25.第二章 第五話







――――ブルルルル………――――


 カーテンに日光を遮られた薄暗い部屋の中で、不快な振動音が何かを主張するかのように鳴り響く。

「…………なんだよ、こんな時間に?」

 その部屋で気持ちよく眠っていたレオンは、そんな薄暗い中でも微かな光が眩しいのか、薄く目を開きながら起き上がった。

 ベッドの上に置いてある時計に限りなく目を接近させ、今の時刻を確かめる。まだ朝の6時過ぎだ。

 こんな朝っぱらにもかかわらず、相変わらずヴーヴーと電話の着信を知らせるレオンの携帯電話。このまま無視するかどうか迷ったレオンだったが、もしこれが重要な電話だと困るので仕方無しに手を伸ばすと、半ば手探りでそれを手にした。だが……

「……プリシスかよ………」

 映し出された電話の主を見て、怒りを超えた何かがレオンの全身を伝わったのだった。

 今日は祝日の月曜日。嬉しい嬉しい三連休の最終日。こんな日の早朝からプリシスが起きていること自体珍しい。普通ならば朝の11時頃までぐうたら寝ているだろう。

 しかしそんな疑問を抱く余裕は、眠気むんむんのレオンには微塵たりとも無かった。今は快眠を邪魔されたために気分が悪い。思う存分文句を言って惰眠に戻ろうと、通話ボタンを押して電話に出た。

「もしもし。何だよ? こんな朝っぱらから……………」
「ちょっとレオン! アンタどんだけ電話取るのに時間かかってんのよ!? このバカ!」

 しかしレオンが通話を始めるや否や、逆にプリシスの怒濤の叫びがレオンの耳になだれ込むのだった。

「もー、何回コールしたと思ってんの!?」
「………何の用だよ?」
「ったく。相変わらず返事に可愛げが無いんだから……」

 レオンの心境など知る由も無く、ぶつぶつ文句を垂れるプリシス。

「まあいいや。実はさっきね、レナからメールがあったんだ」
「なんだよ。またクロードとレナの愚痴だったら速攻きるよ?」
「あーっ! だから最後までちゃんと聞きなさいよ!」
「はいはいはいはい。分かったからもうちょっと静かに喋って。近所迷惑だよ」

 はたから聞けばなんとも精神年齢の低いやり取りだ。

「実はあの二人、いまテトラジェネシスに居るんだってさ。そして何故かチサトも一緒にね」
「……テトラジェネシス? それってエルネストさん達の星だよね?」

 ここでレオンはいつもと違う趣旨の内容だという事に気がつき、眠気がさっと引いて行くのを感じた。クロードの任務は未開惑星じゃなかったのか? そう思ったレオンは話の続きが気になり、もう少しプリシスの電話に付きやってやることにした。

「そうそう。それでね、その3人にエルネストとオペラを加えた5人でエクスペルに行くから、帰りが遅れるだってさ」
「……そう。まぁいいんじゃない? レナもたまには故郷に帰りたいだろうし。でも……」

 口からため息がこぼれる。

「もしかして、それだけ? こんな朝早くから僕に言いたいことって……?」

 レオンは不服そうにそう言った。クロードが未開惑星で事故にあってテトラジェネシスに保護されているとか、はたまたクロードの取り押さえの対象が実はエルネストだったとか、そういった緊急を要する内容ではなかったのだ。

 しかし、それでもプリシスは受話器の向こうから熱を込めて話を続ける。

「いやいやちょっとアンタさぁ、こーいう話聞いてじっとしていられるの?」
「……どういう事さ?」
「だーかーらー! 要するにレナ達はエクスペルでみんなとワイワイ再会するってのに、あたし達は置いてけぼりって事だよ!?」

 そう言って声を荒げるプリシス。みんな楽しんでいるのに自分は地球に取り残される事が、彼女にとっては許されないことらしい。レオンはプリシスの機嫌がどうも悪そうだと受話器越しに感じていたのだが、ようやくその理由が理解できたのだった。

「ったく、そんな事で僕に朝から八つ当たりしなくても……」
「八つ当たりなんかじゃないわよ! ……もういい、あたしとノエルだけで行くわ!」

 なにかが吹っ切れたように、途端にプリシスの口調が変わった。だがレオンはそんな変化よりも、彼女の口から放たれた言葉に驚く。

「ちょ……行くって、まさかエクスペルに?」
「それ以外にどこ行くってのよ?」

 まさかとは思っていたレオンだが、案の定その通りであった。

「それにあたしの最新作、無人君act2の良い試運転になるしね」

 無人君act2。彼女が前回のエディフィスに向かった時に使用した宇宙船に改良に改行を重ねたオリジナル宇宙船である。スピード、安全性、燃費、全ての面で前回の宇宙船よりもパワーアップしているらしい。彼女曰くではあるが。

「ま、アンタはここで一人、どんよりとした休日を過ごせばいいわ」

 そうプリシスは、どこか勝ち誇ったように言い放ってきた。

「……分かったよ。僕も行く」

 電話越しにレオンはそう言うと、寝転がったまま通話をしていた重い上体をむくりと起こした。

「あら。やっぱりアンタも行きたいと思ってたんじゃない?」
「だってさ、プリシスの宇宙船って大体どっかが故障してるし、僕が居なきゃ墜落しちゃいそうじゃん?」

 レオンは皮肉をたっぷり込めて返事をする。

「それに、誰も断るなんか言ってないしね」
「おっけーおっけー。分かったわよ」

 実際のところ、本心ではレオンもエクスペルに帰りたくて仕方がなかった。なにせここ二年ほど帰っていない。今ラクールはどうなっているのか、自分の両親は元気でやっているのか、それすらも分からない。しかし、そんな寂しさをプリシスに知られるのだけは嫌だった。

「ところでさ、ノエルは大丈夫なの? あの人にも都合とかあるでしょ?」
「んー……多分来るんじゃない? てか絶対来るよ。うん」
「……どこにそんな確証あんのさ?」

 確かに今日は休日だが、こういったときノエルは基本的に動物の野外観察をして過ごしている。本当に今日が暇なのかどうかも分からない。もしかしたら先日からずっと野外調査に出かけたままという可能性も否定できない。

「……じゃあ、あんたからノエルに連絡いれといて。あたしはこれから無人君act2の調整に行かなきゃダメだから忙しいんだ」
「……へ?」
「てなワケで、これからact2の格納庫までひとっ走りしてくるから! あんた達も昼までには来てね!」

 間髪おかずプリシスは口早に喋る。以前から面倒なことは全てレナやレオン任せにする一面があったが、今回もその被害に合ってしまったレオンであった。

「ノエルは早起きだし、今から電話しても大丈夫だと思うよ! あんたと二人とか窮屈そうで絶対嫌だから、無理矢理にでも連れて来てね! そんじゃ!」
「そんな……ちょっと待……」


――――ツー、ツー…………――――


 特に最後に彼女が言った“無理矢理”という言葉に反論しようとしたが、既に遅かった。

 彼女はぷっつりと電話をきってしまった。切れる直前にガタガタッと物音がしたことから察するに、プリシスは慌てふためいて電源ボタンを押したのだろう。

「無理矢理連れて来いって言われても……」

 レオンはパタリとベッドに倒れ込んだ。

「そーいう強引な事こそ、プリシスがやるべきだろ……」

 ぶつくさと文句を垂れながら宙を見上げるレオン。強引さでいえば昔の自分も劣ってなどいないだろうが、今は違う。これでも成長したのだ。もしノエルが今日忙しかったとして、はたして強引に誘えるかどうか。

「はーあ、貧乏クジばっか引かされるよ……」

 そう呟きながら、ぽちぽちと再び携帯電話を操作しはじめる。せっかくの休日がまた潰れそうな予感だった。






「お、プリシスちゃん。久しぶりだな!」
「おはよースコットさん。実はちょいと急用でさぁ」

 宇宙船がある建物に入るや否や、明るい声がプリシスにかけられる。ついさっき出勤し、ごそごそと施設内を整理していた宇宙船格納庫の管理人、スコットだった。

 彼は30年近くこの場所に居座っている、少し濃い顔をした中年男性だ。プリシスが忙しい時などには代わりに宇宙船の整備などを行ってくれている。

 ここは通称「宇宙船格納庫」と呼ばれる、簡単に言えば貸し駐車場みたいな場所だ。プリシスは自分で研究、改良を加えた宇宙船をここに預けていた。エクスペルに向かうには、ここで今から色々と準備をしなければならない。

「なんだい、こんな朝から飛んでくるような急用ってのは?」

 ぽりぽりと頬を掻きながら、そう尋ねるスコット。

「いやぁ、詳しくは言えないんだけどさぁ。緊急でエクスペルって惑星まで行かなきゃダメになっちゃったんだよねぇ………」

 軽く苦笑いしながらそう答えるプリシス。

「ほぉ……そうか」

 そんなプリシスにスコットは曖昧げな相槌をうつ。

「エクスペルなんて聞いたことないが、未開惑星か?」
「そそ……ってか、あたしの故郷!」
「あ、そーいえばプリシスちゃんは未開惑星の出身だったんだったっけか。へぇ、里帰りかい?」
「んー、まぁそんなとこかな」
「そうか、たまには家族に顔見せとけよ」

 スコットはそう言うとさらに話を続ける。

「んで、そのエクスペルとやらはどの辺にあるんだ?」
「えっとね、詳しくは知らないけど……あっ、一応セクターθ(シータ)には入ってるよ」
「そうか。ならそんなに燃料費もかからないな」

 燃料費。この言葉を耳にしたプリシスの表情がぎくっと変わった。当然この場合、すべての経費はプリシス達の自腹となる。

「えと……それってどれくらいになるかな……?」

 おそるおそるプリシスはスコットに尋ねる。

「そうだな。まぁ同じセクター内の往復と見りゃ………これくらいは必要だろ」
「げげっ……!?」

 手渡された電卓に表示された数字にプリシスは声を唸らせた。決して払えない額では無さそうだが、プリシスの財政に大打撃を与えることは確実だった。

 セクターθといってもその広さは何百光年以上もある。さらに燃費が良くなったとはいえども前作に比べて大型化した無人君act2は、以前のものよりも燃料を食うのだ。

「ノエルとレオンで三等分したとしても……ううっ、やっぱり高いや」
「んまぁ、それでもアンタの宇宙船は燃費が良いから、他の同じサイズの宇宙船に比べたら燃料代は遥かに安いさ!」

 腕を組みながら軽く胸を反らし、彼女の技術を絶賛するスコット。単純に誉めているのか、それとも商売戦術なのかは分からない。

「どうだ、払えそうか?」
「うーん、なんとか……」

 カードを使えば不可能ではないが、そうすると次の給料日までをカツカツで生活しなければならない運命が待ち構えることになる。

「……まあいいや、後でレオンからちょっぴり多めにお金取ろうっと」

 割り勘のときにちょっぴりかさ増ししてやろうと企みながら、プリシスは渋々と財布からカードを取り出した。

「まいど!」

 そう陽気な声が響く中、プリシスは自分の宇宙船、無人君act2の元へと歩いて行くのだった。





 そしてしばらく時間は過ぎ、時刻は午前10時ごろ。目の前に佇むその巨体を前に、集合時間に到着したレオンとノエルがそれに魅入っていた。

「うーん、凄いですね……」
「これが前に言っていた無人君act2ってヤツだね、ネーミングセンスは変わらずってトコだけど……」
「うるさいわねー、レオン!」

 何かといちゃもんをつけるレオンに怒声をかましたプリシス。

「これでも色々パワーアップしてるんだからね!」

 その一回り大きくなった船体。それはより衝撃に耐えられるようプリシスが設計したものだ。エディフィスで前作の宇宙船が半壊し、大変な目にあった事を受けての事だった。

「確かに、前回の宇宙船よりは安定してそうですね」
「お! やっぱノエルは分かってくれるんだねー」

 改良点に気がついてもらえて、少し鼻を伸ばすプリシス。だが同時に彼女は、彼ら二人に言い出しにくい話を切り出すチャンスだと感づいたのだった。

「まぁ、そんなこんなで船体を大きくしたのはいいんだけどさ……」

 そう言ってワケありげな顔に切り替える。もちろんこれには彼女なりに狙いがあってのことだった。

「実はそのせいで、けっこうな燃料代がかかっちゃうんだよね」
「……ふうん、それで?」

 その言葉に、レオンがさらりとそう言いのける。

「だからさ、ワリカンって事で、一人あたり○×フォルになるんだけど……」

 そう言って作り笑いを浮かべながら手を差し出すプリシス。当然さっき企てていたように、普通に割り勘した場合より多少多めに請求した。

「……………」

 だがレオンはそんなプリシスに無表情で近づくと、パンと一枚の紙を彼女の掌に叩きつける。

「えへっ、まいど……って、アンタこれお金じゃないじゃん!?」
「ほー、何、“まいど”って?」
「え、え……ってか、これって!?」

 プリシスがレオンから渡された一枚の紙、それは……

「さっきスコットさんが渡してくれた、燃料費の領収書だよ」

 怒りを込めた笑いを含み、レオンはプリシスにそう言い放った。彼がプリシスに渡した請求書には、燃料費の詳細が正確に記されていた。

「おかしいなあ? その金額を3で割ったら、さっき君が言った値段より明らかに安くなるはずなのに……」
「あっ……あーっ! いや、ゴメン、計算まちがってた! ほら、結構急いでたしさ!」
「ふーん……」

 いとも簡単に、しかも予想外な形で企みがバレてしまったプリシスは冷や汗まじりにそう言い訳をする。そんな彼女にレオンは冷ややかな視線を送るのだった。

「そう。そうだ。正確には……」

 再びその領収書から計算をし直すプリシス。

「やっぱり、予想した通りでしたね」
「プリシスのことだからね。スコットさん本当にナイスだったよ」

 そんな彼女を横目に、レオンとノエルはヒソヒソと会話をするのだった。

 実はレオンがノエルを連れてこの格納庫に着いたとき、スコットは「プリシスがよからぬ事を企んでいるかもよ」と言葉を添えて、この領収書を渡してくれていたのだ。

 これを見たレオンとノエルは一瞬でピンと来た。こんな大金を彼女が素直に払うわけが無い。間違いなく自分達に擦り付けるつもりだと。

(絶対あのオッサン、わざと領収書をレオンに渡したんだよ……)

 その一方で、宇宙船の整備を続けながらうなだれるプリシス。これで今後の生活が困窮すると思うたびに、自分を売ったスコットが恨めかしい。

「やっぱり悪さはするもんじゃないぜ! ガハハハハ」

 そんな様子を、別室から監視カメラを通して一部始終確認していたスコット。さぞ機嫌が良さそうな彼の笑い声とプリシスの涙声とが、古びたこの建物内に響くのであった。