7.序章 第七話




「……僕の研究発表は以上です」

 レオンのはっきりとした声が、広いホール中に響いた。ここは紋章科学研究所。旧ネーデ領内にも同じ名前の施設があったが、こちらは地球の連邦本部ビルの近くに置かれている軍直属の研究機関である。

 ここで開発された技術は、銀河連邦の最新武器の開発に幅広く使用されている。これは地球が銀河において大きな権限を持つ原動力となっている強大な軍事力を支えるものであり、そのため連邦が有する数多くの施設の中でも最も重要視されている機関のひとつだった。

 十賢者の件を受けて軍事力強化の必要性が唱えられたこともあり、現在ではさらなる技術開発が望まれている。レオンは一人の科学者として、毎日ここで研究と実験の日々を過ごしていたのだった。

 今日はその研究所において年に4回行われる、各々の研究員の研究成果を発表する日だった。この中間報告内容によって各科学者が自身の評価をつけられるため、どの研究員も必死だ。レオンがクロード宅で昨日も勉強に勤しんでいたのも、ギリギリまでこの発表内容を良いものにしようとしたからだった。

「素晴らしい……!」

 レオンが最後の言葉を言い終えると、他の多くの出席者から拍手がおこる。

「まさかこの紋章間相互作用に目を付けるとは……」
「とても16歳とは思えない……」

 毎回毎回、レオンはこの発表会において非常に高いレベルの研究内容を披露してきていた。今回の発表もこの様子だと大成功のようだ。16歳とはいえ、エクスペルに居たころから何年ものあいだ紋章に関する研究を続けている。キャリアは他の若手研究員に負けるかも知れないが、実力では決して劣らない。そういった自信が彼にはあった。

 しかし彼が誇らしげな顔をするのは舞台の上だけだった。拍手喝采のなか一礼をして自分の席に戻ると、レオンは虚ろな表情をしながらポケットから一つのペンダントを取りだしたのだった。

(リヴァル……)

 レオンは2年前のエディフィスで出逢い、そして失ってしまった一人の女性に思いを馳せていた。これは今回に限ったことではなく、レオンは研究が一段落すると必ず彼女との思い出がフラッシュバックするのだった。その理由はレオン自信にもよく分からなかったが、不思議と発表を終え席に戻ったその瞬間、彼女の顔が鮮やかに頭をよぎるのだ。

(あれから……あれから僕は頑張っているよ………)

 そう思いながらレオンは蒼色のアクセサリーを握りしめる。無機質で冷たい感覚が手のひらを伝わったが、レオンの体温によってそれは温もりへと変わっていった。これはリヴァルが最期に彼へと残していった物だ。それをレオンは今になっても、肌身離さず大切にしていた。

(僕はあれから心の整理をつけたつもりだったんだ。ひたすら研究に打ち込んで忘れようとしたよ。けど……)

 レオンはアクセサリーを握りしめる力を強める。壊れないように、だけどその存在が十分に感じ取れるくらいに。

(やっぱり……やっぱり会いたい気持ちが………)

「……オン君! レオン君!」

 レオンは自分を何度も呼ぶ声に気付き、感傷的になっていた意識を現実へ還らせた。

「ユッ、ユリウスさん!?」
「いやはや、何か考え中だったかな?」

 ユリウスと呼ばれたその男は、お茶目な顔でレオンにそう言い寄って来た。彼はレオンが所属する研究部の研究長である。レオンはここに来たときから彼に世話になっており、エクスペルには無かった地球の先端紋章技術を教えたのも彼だった。

「い、いえっ! それより何の用ですか、先生?」
「いやいや。そんなに大きい用事では無いんじゃが。とりあえず最初に。素晴らしかったよ」

 ユリウスはそう言うと、頼もしげにレオンの肩をポンと叩いた。

「ありがとうございます。これも先生のおかげですよ」

 レオンは笑いながらそう返した。その笑みは決して作りものでは無かった。レオンがここまで地球での研究についていけているのも、このユリウスのおかげだった。そのユリウスに褒めてもらうということは、言い返せば彼の期待にきちんと応えられたということ。レオンにとってそれはユリウスへの恩返しを意味していた。

 たまに生意気な口をきいたり、心の中では彼を"ジジイ"と称したりすることはあるものの、今のレオンにとって彼はとても大きな存在だった。現に今もいくつかの研究プロジェクトに推薦してもらい、また時には様々な研究者と交流の機会などを設けてもらうなど、感謝すべきことは数えきれない。

「いやいや。君には十分に紋章学の素質があったからこその成果じゃよ」
「素質だなんてやめてくださいよ、恥ずかしいです」
「そう言うな。君ならどんなことでも可能にするだけの才能があると思っておるから、儂はこうやって肩をもっておるのじゃ」
「どんなことでも可能に……ですか。」

 レオンは少し唇を噛んだ。

「不可能なことは不可能ですよ。いくら優れた技術を考えたとしても、できないことだってありますから」
「ほぅ……」

 どれだけ技術が進歩しても、死んでしまった人、失われた時間はもう元には戻せない。タイムマシンができて時間の移動が可能になったとしても、時間の修復をすることはできないのだから。

「まぁ、君が何を目指しているのかは分からないが……」

 ユリウスはレオンが手に握るペンダントをちらっと見ながらそう言った。

「とりあえず御苦労様だった。これからも精進するんじゃぞ。ところで……」

 ユリウスの顔が厳しいものに急変する。そして彼はレオンに別の話を切り出しただった。

「ところでレオン君。ガイエルくんの研究ついて、どう思うかね?」
「……はい?」
「ほら、今あそこで発表しているじゃろ?」

 突然の質問にレオンは慌ててしまう。発表後からさっきまで考え事をしていたせいで、登壇順が自分の次だった研究者、ガイエルの発表をほとんど聞いていなかったからだ。

 そのガイエルとやらは、今もつらつらと壇上でスピーチを続けている。パワーポイントの図が幾つかスクリーンに映っているが、ここまでの話の流れを一切聞いていなかったレオンは何のことだかさっぱり分からなかった。

 内容が分からないことについて意見を求められてもどうしようもない。しかし恩師に自分の不謹慎さを告げる気にもなれず、どうしようかと考えたレオンは

「えっ、あの……僕には良く理解できない内容だったので……」

 そう言って咄嗟に誤魔化したのだった。

「……やっぱり考え事しておったのか。君ほどの人間が理解できないものなど無いじゃろう?」
「……すみません」

 ユリウスはそんなレオンを意地悪な目であしらいながらそう言った。レオンはなんとも身が縮こまる思いで、このジジイには勝てない、まだまだ自分は子供なんだと痛感するのだった。

「……とまぁそんなことは実はどうでもよい。わしがガイエル君の発表を要約するから、それを聞いてほしい」

 ユリウスは再び発表の舞台に目をやり、レオンもそれに同調するよう視線を前へと向けた。

 ガイエル・ウィルバー。自分と同期に研究所入りし、レオンと同様に天才と呼ばれている男だ。はきはきと発表を続けるそんな彼の隣には、顔つきの悪い眼鏡の老人が座っている。ガイエルの研究部の研究長、ブライア博士だ。

 この紋章科学研究所は数多もの研究室によって構成されている。各研究室はそれぞれ研究部とも呼ばれ、一人の研究長、そして数人の研究員によって数々の研究を独自に行っている。

 ユリウス博士もこの研究長と呼ばれるポジションの一人であり、レオンはその研究室での研究員にあたる。同様にブライア博士もまた別の研究室の研究長であり、今発表しているガイエルは彼の研究室所属の研究員だった。

 このブライア博士の研究室とユリウス博士の研究室は、互いにライバル関係にあった。そういった理由もあり、レオンはこれまでガイエルとは口を聞いたことも殆ど無かった。もし互いに仲良く話している姿をユリウスに目撃されれば、後々何を言われるか分かったものではないからだ。

「奴は紋章学を用いて物体をワープさせる技術について調べていたようなのじゃが……」

 ユリウスはガイエルの研究発表の詳細をレオンに伝えた後、うーんと唸ってみせた。その内容とは、紋章の力を利用して物体を空間転移する、といったことに関する可能性を示唆したものだった。

 将来的には宇宙船の新たの移動手法へと応用できるかもしれない。こういったことをガイエルは延々と述べていたようだ。しかしまだ実験も何も為されていない理論上の話であり、本当に実現可能かどうかということに関しては現段階では分からないらしい。

 しかし、もしこの技術が実現可能だと立証されれば、航宙技術にイノベーションを起こすその功績は絶大なものとなるだろう。そうなればブライア博士の研究チームの評価がうなぎのぼりになることは間違いない。当前、そんなことになるとユリウスにとっては面白くない。

「君はどう思うかの?」
「どうもなにも、僕の仲間に空間移動の紋章術を使う仲間が居ましたが……」
「なんと!? では理論的だけでなく、現実でも空間転移は可能であったのか……」

 レオンは考える素振りも見せず即答し、ユリウスはその言葉にとても驚いた様子だった。

 彼の言うこの“仲間”とはセリーヌのことであり、彼女は「テレポート」という空間移動紋章術の使い手であった。エディフィスの冒険ではあまりにも見慣れた紋章術だったので、レオンにとっては「何をいまさら……」といった感じのことだった。

「やはり宇宙の英雄はとんでもない事をやってのけるのう!」
「ただ、その仲間は僕らの中ではNo.1の紋章術の使い手だったんです。その紋章力をもってしても、転移魔法を使うたびにもの凄く体力を消耗すると言っていました」
「ふうむ。人体レベルでそれなら、実際に紋章技術で宇宙船などをワープさせるには莫大なエネルギーが必要ということか……」
「そういうことですね。実用化となれば、量子ワープを用いた非紋章科学的な手法のほうが現実的かと。なにせ扱うスケールが違いますし、単純にエネルギーを操作するわけでもありませんしね」
「ほっほ、そうかそうか。それならブライアの研究も、たいしたことないのう」

 レオンが今言える結論を淡々と述べると、それを聞いたユリウスはブライアの研究室を見下すかのように笑いだすのだった。そもそもこの二人は研究長となる以前、大学での学生時代から犬猿の仲で知られていた。社会集団ともなれば不仲や派閥はつきものだが、これほどまでに因縁を持つレベルとなると珍しいものである。

(相変わらずライバル意識満載だな、このジジイは……)

 レオンはそんなユリウスを、呆れたような目つきで見るのであった。

「……以上です。ご静聴ありがとうございました」

 ちょうどそのとき、ガイエルの発表が終わったのだった。彼の隣にいるブライア博士はどうだと言わんばかりの得意気な目つきで、こちらに視線を送りつけている。それとは対照的に発表者であるガイエルは終始無表情のまま、軽く礼だけ済ませて去っていってしまった。

 無愛想なのか、緊張しているのか、もしくは他に理由があるのか、詳しい理由は分からないがブライアとガイエルの間にも温度差があるようレオンには感じられた。

 そしてどうやらこのガイエルの発表が、今日最後の研究内容報告のようだった。

「それではただいまの発表をもちまして、本日の全発表が終了しました。お疲れ様でした」

 閉会のあいさつがとり行われると、研究者達は互いに礼を交わしながら次々と講義堂を後にしていく。その流れで自分も外に出ようと、レオンはゆっくり席を立った。

「おお、やっとお開きか。レオンもご苦労だったな」

 ユリウスも自分の荷物をまとめながらレオンにそう告げた。

「いえいえ。ユリウス先生もお疲れさまでした」
「なに、暇つぶしみたいなもんじゃからな」
「そうですか。それでは私は研究室に戻ります。少し実験データの整理をしたいので……」

 レオンは少し疲れたような表情でそう返事をした。

(やれやれ。今日はひと仕事したら早めに帰って、久々に家でゆっくり休むか……)

 なんだか色々な意味で疲れたなと、レオンは今日一日をそう振り返った。

 そして最後にもう一度だけリヴァルのアクセサリーを見ると、無言で発表会場を後にしたのだった。