もとに戻す方法を探し当てれば、君の悩みも解決するんだろ?」
「そ、そうだけど……」

 突然の申し出に、アシュトンは少し戸惑う。

「でも……エルリアの復興で君も大変なのに、申し訳ないよ」
「なぁに、気にしなくていいよ。それに紋章科学が発展したラクールとは違って、エル王国はもともと動物学や魔獣学が強みだったんだ。今はほぼ廃墟のエルリア図書館にある文献を漁り返してみれば、何かヒントになることが見つかる可能性は高いと思うぜ。任せときなって、俺たち友達だろ?」

 シオンはそう言って胸を叩いて見せた。そんな頼もしい姿と“友達”という言葉に、アシュトンはじーんと胸からこみ上げてくるものを感じたのだった。

「ちょっと時間がかかるかもしれない。来年の武具大会のときくらいまで時間をくれないか?」
「う、うん! 1年くらいなら全然待つよ!むしろそこまでしてくれるなんて……」
「だから、気にすんなって! な?」
「……ありがとう」

 アシュトンは熱くなる瞼を必死で堪えながら、再びシオンと握手を重ねた。何の変哲もない笑顔を向けるシオンは、その握手を解くやいなやアシュトンにこう言ったのだった。

「任せとけって。これは二人だけの約束だからな」

 それを聞いたアシュトンは神妙な面持ちを見せた。

「二人……だけの……?」
「ああ、俺とアシュトン、二人だけの秘密ってことにしてほしいんだ」

 そう言ってシオンは話を続ける。

「エルリア図書館の蔵書には、閲覧禁止のものも多数含まれているんだ。だから廃墟になったとは言え、そこにある書物を無断で見ることは多かれ少なかれ罰せられることになるのさ。まぁ、見張りの兵士なんていうのも居ないし、口を滑らさない限りはまずバレないんだけどね。こっちの学者はみんなやっていることさ」
「ふぅん……」

 アシュトンは心配げにシオンのほうを向いた。

「わかった、内緒にしておくよ。シオンも気をつけてね」
「ああ。大丈夫だ、絶対見つけてくる。待っててくれ」

 そう言い終えると、シオンは時間を気にするような仕草で闘技場の天井近くに掛けられている大きな時計盤に目をやった。

「さて、それじゃあ俺はそろそろ行くことにするよ。ヒルトンから明朝の船でテヌーまで帰る予定なんでね」
「そうなんだ……確かにヒルトンだったら、そろそろ出ないと朝には間に合わないね」

 現在時刻は午後8時を少し回ったところだった。ラクール王国の主要港ヒルトンまでの街道は整備が行き届いているが、それでも片道で半日近くはかかるだろう。

 そしてまたこのとき、アシュトンも自分が仲間たちに迷惑をかけているのではないかと不安になってきたのだった。さすがにこんな時間まで行方をくらませば、自分の身に何かあったのではないかと心配されても不思議ではない。シオンと同じく、そろそろ自分も宿屋へと引き返したほうがいいんじゃないかと思ったのだ。

「僕もそろそろ街に戻るよ。またエル王国で会えるといいね」
「そうだな。一年後の武具大会も楽しみにしておくよ」

 シオンはそう言うと、アシュトンがここに来るのを待っている間にもたれかかっていた壁面まで歩いて行き、そこの床に放置してあった荷物袋をひょいと担ぎあげた。

「それじゃあ、またな」
「うん。本当にありがとう、シオン」
「おーう」

 そう言い残してコロシアムの出口へ向かって歩いて行くシオンを、アシュトンはその姿が見えなくなるまで眺めていた。その後しばらく無人の闘技場にぽつんと一人で佇んでいたが、やがて自分も仲間たちのところへ帰ろうと思い、ずっと直立しっぱなしだった足を動かし始めた。

 寄り道をした言い訳も考えなければいけないが、それは帰りながらでもいいかとアシュトンは思うのであった。

「よかったね、もしかしたら僕たち無事に離れられるかもしれないよ」
「グルルルルル……」

 闘技場から外に出ると、見下ろす城下の方向に街の夜景が見える。その場所へと続く坂道を下りながらそう語りかけるアシュトンに、ギョロとウルルンは複雑そうな表情で喉を鳴らすのであった。